「楽園の作り方」4
「・・・大丈夫ー?聞こえるー?」
ぼんやりとした意識の中、誰かの声が聞こえる。
「ああ、はい。聞こえます」
反射的に答えると、軽く揺さぶられて、
「終わったからねー。起きていいよ。気分はどう?」
「え?あ、大丈夫、です」
瞬きしながら声の方を向くと、ネコマさんが笑っていた。
頭を振って周囲を見回す。
いつの間にか、外は薄暗くなっていて、俺はソファーに座っていた。
「まだ少しぼーっとするかもね。プログラムの異常はなかったから、大丈夫だよ」
「あ、はあ」
「後、念の為、頭部を見させてね」
「え、うわっ!」
いきなりのし掛かられ、両手で頭を掴まれる。
「な、何すっ!」
「だーいじょうぶだから、大人しくしてて☆僕は直すのが専門だから、さ」
体をソファーに押しつけられ、身動きが取れなくなった。
もがいても、相手はびくともせず、慣れた様子で髪をかき分ける。
「暴れると、痛いことしちゃうよ?痛い方が好きなのかな、君は?」
「・・・だから、好きじゃありません」
観念して、されるがままになった。
そのほうが、結局早く終わるだろうし。
マスター、どうしてるだろう。早く帰ってこないかな。
あのソウイチって人が、いなければいいけれど。
やっぱり、無理にでもついていけば良かった。
マスターを一人で、本家に行かせるなんて。
「はい、終わりー。特に異常はないみたいだね」
言葉とともに、ネコマさんは俺から離れる。
やっと解放されて、ほっと息をついていたら、
「じゃ、僕は帰るからねー。名刺に連絡先は書いてあるから、何かあったら電話して」
ネコマさんはそう言って、ノートパソコンを鞄にしまった。
「ああ、はい。ありがとうございます」
「そうそう。君のマスターに伝えておいて。『この世に神なんていない』ってね」
「はい?」
驚いて聞き返したけれど、ネコマさんはひらひらと手を振って、
「見送りはいらないよ♪じゃーねー」
鞄を手に、さっさと出て行ってしまう。
その姿を見送りながら、さっきの言葉は、ただの偶然だろうかと考えていた。
「ただーいまー」
「お帰りなさい、マスター」
玄関で靴を脱いでいるマスターに、麦茶の入ったコップを差し出す。
「用意がいいね。ありがと」
マスターは笑いながら受け取ると、ぐいっとあおった。
白い喉が、二、三度上下する。
「あの・・・大丈夫でしたか?」
「ん?何が?」
手のひらで口元を拭いながら、マスターは首を傾げた。
その様子は、いつものマスターらしくて、俺は内心ほっとする。
「えっと、あの、一緒に行かなかったから、何かあったかと思って」
「ああ。大丈夫。カイトの方は、どうだった?」
「え、あー、大丈夫です。特に異常はないので、何かあったら、ここに連絡して欲しいそうです」
そう言って、マスターにネコマさんの名刺を渡した。
「そう。何もないなら、良かった」
にこっと笑うマスターに、ネコマさんから伝言があることを思い出す。
でも・・・言っていいんだろうか・・・。
「どうしたの?」
「あっ、あの、修理にきた人から、マスターに伝言が」
ネコマさんの言葉をそのまま伝えると、マスターは首を傾げて、
「その人が、そう言ったの?修理にきた人が?」
「はあ・・・」
「ふーん。変わった人だね。僕、先に着替えて、シャワー浴びてくる。夕飯はその後でいい?」
「あ、はい、大丈夫です」
気に障った様子もないマスターに、安堵した。
確かに変わった人だったし。
特に意味はないのかな。
マスターが寝室に行くのを見送ってから、俺は空のコップを持って、キッチンに向かう。
それっきり、ネコマさんのことは忘れてしまった。
次の日は一日家にいて、マスターが録画しておいた古い映画を、一緒に見る。
それはモノクロの洋画で、字幕を読んでいても話の内容についていけなかった。
・・・とりあえず、この男性が主人公なんだろうなあ。
若く整った顔立ちの男性は、野暮ったいコートに身を包み、帽子を斜めに被っている。
まっすぐに直したい衝動にかられつつ見ていたら、
「退屈?」
「え!?い、いえ、そんなことは」
「古い映画だからね。僕も、内容は良く分かんないけど、この歌が好きなんだ」
マスターが言った通り、ドレスに身を包んだ女性が、掠れた声で歌いだした。
悲しげな曲調の歌は、どうやら別れた恋人への思いを綴ったものらしい。
マスターは、こういう歌が好きなのか。
この歌を覚えたら、マスターは喜んでくれるだろうかと考えていたら、
「これなら、教えられるかも」
「え?」
「楽譜はないけど、この曲なら歌えるから。やってみる?」
首を傾げて問いかけるマスターに、俺は勢い良く頷いて、
「はいっ!お願いします!」
「そんなに嬉しい?」
マスターは、くすっと笑うと、
「そう言えば、まともに歌えたことないもんね。あの楽譜の山からは、歌えそうなのが見つからなかったし・・・。うん、カイトが歌ってくれたら、きっと喜ぶよ」
そう言ってから、マスターは眼を伏せて、
「カイトの声がね、好きだって言ってたから」
「マスター?」
聞き返したけれど、マスターは黙ってリモコンを手に取る。
「もう一回、今度はちゃんと聞いて。楽譜がないから、耳で覚えないとね」
「あ、はい」
マスターは、誰のことを考えているのだろうと思いながら、巻き戻される画面を見つめた。
何度も歌を聴いて、少しずつ復唱していく。
楽譜がないうえに日本語ではないので、俺は悪戦苦闘しながら歌を繰り返した。
「カイト、疲れない?大丈夫?」
「大丈夫です。もう一回・・・」
早く覚えてしまいたくて、何度も何度も歌う。
気が付いたときには、窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。
時計を見上げて、驚きのあまり目を見張る。
「うわ、もうこんな時間!ごめんなさい、マスター、夕飯・・・」
振り向くと、マスターはクッションに頭を乗せて、すやすやと眠っていた。
ああもう!馬鹿馬鹿!!マスターは疲れてるのに、全然気づかなかった!!
起こさないよう、そっと立ち上がると、寝室に向かう。
毛布を手にリビングに戻ると、マスターの体にそっと掛けた。
細い体が、呼吸とともに上下する。薄く開かれた唇から、時折不明瞭な呟きが漏れた。
・・・・・・・・・・・・。
そっと、顔を覗き込む。
間近に見るマスターの顔は、信じられないくらい綺麗だった。
これで息してなかったら、本当に人形と間違えるな。
そろそろと手を伸ばし、頬にかかる髪をかきあげた。
柔らかく滑らかな肌に、そっと手のひらを当てる。
「マスター・・・」
「んっ・・・」
微かな声を上げて、マスターが身じろぎした。
!?
慌てて手を引っ込めると、急いで体を離す。
あああ危なかった危なかった!!いや、しないけど!!何もしないけど!!!
マスターは、ぶつぶつと何事か呟いてから、ふーっと息を吐いて、また眠りに落ちる。
俺は、ほっとため息をつくと、ずり落ちた毛布を掛け直した。
明け方近くなって、マスターは目を覚ました。
ぼんやりとした意識の中、誰かの声が聞こえる。
「ああ、はい。聞こえます」
反射的に答えると、軽く揺さぶられて、
「終わったからねー。起きていいよ。気分はどう?」
「え?あ、大丈夫、です」
瞬きしながら声の方を向くと、ネコマさんが笑っていた。
頭を振って周囲を見回す。
いつの間にか、外は薄暗くなっていて、俺はソファーに座っていた。
「まだ少しぼーっとするかもね。プログラムの異常はなかったから、大丈夫だよ」
「あ、はあ」
「後、念の為、頭部を見させてね」
「え、うわっ!」
いきなりのし掛かられ、両手で頭を掴まれる。
「な、何すっ!」
「だーいじょうぶだから、大人しくしてて☆僕は直すのが専門だから、さ」
体をソファーに押しつけられ、身動きが取れなくなった。
もがいても、相手はびくともせず、慣れた様子で髪をかき分ける。
「暴れると、痛いことしちゃうよ?痛い方が好きなのかな、君は?」
「・・・だから、好きじゃありません」
観念して、されるがままになった。
そのほうが、結局早く終わるだろうし。
マスター、どうしてるだろう。早く帰ってこないかな。
あのソウイチって人が、いなければいいけれど。
やっぱり、無理にでもついていけば良かった。
マスターを一人で、本家に行かせるなんて。
「はい、終わりー。特に異常はないみたいだね」
言葉とともに、ネコマさんは俺から離れる。
やっと解放されて、ほっと息をついていたら、
「じゃ、僕は帰るからねー。名刺に連絡先は書いてあるから、何かあったら電話して」
ネコマさんはそう言って、ノートパソコンを鞄にしまった。
「ああ、はい。ありがとうございます」
「そうそう。君のマスターに伝えておいて。『この世に神なんていない』ってね」
「はい?」
驚いて聞き返したけれど、ネコマさんはひらひらと手を振って、
「見送りはいらないよ♪じゃーねー」
鞄を手に、さっさと出て行ってしまう。
その姿を見送りながら、さっきの言葉は、ただの偶然だろうかと考えていた。
「ただーいまー」
「お帰りなさい、マスター」
玄関で靴を脱いでいるマスターに、麦茶の入ったコップを差し出す。
「用意がいいね。ありがと」
マスターは笑いながら受け取ると、ぐいっとあおった。
白い喉が、二、三度上下する。
「あの・・・大丈夫でしたか?」
「ん?何が?」
手のひらで口元を拭いながら、マスターは首を傾げた。
その様子は、いつものマスターらしくて、俺は内心ほっとする。
「えっと、あの、一緒に行かなかったから、何かあったかと思って」
「ああ。大丈夫。カイトの方は、どうだった?」
「え、あー、大丈夫です。特に異常はないので、何かあったら、ここに連絡して欲しいそうです」
そう言って、マスターにネコマさんの名刺を渡した。
「そう。何もないなら、良かった」
にこっと笑うマスターに、ネコマさんから伝言があることを思い出す。
でも・・・言っていいんだろうか・・・。
「どうしたの?」
「あっ、あの、修理にきた人から、マスターに伝言が」
ネコマさんの言葉をそのまま伝えると、マスターは首を傾げて、
「その人が、そう言ったの?修理にきた人が?」
「はあ・・・」
「ふーん。変わった人だね。僕、先に着替えて、シャワー浴びてくる。夕飯はその後でいい?」
「あ、はい、大丈夫です」
気に障った様子もないマスターに、安堵した。
確かに変わった人だったし。
特に意味はないのかな。
マスターが寝室に行くのを見送ってから、俺は空のコップを持って、キッチンに向かう。
それっきり、ネコマさんのことは忘れてしまった。
次の日は一日家にいて、マスターが録画しておいた古い映画を、一緒に見る。
それはモノクロの洋画で、字幕を読んでいても話の内容についていけなかった。
・・・とりあえず、この男性が主人公なんだろうなあ。
若く整った顔立ちの男性は、野暮ったいコートに身を包み、帽子を斜めに被っている。
まっすぐに直したい衝動にかられつつ見ていたら、
「退屈?」
「え!?い、いえ、そんなことは」
「古い映画だからね。僕も、内容は良く分かんないけど、この歌が好きなんだ」
マスターが言った通り、ドレスに身を包んだ女性が、掠れた声で歌いだした。
悲しげな曲調の歌は、どうやら別れた恋人への思いを綴ったものらしい。
マスターは、こういう歌が好きなのか。
この歌を覚えたら、マスターは喜んでくれるだろうかと考えていたら、
「これなら、教えられるかも」
「え?」
「楽譜はないけど、この曲なら歌えるから。やってみる?」
首を傾げて問いかけるマスターに、俺は勢い良く頷いて、
「はいっ!お願いします!」
「そんなに嬉しい?」
マスターは、くすっと笑うと、
「そう言えば、まともに歌えたことないもんね。あの楽譜の山からは、歌えそうなのが見つからなかったし・・・。うん、カイトが歌ってくれたら、きっと喜ぶよ」
そう言ってから、マスターは眼を伏せて、
「カイトの声がね、好きだって言ってたから」
「マスター?」
聞き返したけれど、マスターは黙ってリモコンを手に取る。
「もう一回、今度はちゃんと聞いて。楽譜がないから、耳で覚えないとね」
「あ、はい」
マスターは、誰のことを考えているのだろうと思いながら、巻き戻される画面を見つめた。
何度も歌を聴いて、少しずつ復唱していく。
楽譜がないうえに日本語ではないので、俺は悪戦苦闘しながら歌を繰り返した。
「カイト、疲れない?大丈夫?」
「大丈夫です。もう一回・・・」
早く覚えてしまいたくて、何度も何度も歌う。
気が付いたときには、窓の外はすっかり暗くなってしまっていた。
時計を見上げて、驚きのあまり目を見張る。
「うわ、もうこんな時間!ごめんなさい、マスター、夕飯・・・」
振り向くと、マスターはクッションに頭を乗せて、すやすやと眠っていた。
ああもう!馬鹿馬鹿!!マスターは疲れてるのに、全然気づかなかった!!
起こさないよう、そっと立ち上がると、寝室に向かう。
毛布を手にリビングに戻ると、マスターの体にそっと掛けた。
細い体が、呼吸とともに上下する。薄く開かれた唇から、時折不明瞭な呟きが漏れた。
・・・・・・・・・・・・。
そっと、顔を覗き込む。
間近に見るマスターの顔は、信じられないくらい綺麗だった。
これで息してなかったら、本当に人形と間違えるな。
そろそろと手を伸ばし、頬にかかる髪をかきあげた。
柔らかく滑らかな肌に、そっと手のひらを当てる。
「マスター・・・」
「んっ・・・」
微かな声を上げて、マスターが身じろぎした。
!?
慌てて手を引っ込めると、急いで体を離す。
あああ危なかった危なかった!!いや、しないけど!!何もしないけど!!!
マスターは、ぶつぶつと何事か呟いてから、ふーっと息を吐いて、また眠りに落ちる。
俺は、ほっとため息をつくと、ずり落ちた毛布を掛け直した。
明け方近くなって、マスターは目を覚ました。