西浦和の西の西
金網を掴んだ栄口の指がひどく赤い。水谷はといえばどこかで見た注意書き『中に出さないこと』で頭が一杯だった。堪えた悲鳴とともに小さく身震いをした栄口が達する。握られた水谷の手から溢れ、濁が土へと落ちた。整わない栄口の呼吸と同じように中が収縮し、締め付けてくるので、水谷は慌ててそこから引き抜いた。少し間に合わなくて栄口の太もものあたりに精液がかかってしまった。汚してしまった。水谷は多少の後悔を含み、改めてさっきまで身体を合わせていた相手を見た。
水谷が汚してしまったのは太ももだけではなく、栄口のすべてだった。栄口は未だ早く浅く呼吸を繰り返し、こちらを振り返ろうとはしない。背中まで邪魔そうにたくし上げたワイシャツ、下ろしたズボンと下着にからまる脚と脚の間の奥では栄口が出した精が地面へ染み込んで染みになっていた。太ももにはてらりと水谷の出したそれが光る。
その姿は今まで見てきたことのあるどんなものよりも卑猥で欲情的だった。
自分は同じ部活の仲間を、秘密の場所を共有していた友達を、こんなふうにぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。
優越感に浸っていたのはほんのわずかで、お互い我に返って乱れた衣服を整えだす頃にはそんな気分じゃなくなっていた。水谷は栄口へ何と言葉をかけていいかわからない。「どうだった?」とか「痛くなかった?」などとは陳腐すぎて聞けない気がした。
「オレさぁ」
ズボンのベルトを閉め直しながらようやく栄口は会話らしい会話を始めた。
「お前のこと大切な友達だと思ってたんだけどな」
「……今は?」
「よくわかんない」
期待していた分、ガクっと気持ちが折れた。栄口の言い分は間違っていない。友達とこんなことはしないだろう。二人が同性だったら尚更だった。
「大切な友達」というポジションを投げ打って手に入れたものは、もっと大きな秘密とよくない遊びだった。
水谷があの場所を見つけたのは本当にたまたまで、多分歩いて帰らなければ一生気づかなかっただろう。あの景色とひっそりとした空間を誰かに教えたいと思ったとき、最初に思い浮かんだのが栄口の顔だった。他の奴にそのことを話さなかったのは多分、少なからず栄口を独占したいという子供じみた感情があったからだ。
栄口は誰とでも仲が良く、そんな彼のことを嫌う人はいない。自分は栄口が平等に笑いかける大勢のうちのひとりだと気づいたらすごくむかむかして、その後すぐこんなことを考えてしまうオレはおかしいと水谷はしぼんだ。もう高校生なのに栄口が自分以外の誰かと話しているだけで仲のいい子を取られた幼稚園児のように気分が悪くなった。
あの場所は誰にも邪魔されず栄口と二人きりでいることのできる場所だったし、そういう秘密を共有することによって危うい自分の感情をコントロールできていたように思えた。
大事な友達にあんなことをして後悔がないといったら嘘だ。けれどそれ以上に多分普通に友達づきあいをしていたらずっと知りえることのない栄口の姿を見れたから、水谷の後悔はあっという間にそれによって上書きされた。
切ない声を出して喘ぐ栄口、おずおずと足を開き水谷を受け入れる栄口。栄口の掴んだ金網がひときわ激しく震え、足元へ生えている草へ自分の濁をはたはたと落とす姿に征服欲が満たされる。
なぜか栄口が拒むことはなかった。「行かない?」と言うと曖昧に返事を返す。けれど栄口の方から「あの場所」へ行こうと誘ってくることもなかった。
あれから何度とそれを繰り返したが、している最中に誰かが訪れることもなく、また学校で「あの場所」でホモがセックスしているという噂が立つこともなかった。
長袖シャツに一枚上着を羽織りたくなるような気候になってきた頃、水谷はふとこれからのことを考えた。日に日に気温は下がり、太陽が沈むのも早くなってきている。さすがに冬になったら「あの場所」へは誘いづらいような気がした。
多分自分が「しない?」なんてけしかけなければ、暖かい飲み物と肉まんなんかを買い、吐く息もだいぶ白い夜になりかけの「あの場所」で一緒に一番星を見ることだってできたはずだ。
今の二人があの場所に行くと、荒っぽいキスのあと、これからするすべてのことを理解している栄口は手際良くズボンを下ろし、金網に手を付く。水谷もまた手短に済ませようとジッパーを下ろし、前をはだける。あらかたのことが終わったら階段下ですぐ解散する。
「じゃーな」
「……おう」
水谷の後悔の影は日に日に伸び、今やすべてを覆い尽くしそうだった。ああいうことになる前、確かに「あの場所」で栄口と笑いあいながらくだらないことを話していたのに、それすら遥か遠くで霞む記憶になってしまっていた。元には戻れないってどうしてあの時気づけなかったのか。していることは大人と変わらないのに、中身は思慮が浅い、まだ十五歳の子供だからなのか。
(オレはただ栄口と一緒にいたかっただけなのに、どうしてあんなことになっちゃったんだろう)
追いかけて背中のリュックを掴むと、栄口は少し驚いたような顔で振り返った。すぐ近くで向かい合っているのに、信じられないくらい遠くにいるように感じた。もう届かないと思ったら、そうして何になる? という疑問にもかまわず全部壊したくなった。
「こういうのさ」
「こういうのって何」
「……二人でするの」
「ああ」
思い当たった栄口が目線を上げ、見つめられた水谷は、ぐっと胸が詰まった。
「もうやめにしない?」
「……わかった」
何らかの反応を期待していたのに栄口はとても静かだった。怒ったり泣いたり、まさか喜んだりということもなく、理由を問いただしもしなかった。
もう一度「じゃあな」と言った後。栄口が夜の闇の中へ溶けていく背中をただ立ち尽くしながら見ていた。
つまり栄口の中であれは、自分が思っている以上に大したことではなかったことをようやく水谷は知った。