最初はグー
僕の出した手の形に水谷は目を丸くする。僕はチョキで水谷はグー。
お前の勝ち、そう告げ軽く口付けた唇から、なんで、という正直な言葉が漏れた。
ジュースを渡したときのじゃんけんが引っかかっていた。あの時水谷は今と同じようにチョキを出し僕に勝った。ということはこういう取り決めのときいつも無意識に負けているのわけではないということだ。その予想はどうも間違っていなかったようだ。
「なんで、じゃないよ、今日は水谷が、」
「やだやだ!ぜったい無理!!」
頭ごなしに拒否されてしまうと辛いものがあるけれど、水谷は僕を拒否しているのではなく、自分がすることに怯えているようだった。
「わざと負けてた?」
僕が吐いた言葉に水谷の肩がビクリと震えた。やっぱりそうだったのか。疑惑は確信へと変わる。
「……お前なんでそういう変な気ぃ使うの?」
「だ、だって俺ヘタじゃん」
そんなことを気にしているとは夢にも思わなかった。水谷が下手なのか上手いのか比較対象がないからよくわからないけれど、とりあえずそんなに落ち込むほどじゃないと思う。
「ヘタじゃないよ」
「でも栄口のほうが巧いもん」
「だから、そういう問題じゃなくて……」
僕が慰めようとかけた言葉が、どうやらより水谷のコンプレックスを刺激してしまったようで、当の本人はどんよりとした目つきで固く体育座りをしている。そういうつもりじゃなかったのにな。前々からおかしいとは思っていたけど快楽に溺れその疑問をすっかり忘れていた自分に嫌気が差す。
「ていうか、そういう水谷に気づいてやれなくてごめん」
「なんで栄口が謝るの?悪いのは俺じゃん」
「水谷は悪くないよ」
それからはもうグダグダ。片方が否定したら、それを覆すようにもう片方が否定するのを繰り返し、すっかり消耗してしまった。僕たちはなぜか体育座りで床に目線を落としお互い自己嫌悪に陥っている。生産性のない二人だ。
言わなければ良かったのかな?気づかない振りしてれば良かったのかな?重い空気の漂う部屋から後悔が圧し掛かる。でも僕は無理をする水谷がすごく嫌だったから仕方ない。あいつは何にも考えないでバカ言ってくれるのが一番いいし、僕もそれでとても幸せだと思う。
「はじめてしようとしたときさぁ」
相変わらず下を向いている水谷がポツリとつぶやいた。
「俺全然ダメだったじゃん」
そういうことを、ましてや男同士でなんてしたことが無い僕たちは、勝手が分からなかったし決意も足りなかった。何をどうすればセックスという行為になるのか予想はついていたけど、頭の中で繰り返した妄想はいざという時全く役に立たず、お互いの部屋でそういう雰囲気になり「じゃあしようか」と身体を合わせてもなかなかうまくいかなかった。
「んで、えーと、何回目だっけちゃんとしたの」
「確か3回目じゃなかったっけ?」
「そーそー、3回目にやっとさぁ、しかも部室で」
「あはは、なつかしー、部室だったなぁ」
あの日は練習後で二人とも薄汚れていて汗臭く、部室は埃っぽかった。けれど短い点滅を繰り返す蛍光灯の下、絡めた舌を名残惜しそうに離す仕草を見たらそういうマイナス要素は消え去った。
汗で身体に貼りつくワイシャツ、足に絡みつく下ろしただけの下着とズボンよりも、熱が自分を侵食していく箇所がひどく窮屈だった。力が抜けた腕の替わりに肩で身体を支え、腰に打ちつけられる痛みを両手で口を押さえ噛み殺した。
徐々に早くなる水谷の息継ぎや、肌と肌がぶつかるたびにする卑猥な音を聞きたくなくて、だらしなく垂れた水谷のベルトが床に立てる金属音に意識を集中させていた。
思い返してみると僕たちは急ぎすぎだったのかもしれない。
しかしあの夜、一緒に越えるなら今だ、今しかないと確かに思ったのだ。
「終わったころにはとっぷり夜でさ、ハラ減りすぎてコンビニでパン買ったよね」
「オレ腰痛くてヒィヒィ言ってんのにお前隣でむしゃむしゃ食ってたな」
よれよれの僕はもう食欲もコンビニに入る気力も無かったので、軒先にしゃがみこんで買い物をする水谷を待っていた。ついに僕と水谷は戻れないところまできてしまったんだなという実感が鈍痛と共に身に滲みてくる。明日の朝練に出れるだろうか、そう思っていると自動ドアから出てきた水谷がビニール袋からペットボトルを取り出し、僕に差し出した。
「でも俺、栄口大変そうだなーってサイダー買ってあげたじゃん」
ああそう、確かにサイダーだった。なんで炭酸なんだ、普通こういう時ってポカリかなんかじゃないの?恨めしげに語る僕に水谷はケロっとした顔で、栄口それ好きじゃんと返し、でも回し飲みさせてねと図々しくも言い放った。
「水谷がほとんど飲んだくせに買ってあげたもなにもねーよ」
「うへー、さかえぐちくん結構覚えてるんですね」
「水谷こそ」
「忘れられないよー、だって忘れたくないんだもん」
水谷が体育座りの身体をぐらりと傾け僕に寄り掛かかる。しばらくその体勢のままぼんやりとどこかを見つめたあと、うなだれながらポツリポツリと語りだした。
だって俺ぜんぜんうまくなんないじゃん。俺としてるとき栄口辛そうだし、栄口は俺のこと置いてどんどん上手になっちゃうしさぁ。どうやったらうまくなるかわかんねーし。俺才能ないんじゃないの?
ひとつひとつのつぶやきに丁寧に相槌を打つと、すべてを吐き出したらしい水谷がその体重を僕に預けてくる。肩から伝わる体温が愛しい。
「……じゃあ初心に戻ってみる?」
思わず口からこぼれた、ひどく陳腐な誘い文句に自分でも呆れてしまった。
しかし水谷は肩に掛ける体重を急に重くしてなし崩しに僕を押し倒した。おでこを合わせて短いキスを落とす水谷は真っ赤で、なぜか涙目だった。顔をうずめた首筋のあたりから小さな嗚咽が聞こえた。震える背中をさすろうとした手をぶっきらぼうに絡め取り、水谷は泣きながら僕の衣服を剥いでゆく。
今まで何度身体を重ね、いつのまにか僕が水谷を攻めるようになっても、あの夜のことは二人とも鮮明に覚えている事実に少し笑った。
僕たちはあれからすごく変ったようで、でも根元のところは何も変っていなかったのがとても嬉しかった。