二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」
そらいひる
そらいひる
novelistID. 22276
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

無貌に紅差す

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
無貌に紅差す


白い顎へ指を添わせ、そっと上へ持ち上げる。小さな強要にも久秀は従順だった。
息の触れる程に互いの顔が近い。その眼が閉じられていなければ、きっととうに自分を失っていたのだろうなと慶次は苦笑する。
こんなに近くで、あの底暗い眼でにたりと微笑まれたのなら、きっとどうにかなってしまうだろう。

くすりと笑った気配が久秀の睫毛を揺らす。訝しげな眼が閃きそうになるのを「待って、まだ開けちゃ駄目だよ」と留めて、慶次は貝殻に入れた紅を開けた。
極細い筆の先に朱を浸す。余分な朱を懐紙で確りと吸い取りると水平に銜える。

筆を銜えたまま、慶次は両手で久秀の頬を包み込む。掌に吸い付く様に艶めいているのに乾いて冷たい肌だった。
その感触を愛おしんで、両の親指で下がってしまった顎を再び持ち上げる。

左手で顎を固定し、口に銜えた筆を右手に持つ。細い筆先を閉じた目頭に当てる。青く血筋の浮く薄い皮膚が、ひくりと小さく痙攣した。
動かないで、と慶次は小さく強かに諌めた。ほんの僅かな狂いが醜くさせる。久秀を自らの手で貶めるのは、どんな形であれ慶次は嫌だった。
慶次は息を止める。そして、ゆっくりと筆を動かして眼の縁を筆先でなぞる。極細い線が久秀の目蓋に引かれてゆく。
目尻の窪みにそっと筆の腹を押し当てて僅かに濃く朱を残し、線を引き切る。同時に慶次は詰めていた息を解いた。

―――松永さんに化粧してみたいな。

何気なく零した言葉が始まりだった。
久秀の伏せた睫毛が目許に濃く影を落としているのを見て、化粧が似合いそうだと思ったのだ。
彫りの深い、静かな表情を浮かべる顔にはきっと激しい赤が合いそうだと。思ったことが口に出る性質で、その時もついぽろりと零れてしまった。
しまったと思った時、久秀は書を書く手を止めて慶次を見ていた。恐ろしい程の無表情で見詰めてくる久秀に慶次は咄嗟に謝ろうとした。
殴られると思ったのだ。化粧をしてみたいと言われ喜ぶ男はいない。久秀ほどの年嵩ならば尚更だ。

「卿は化粧ができるのかね」

慶次はきょとんと目を丸くした。薄ら寒い無関心で見詰めて来た久秀の、思いがけぬ問い掛けだった。
冷やかな侮蔑を受ける覚悟をしていた慶次は肩透かしを食らわされた様な心持で、眼を瞬いた。

「まぁ、そりゃあ…。玄人とまでは行かないけど、それなりに」

慶次は手先が器用で、好きな事ならば覚えが早い。慶次は傾奇を好むから、女の衣装を着たり自ら紅を差してみたりする。
ある時茶屋に出入りする化粧師から手解きしてもらい、それからは自分だけでなく人にする楽しみも覚えた。化粧師に頼む金の無い舞妓や町娘なんかに時折頼まれては施す事もある。

「では、頼もうか」
「は? え…、えぇ!?」
「卿がしてみたいと言ったのだろう?」

機嫌が良かったのかもしれない、単なる気紛れかもしれない。あるいはどちらともかもしれない。
それでも慶次は嬉しかった。久秀が自ら差し出した望みが、自分へ差し出されたのだと嬉しかった。


久秀は大人しく、慶次の言うなりにしている。顔を上げて、下を見て、上を。動かないで。少し眼を開けてみて。
慶次の言う通りに久秀は動く。座したきり肩の一つも揺らさない。只管無心に人の容をした人でない何かであるよう心がけているようだった。
慶次も無心に久秀の顔に彩りを加えてゆく。鼻先を寄せ合い息が触れ合うほど近くにいても、慶次の胸を波立たせない。
慶次の心は最早久秀に恋うる男のものでなく、画紙に向かう絵師の境地にいた。彩りを重ねれば重ねるほど空白が満ちてゆく。慶次は没頭していった。

久秀の切れ長の眼も、彫の深い目頭も、通った鼻筋も、薄い唇も、色を重ねる程に鮮やかさを増してゆくようだ。
貝殻の数も増えてゆく。散らばる色彩は赤を基調に淡いものから濃いものまで様々な深みを持ち、その全てが久秀の為に使われた。
慶次はがちりと筆を水平に銜え、産毛の如く細やかに割いた雁の羽根を楊枝の先に乗せた。
羽根は紅柄を溶いたものに浸して暗い赤褐色に染め、毛先に金粉を塗したものだ。
息をせぬよう筆の柄を噛み締めて、久秀の睫毛ひとつひとつに羽飾りを乗せてゆく。
眼のごく近くに尖った先を向けられても久秀は微動だにしない。例え慶次が己の目を貫き潰したとしても決して動かぬのだろう。
慶次が絵師ならば久秀は画紙だ。絵師の筆先で思うまま彩られ理想の美しさを表現される、実像を持った画紙だ。

慶次が新たな貝殻を取り出した。軟膏に猩猩緋を練り合わせた一際きつい赤色の紅だ。
慶次は小指の先を浸すと、ほんの少量紅を移し取った。無骨な指先に乗せられた鮮烈な赤はゆっくりと、久秀の唇に運ばれた。
下唇の膨らみから左右へ紅を延ばしていく。小指の先まで温かい慶次の指先になぞられ強張る紅もゆるゆる溶けて、冷たい唇を鮮やかに彩った。

慶次が腕を伸ばし、久秀の髪を纏めている組紐を解いた。ばらりと肩に落ちた髪をそっと払い毛先を梳く。
大きく息を吐いて慶次は久秀から離れた。そっと身を離す慎重な仕草は、僅かな揺らぎで崩れ落ちるのを怖れているようだった。鏡を、と久秀が望む前に慶次が手鏡を差し出す。

磨かれた鏡面には覗き込んだ久秀の、それまでに見た事がない顔が映っていた。
優れて白い肌はそのままに、だからか一層赤が際立つ。薄く刷いた頬紅と目尻を吊り上げる様に描いた線、更には眉にも紅を塗っている。それらが久秀のきつい眼をより引き締めてきりりと結んでいる。
雁の羽根を乗せた睫毛は先まで赤い。煌く金色の粉は華やかに、赤く縁取られた目元を煙らせる。 猩猩緋を添える唇は溶けかけた果実の様にとろりと艶かしい。赤々しい化粧は絵巻で見る男神のような雄雄しさ、そしてぞっとするほど淫らな女の相を描いていた。
男の相と女の相、明確である筈の二つの境目が溶け合い所在を危ういものにしている。どちらでもありどちらでもない。神の清廉さと生臭い性を併せ持つ相が鏡面の中表情を無くしている。

「これが卿の理想の私、というわけか」

鏡を覗き込んでいた久秀がぼつりと呟いた。
完遂の満足に浸っていた慶次はその声で冷水を浴びせられたように身を竦ませた。心臓を握り潰されてしまった様な心持がする。
何か自分が取り返しのつかないことをしてしまった時の、足元から這い登るあの冷えた恐れだ。

久秀は鏡を床に置いた。
螺鈿細工の施された黒漆の手鏡、その鏡面を拳を振り上げて叩き割った。

「松永さん!」

軋んだ音をさせて鏡面に亀裂が入る。久秀は表情の一切を消して再び拳を振り上げ、罅割れた鏡面目掛け振り下ろす。
鈍い音と共に破片が飛び散り、赤いものが散った。
慶次は咄嗟に腕を伸ばし、破片で傷付けられた手を掴み寄せる。久秀はまるで抗わず、引き寄せられた慶次の腕の中に収まった。
人形の様に腕を投げ出して、傷口から血の流れるまま床を汚している。

松永さん、と慶次はそっと呼ばわった。化粧を施していた時よりも、ずっと慎重に久秀を呼んだ。
震えが起きている。心臓から鳩尾のあたりが、引き絞るように痛く冷たい。

腕の中に居る久秀の、長く赤い睫毛を見下ろす。その影に隠されて瞳が見えない。いつだって真意を探るように見詰めていた。
作品名:無貌に紅差す 作家名:そらいひる