西浦和の西の西
栄口が首に深緑色のマフラーをするようになり、季節はもうだいぶ冬に近づいて来ていた。もうやめにしてしまったら「あの場所」へ二人で行くことはなくなった。それで水谷と栄口の関係がどう変化したというわけでもなく、繰り返す毎日の中でそこだけストンと抜け落ちただけだった。栄口は特に水谷を避けるということもなく、いつもどおり屈託なく笑う。その態度は、何か変わると思い込んでいた水谷にとって少し寂しいものだった。
ある日の帰り道、水谷は自転車を押しながら歩いていると隣の栄口が急に歩みを止めた。何事かと思った水谷が栄口と同じ視線の先をたどると「あの場所」へ続く階段を大きな看板が塞いでいた。
栄口はおもむろにその看板まで小走りで近づき、暗闇の中、目を凝らして赤い文字で書かれてある「工事中につき関係者以外の立入を禁ず」という一文を復唱した。
「ここ切り崩して公民館だかホールだかができるんだって」
「墓は?」
「もう別のところに移したみたい」
「石碑は」
「わかんない、どっか捨てたんじゃないかな」
「金網は」
「栄口」
「砂場は、ブランコは」
「……」
その場にしゃがみこんでしまった栄口が次々と言葉を吐き、水谷が受け止められなかった分は暗い地面へと吸い込まれていった。何も言わなくなってしまった栄口の横に水谷もまた座り、その顔を伺うと何か放心したような表情をしていた。
「栄口、どうしたの」
「オレさ、だいぶ前から全部わかんなくなってるんだけど」
水谷がどうしたいのか、オレがどうしたいのかもうさっぱりわかんないんだ、と膝を抱え栄口は言った。
「オレだってわかんないよ」
そう水谷が返すと、栄口は「だよなぁ」と自分をも納得させるような口ぶりでつぶやいた。
ここで自分たちがしてきたことは一体なんだったんだろう。その証拠ですら無くなろうとしている。このまま全てなかったことにしてしまったほうがいいとわかっていても、そう割り切るにはまだ水谷は子供だった。
白い息を吐き出し栄口がまた「わかんないんだよなぁ」と繰り返したら、水谷は今まで伝えたかった感情にちょっとだけ素直になれた気がした。
「栄口、いつでもいいからさぁ」
「なに?」
「オレんち来ない?」
栄口の大きく開いた瞳の中に自分の姿がぼんやり映っていた。
少しの間黙りこくったあと栄口は立ち上がり、階段の先を見つめ、水谷に向かってこう話した。
「ひとつ条件があるんだけど」
「……何?」
「シャツ脱いでもいい?」
シャツでも靴下でも何でも脱げばいい、そして今までとこれからの自分たちについて考えよう。水谷はそう思った。