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ネオ・チネマ・パラディッソ 3

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* * *

 
  
 ちょっとしたノリで、幼なじみに生まれてはじめてのキスをしたら華麗にスルーされた。
 腹がたった。悔しくて恥ずかしかった。けれどそれより何より胸が砕けるほど悲しかった。
 それでわたしは、ギルベルトが本当に好きだったんだと気付いた。



* * *



 月明かりに照らされて、電信柱の影が長くのびる寂しい夜道を、ちいさな自転車が2台、並んで走る。

 遠くにきらきら光る街のあかりが見えてきて、先を走るギルが振り向き、歯をみせて笑う。

 この街にたった一軒の、おんぼろ映画館まで、あと少し。



「いい加減にしやがれ糞餓鬼ども、こんな夜中に出歩くやつがあるか!とっとと帰って寝な」
 受付の橙色の電球の下、不精ヒゲの大男が雑誌に目を落としたまま不機嫌そうに手を払う。
「なんでだよ!金なら持ってるぜほら!」
 オレたちは背伸びして、カウンターに小銭を積み上げる。
「ダメだそういう問題じゃねえ。おまえらの夜遊びに手ぇ貸すと、俺がお前んとこの風呂屋、出入り禁止にされちまう」
 この不精ヒゲの映画館主サディクは、うちでやってる銭湯の常連客でもある。
「かたいこと言うなよオッサン。内緒にしとくから!!そうだ、今度父ちゃんがいないとき、ちょっと番台変わってやってもいいぜ」
「…!」
 雑誌のページをめくるサディクの手がピタリと止まった。
 ギルベルトがニヤニヤ笑って加勢する。
「ヘラの母ちゃんとかよく来るんだよな、最近」
「うんグプタの母ちゃんとかも」
「……中に入ったら、騒ぐんじゃねえぞ」
 低く唸るような声の後、カウンターにチケットが二枚、差し出される。
 ギルベルトとオレは顔を見合わせ、ちいさく「やった」と笑いあった。



 映画館は不思議だ。夜の映画館は、もっと不思議だ。

 まっくら闇のなかぼんやり浮かび上がる、おばけみたいに巨大なスクリーン。
 その日そこに映し出されていたのは知らない外国のフィルムだった。



 天井の高い、綺麗な古い教会みたいな劇場で女のひとが歌っている。

 若い医者が、ステージの上の彼女に恋をする。

 彼が住むのは海の傍の田舎街。潮風で痛んだガラクタのような建物が立ち並ぶ。住人は皆貧しい。
 若い医者は患者からなかなかお金をとれず、苦しい生活を送っている。だがその日から、彼は毎日、彼女のコンサートに通いつめはじめる。
 くたくたになるまで仕事した後、おんぼろ自転車をこいで劇場に足を運び、その日食べるパン代を削って買った豪華な花束を彼女に贈る。顔も見せない。名も名乗らない。劇場の案内係に言付け、ただ彼女の楽屋に届けてもらう。贈り主不明の花束を、歌姫は微笑んで抱きかかえる。その姿を想像するだけで彼は幸せなのだった。
 彼の生活は急速に苦しくなっていく。ある日、とうとうチケットを買うお金もなくなった彼は、こっそりと劇場に忍び込む。
 診察鞄のなかに古いレコーダーを隠し、彼女の歌声をテープに録音していた彼は、警備に見咎められ、スパイと勘違いされて拷問にちかい暴行を受ける。
 たまたまその日、客席に、政府の要人がいたのだった。

 翌日、ようやく釈放され冷たいアパートに帰った彼は、壊れかけた蓄音機で流す彼女の歌声に包まれながら眠る。満足そうに微笑みながら。
 長いこと飲まず食わずでやせ細った上、ボロボロになるまで殴られた彼の寝息は、次第に弱弱しくなっていく。苦しそうな、乾いた咳をひとつ、ふたつしたあと、ふっつりと、途絶え。
 そして、暗い寂しい安アパートのベッドの上で、彼は永遠に呼吸を止めた。

 そのころ街の劇場では、最後のステージを終えた歌姫が、たくさんの花束を抱えながら、楽屋で恋人にキスをしていた。


 その後登場人物は入れ替わり、何事もなかったかのように物語は淡々と続いていった。


 さびれた港街を舞台に、住人達のうらぶれた日常を描いた、古い映画だった。

 空と海の青ばかりが、切ないくらいやけに綺麗な、静かで、寂しい映画だった。