カメラトーク
「でさー、どう思う?」
「……うん」
「水谷ー?」
「……うん」
「お前人の話聞いてないだろ」
「……うん」
「み・ず・た・に!」
大きな声に目が覚めて隣を見ると、呆れた顔の栄口が自分を見ていた。慌てて水谷は謝ったけれども、栄口は今までしていた話の続きはしなかった。水谷もまさかぬけぬけと聞き返せなかったので、路面に二人が立てる足音を気まずそうに耳に流した。
実際のところ今水谷の思考回路は、ピンクの封筒とその中に入っていた自分の写真がぐるぐると回っていた。なんで?どうして?そうは思っていても、隣を歩く栄口には絶対言い出せなかった。自分はやましいことをしたのだから。
「水谷さぁ、誰かと付き合うってどんな感じなんだろうなぁ」
「ふぇ!?」
「オレよくわかんないんだよな、実際」
栄口は歩幅より少し先の地面を見ている。悩み事があるサインだ。ここでふざけてしまったら本当に自分は愛想をつかされるだろう。水谷は慎重に言葉を選ぶ。
「俺もよくわかんないけど、大事なものとか、大切なものが増えるってことじゃないの?」
そう返した水谷の脳裏にピンク色の封筒がよみがえる。なんだってまた、あんなファンシーな封筒に入れて大事に俺の写真を持っているんだろう。大事。だいじ……。なにか掴めそうな感じがする。
「じゃあオレには無理だ」
無理では無いはずだ。栄口は気立てが良くてみんなに優しい。きっとそれは女の子に対してもそうであり、栄口の彼女になる女の子は幸せだと想像できる。それなのにどうしてこれから増えるであろう幸せを自分から避けてしまうのか。
「オレこれ以上そういうの増やせない」
「でも彼女とかできると楽しいかもよー?」
「楽しいんだろうなとは思うよ。けどさ、」
オレは多くを望みたくないんだ。たとえ多くを失っても。
吐き出そうとして思いとどまった。こんなこと水谷に話してしまったら、水谷を余計に困惑させてしまうだろう。
自分の言葉を待っている水谷に、やっぱりなんでもないと返したら、いきなり手を握り締められた。
「むむむ無理じゃないって!」
「み、みずたに?」
「栄口なら絶対大丈夫だよ」
お前はまたどこからそういう根拠のないことを。栄口は呆れたが、見つめ返す水谷の目には力があった。
「そうかな」
「そうだって」
手のひらから伝わる水谷の体温があたたかい。おかしいよ水谷。お前はどうしてオレの思いつめている部分をやさしく溶かしていくのかな。バカだからかな?そう言ったらお前は怒るんだろうな。ああでも、それさえオレを。
じわりと涙腺が緩むのを感じた栄口は、繋いだ手を大きく前後に振ってごまかした。遠心力を持った腕はブランコのように沈みかけた夕陽へ勢いよく投げ出される。
「できるとこからはじめればいーんだって」
「たとえば?」
「お、俺のこと大事にすればいいじゃん!」
「はぁ?やだよ」
「え!なんで!?」
「お前調子に乗るだろー?」
ずいぶんと情けない顔をして水谷が硬直した。というのも当然で、水谷は栄口に告白したつもりだった。
悩んでいた栄口を見たら、ピンクの封筒と写真の意味を霧が晴れるように理解してしまった。要するに栄口は自分を好きでいることをあきらめようとしていたのではないか。
それは壮大な誤解だった。
けれどその誤解は今まで自分自身でさえ不可解だと思っていた行動をすべて明らかにしてしまった。なぜ毎日適当な用を作っては1組まで出かけてしまうのか、なぜ嫌われるのを覚悟してまでもピンクの封筒の中身を知りたかったのか、全部理由がついてしまったのだ。
(俺も栄口のことが好きなんだ)
そんな水谷の覚悟もいざ知らず、栄口は人目が気になりはじめた。練習後でもう日は落ちているけれども、男同士で手を繋いで歩いているなんて誰かに勘違いされたらどう言い訳すればいいのか。
「つーか、いい加減手離してくれー」
「やだ、こうなったら意地でも離さないもん」
「変なとこで意地張るなよ!」
「いーやーだ!絶対やだ」
「オレの手、汗かいてきてるんだけど」
「そんなの俺だって」
「じゃ離せよ」
「いやです」
「勘弁してくれよー……」
栄口が本気で嫌がりだしたので、水谷は内心焦りながら交換条件を出すことにした。
「携帯で写真撮らせてくれたら手離してもいいよ」
「なんだよそれ」
「いいじゃん栄口も俺のこと撮ってたじゃんかよぉ」
だいぶ湿ってきた手を大げさに振りながら駄々をこねるものだから栄口は渋々承諾した。
「早く撮れよ」
繋いだ手を振りほどき、水谷のほうに向き合う栄口は少し照れたようだった。
水谷はぶれる手を片手で押さえ、残りわずかな陽の光を拾い、栄口の姿を画面に捉える。そんな無愛想な顔しないで笑ってよ、と提案したら余計にしかめっ面になったその表情を、間の抜けた電子音とともに携帯に収めた。
「変なことに使うなよ」
一瞬にして自分の思考が読まれてしまったのかと水谷が危ぶんだが、栄口はチェーンメールとかに使うなよと忠告しただけだった。
栄口と別れたあと、携帯を開いて確認してみる。画像は薄い青の中でぼんやりとしていたけれど栄口が確かに写っていた。かろうじて確認できるその、少し迷惑そうな顔をした栄口に思わず水谷の頬が緩む。
なんだか恥ずかしくて画面の栄口と目が合わせられない。栄口も自分の写真を眺めてこんな気持ちになったのだろうか。
(俺を好きになってよかったなーって思ってほしい)
(いやでも俺も栄口も男なんだよね)
(まぁそれは、あとあと、なんとか)
水谷は新しく自分の前に開けた道に希望を抱き、そこから見えるであろう景色をひとり妄想しながら家路をたどった。