だいすきだいすき!
「嬉しかったですよ」
「俺も嬉しかったよ。あの時が一番可愛い笑顔だった」
「は?」
いや、あの、三十路の男を捕まえて可愛いとか言われても困るんですが、と引きつった笑顔を浮かべた帝人に、臨也は十人中九人は振り返りそうな完璧な笑顔を返して、そのままひょいと帝人の体を抱き上げる。
「っわ、ちょっと、臨也君!?」
腰のあたりで持ち上げられて、逃げようにも逃げられない。腕力さえ敵わないのかと思うと年上としてとても情けないのだけれど、押してもびくともしない臨也が軽々と帝人をリビングへ移動させて、そこでようやく床におろした。台所じゃムードがないよねー、なんて軽口を叩く余裕の横顔がこ憎たらしくもあり、憎めなくもある。
「俺が何言っても何しても、帝人君困ったように笑うだけだったから」
体は放されたけれど、その両手は帝人の顔に添えられて、視線は逸らせない。真正面から見れば見るほど、本当に美少年だ。目の毒だよなあ、と落ち着かない心臓に困っていると、その顔、と臨也が笑う。
「そういう顔。昔から帝人君は変わってないよね。俺が何をしてもその顔だった。困ったなあ、どうすればいいのかなあって」
「それは、臨也君がへんなことばっかり言うからですよ」
「なんで。好きな人に好きっていうのは普通でしょ?」
「っ、変です」
「可愛いから可愛いっていうのも、普通」
「いざ、っ」
瞬間、瞬く間に距離が詰められて、唇に臨也の唇が触れる。一瞬の接触に硬直し、次に慌てて離れようと肩を押せば、驚くほど真面目な顔をした臨也がもう一度帝人の腰を抱き寄せた。
「っ、臨也君!」
「あの時さあ、俺はせっかくのプレゼント落っことして惨めでどん底で、でも帝人君はじめて心から嬉しそうに笑ったんだよ?ずっと困ったような笑顔ばっかりだったのに、初めて、ありがとう臨也君、って、嬉しいですってすごい可愛い顔で笑って」
「臨也、君?」
「君を笑顔にしたものなら何一つ忘れてない。かぜさんの呪文、千羽に足りなかった千羽鶴に、クレヨンで描いたへたくそな似顔絵、上手く歌えた歌の楽譜も、お遊戯会でやった王子様の衣装だって、全部、何一つ忘れてないよ」
心臓が脈打つ。
この先を聞いちゃだめだ、と帝人は思う。
臨也は大切な生徒で、十五歳年下の、自分に懐いてくれる男の子。それでいいじゃないか、それ以上なんか、絶対に良くない。
気まぐれだ、思い込みに決まっている。だってこんなにかっこいいんだからきっとモテる。性格はちょっと残念だけど、臨也は頭もいいし運動もできるし、いつだって帝人を笑顔にしてくれた。
だから、それ以上は。
「帝人君」
呼びかけられて思わず、肩を震わせた。
その先の言葉を聞いてはいけないと思うのに、また冗談ばかり言って、と普段のように流せない空気が重い。
決して放すまいと抱きしめてくる腕の強さが、怖い。
だって自分はもうおじさんといわれても過言ではない年齢で、そりゃ、童顔だ童顔だとは言われるけれど、彼のような前途洋洋たる若者には、とてもつりあわない、のに。
「俺、もう大人だよ?」
拗ねたような響きは、昔から変わらない。
臨也が甘えるときにだけ出す声のトーン。帝人君だけ特別だよと、大好きだから特別だよと、言い続けたその声。
「もう婚約指輪の値段も知ってるし、帝人君とは結婚できないって、ちゃんと分かっていて、それでも」
「臨也君、っ、だめ」
「それでも君を俺のものにしたくてたまんないよ、ねえ、俺、いつまで待てばいいの?」
もう一度近づく唇に、顔を引いて逃げようとした帝人を、臨也はまっすぐに見据える。
「帝人君が俺の本気を悟って、逃げようとしてるの、知ってる」
「っ」
「俺が好きだっていうたびに、冗談だと思い込もうとしてること、知ってるけど」
「やめて、臨也君」
「俺は、譲らない。何があろうと君に分からせる。世間体とか常識とか年の差とか、そんな陳腐なものに負けるような恋じゃないから」
ねえだから、頼むよ。
いい加減にあきらめて俺の言葉、ちゃんと受けとめてよ。君を笑顔にしたものは何一つ忘れない。好きだよと告げたとき、微笑んだ君の笑顔を、俺は絶対に忘れないんだよ。
君が笑って、世界に風が吹いたんだ。
「譲れないんだ、帝人君」
頼むよ、ねえ。泣きたいくらい好きだから。
押し返そうとする手を振り払って、もう一度重ねた唇。震える肩、汗のにおい。優しい温度。
最後にはその優しい手が、きっと拒まないことを知っている。君だって俺のこと好きなくせに。知ってるんだよ、分かってるよ。
言い訳とか理由とかそういうの、もういらない。
好きで好きで大好きで、ただそれだけで、ここまで生きてきたんだから。
「……っ、臨也君は、十五歳も年下で、」
「そうだね、でも一丁前に男だから」
「僕にとって君は、ずっと、可愛い生徒で、」
「それは、嘘。こんな戯れのキス、何度も許したくせに、まだそんなこと言ってるの?往生際が悪いよ帝人君」
ほらまた、困った顔をする。それでも臨也は、帝人のそんな顔が嫌いじゃない。何かを耐えるような、耐えかねて溢れるような、そういうぎりぎりの表情は、酷く劣情を煽る顔だ。
俺はもう、春には高校生なんだよ帝人君、分かる?もう君を思って性的欲求に悩まされたり、触れたくてたまらなくて眠れなくなったり、抱きしめるとムラムラしちゃったりするんだよ?
「ごめんね、かわいい子供のままではいられないんだ」
もう一度唇を重ねて、それでも帝人は力づくでは拒絶しないから。
そんな中途半端な否定なんて、ムダでしか無いよと臨也は笑う。
「この先何年たっても好きだよ。何十年たっても好きだ」
だからもう、いい加減二人で大人にならないかい?