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愛妻の日

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【愛妻の日】

「愛しているぞーっ!カレンー!」

バロン城下街中央広に設置された台の上から男がそう叫ぶと、うおおおお!やらひゅーひゅー!やら、とにかく大きな歓声が上がった。
拍手に混じって「あなたーわたしもよー!」なんて聞こえたりすると人々の興奮はますます肥大する。窓ガラスがびりびりと振動しそうな勢いである。
それでも近状迷惑だ静かにしろ!と住人から怒声がとんで来ないのはさすがお祭り事が大好きなバロンの国民性をよくあらわしていた。
そして国民がこれなら、国のトップである国王もまた、しかり。

「すごいねローザ、ここまで聞こえてくるよ」
感心しきったようにセシルが声を上げた。目立つ銀色の髪をひっつめて帽子で隠していたが、周囲にはとっくにバレバレである。
それでも周りが騒がないのは、「本人がお忍びとして来ているのだからまぁいいか」という認識があるからだ。
現バロン国王は非常に庶民的であった。
国のトップがそんなのであるから、当然臣下の心労は秒単位で増えていく。
もし何かあったらどうするんですか!という半泣きの臣下に、しかし当の元凶はけろりとして「そんなに心配しなくても大丈夫さ」と切り捨てた。

その結果が、これである。
夫につき合わされているローザは、今しがた遠方でどきどきはらはらしている護衛の兵士らにごめんなさいね、という視線を向けた後はしゃぐセシルに相槌を打つ。
男達が愛を叫ぶ台から二人は大分離れていたが、その声は十分聞き取れるほどの大声だった。きっと明日はのど飴が好評ね、とローザは一人言つ。

「ローザ、何か言ったかい?」
「いいえ、何でもないわセシル」

ローザは微笑んで答えた。それにしても、とセシルは呟く。
周りの声がうるさいので、多少大きな音量になってしまったが。

「今年はヤン、来てないのかな」
「忙しいみたいよ。今、あっちはファブール熱の大流行する時期だから……」
「そっか……」

ファブール地方では、この時期になるとたびたび流行り病に悩まされた。
元々住むには少し難い場所で、常日頃から体を鍛えている修行僧より連れ合いや家族が病に伏してしまうらしい。
残念だ、とセシルは目を伏せる。

「ヤンならきっと一番だったのに」
「競うものじゃないでしょ?」
「それはそうだが。でも、去年は本当にすごかったんだ」

照れ隠しの奥さんのフライパン捌きが。
そう付け足したセシルの顔は、思い出したのか少し青かった。



愛妻の日。名前から容易に想像できるだろう。
すなわち、妻を大事にしよう、という日である。

その日にちなんで、商店街では数々の贈り物等が列を成し、花屋や宝石店はこぞって「永遠の愛」の意味合いを持つ品々を軒先に並べた。
ちなみに大人気なのはチューリップなのだが、白色や黄色のチューリップは渡さないほうが良いとされる。
そしてこの日の一大イベントとなるのが大多数の人の真ん中で愛を叫ぶこのイベントだ。
見ず知らずの人の前で愛を告白するのだから、参加者は少数かと思いきや、意外と盛況だった。
今はそのイベントの、ちょうど後半。いよいよ野次馬も集まりだして本格的になってくるところである。



「あら? 次の人……様子が変ね」
「あぁ、本当だ」

違和感に気づいたのは、周囲とほぼ同時だった。
ざわ、とどよめきが不意に起こる。
どうやら人々の視線は台の中央へ向かっているらしい。何事だろう、と二人も人々の注目の中心地へと目を凝らす。

台に立っているのは黒いぽつりとした細身の影だ。
全身黒いローブを纏っているが、影から除くその髪は見事な金だった。確認できたのはそれだけだが、愛を叫ぶにはあまり相応しくない格好である。
司会者がしどろもどろに話を進行しようとするが、黒いローブの男は黙ったままだ。
その威圧感に不安のざわめきが聴衆の間で起こる。セシルも、もし混乱が起こったときに真っ先に行動できるようにと隣のローザを抱き寄せ剣の柄に手を伸ばした。

しん、と痛いほどの沈黙が支配する。
と、静けさに耐えられなかったのか黒のローブの男は突如行動を起こした。
彼は大声で何かを叫んだ後「これで満足か!」と吐き捨てどこかへ立ち去ってしまったのだ。音声が途切れたように会場が静まりかえる。

しかしやがて司会者が気を持ち直し次の参加者を読み上げると、再び元の活気を取り戻していった。
男が叫んだ言葉はセシルには聞こえなかったのだが、格好が少しだけ変わっていただけで、彼も立派な参加者だったのだろう。そうセシルは自分を納得させる。
隣に目をやると、ローザは笑いを必死にこらえていた。何がそんなにおかしいのだろうとセシルが眉をひそめると、ローザは慌ててセシルのほうを見る。

「気づいてないの?」
「なにが?」
「……いえ、なんでもないわ」ローザは笑いを引っ込めて、口元に指先をあてた。内緒話をするかのような仕草だった。「彼の名誉のためにもね」

知り合いかい?とセシルは聞こうとしたが、背後から呼びかける「父様、母様?」という声にかき消されてしまった。

「セオドア?」
「どうしてこんなところへ?」セオドアは率直な疑問を投げつけた。両手に大きな紙袋を持っていおり、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってきた。
「いやあ、ちょっと」とセシルは言葉を濁し、「そう、ちょっと」とローザもあわせる。「ちょっと、ですか」とセオドアは全てを悟ったかのように頷いた。
さすが家族。意思の疎通はお手の物である。しかし、四十六中愛の告白が聞こえてくるこの場でちょっとはないだろう。
気恥ずかしくなりそのままだんまりを決め込む両親にセオドアが慌てて話を変えた。

「あ、そういえばご覧になられました?」
「ん?」
「カインさん、これ出ていたんです」

ええぇっ!?と驚いたのはセシルである。まさか、カインに妻がいるとは思わなかったのだ。いつの間に!という心情である。
セシルの驚きようにびっくりしたのは話をふったセオドアだ。まさかこれほどまでに驚かれるとは思っていなかったので、思わず手に持った荷物を落としかけた。
ローザはそれを支えてやる。畳み掛けるようにセシルは話の口を切った。

「カイン、でてたのかい!?」
「あ、はい、というか無理やり僕がお願いするような形で……」
「あら、セオドアが?」

カインもよく了承したわね、とローザは呟く。セオドアとしては、まさか憧れの先輩のカインが、かつて自分の母に想いを寄せていたことは到底知らなかったのである。
うっかり地雷を踏むところはセシルにそっくりだ。ローザは残酷な遺伝の瞬間を垣間見た。
そしてそれをひっそりと自分だけの胸に秘めようと決める。

「そうか、カイン、結婚してたんだ……」

なんで僕に教えてくれなかったんだろうとセシルはしょんぼりし始める。
それを見かねたセオドアは「あの、妻というよりかは自分の……」と言い掛け、途中で「セオドア」とローザに止められた。

「……母様?」
「彼の名誉のためよ」

そうやって微笑んだ母の笑顔は、たいそう面白がっていた顔だと後にセオドアは記憶している。
名誉ってなんだろう。セオドアは考える。自分の竜の名前を叫んでいる竜騎士だっていたのになぁ。
作品名:愛妻の日 作家名:えーじ