明るい場所
人間というのはつくづく不思議だとクロードがひとり頷いて眼鏡のつるに触れのとほぼ同時に少年が歩みを止まめてこちらを振り向いた。
「スコップ」
短い命令が途切れる前に差し出したのを、はじめて触れたのだとでも言いたげにまじまじと見つめてからアロイスはもう一、二歩進んだ。
アロイスの目的地はいわゆるフェアリーサークルであった。半径は1ヤードほどもない小さなものだが、この妖精の輪は陽の当たり具合がかなり良好で、めずらしくもきのこではなく草花に取り囲まれていた。そこへ戸惑うことなくスコップが突き刺さる。ぎこちない手つきではあるが、確実に地面が掘り進められていく。と同時に、太陽が天球をじりじりと西へ向かっていった。
「旦那さま、よろしければ」
「だめ」
「ですが」
「いいからクロードは黙って見てて。口を出すんならいっそ帰って」
勿論そうするわけにはいかなかった。再びふつふつと沸き上がってくる今朝方の疑問を宥めるために、クロードはすこしずつ土にまみれていくアロイスを見つめた。冷たい風が吹きはじめているというのに、その額には汗で濡れた前髪が貼りついている。空腹も疲労の色もとっくに頬を伝っていたくせに、アロイスは癇癪ひとつ起こさないでただ只管に掘り続ける。
やがて、夕焼けの色が空を染め終わったころに、澄んだ音が耳に届いた。
「!」
と同時にアロイスが顔色を変えてスコップを投げ出した。まくり方が足りないせいで頻繁にずれ落ちるシャツの袖をもう一度巻き直し、あろうことか素手で土を掻きわけはじめた。しかし時間はもうそれほどかからなかった。フェアリーサークルの真ん中に跪いたアロイスの手の動きは確実に緩慢だが丁寧なものに変わっていき、頬は薄暗い中でもそれと分かるほどに赤く染まる。
最後に一瞬だけ手を止めたのち、ゆっくりと何かが持ち上げられ、少年が息を呑んだ。
「いた、」
声は泣きそうに上擦って、
「いたよ、クロード」
しかし首だけ気持ち回したアロイスは満面の笑顔を浮かべ、やけにきれいな子供の頭蓋骨を掲げてみせた。
「いた、いたよっ、ちゃんと……あっ」
そのまま立ち上がろうとして何故かへなへなと地面に崩れ落ちながらも、腕はしっかりと骨を捧げ持ったままである。ひとまず駆け寄ったクロードが本能的に骨に触れてはいけないことを察知して細い身体を支えると、腕の中でアロイスの笑みはもう疲れたような、苦々しいものに変わっていた。
「腰、抜けちゃったみたいだ」
「大丈夫ですか」
「歩いて帰るのは、ちょっと無理みたい」
「お連れいたしますよ」
「うん」
返事もやけに素直だったせいで、クロードの三度目の疑問もまた無防備なほどすんなりと口を滑り出た。
「それで、旦那さま。そちらはいったい」
「あれ、気づいてなかった?」
ルカだよ、と上擦った声のままアロイスが声を立てて笑った。おれの可愛いおとうと。
弟。
「なるほど。しかし何故、弟さまがここに」
「おれが埋めたんだ」
ここでアロイスは一度ぶるりと身体を震わせて自分から左手をクロードの首にしがみつかせた。寒いしお腹へった。だからとりあえず帰ろう。帰りながら話すから。楽しそうに言葉を紡ぐ傍ら、右手の頭蓋骨を大切そうにシャツの裾で包んだ。その命令通りクロードが少年を抱えて歩き出すとしばらくの間は骨が落ちないように調整を繰り返していたが、やがて満足したらしくうっとりした口調で話がはじまった。
「村が焼けたとき、あんなところにルカをほおっておけるもんかってまずは思った。それでいい場所を探した。燃跡は盗賊の格好の狙い目だから論外だし、そもそもあんな村の中になんか埋めたくない。だから、森の中を探した。それまでは怖くて中にも入ったことなかったけど、夜で、歩きまわって、気がついたら朝になってて、見つかったんだ。朝の光が差して、菫が一面に咲いてて、それはそれは綺麗な場所」
夜の森の中を、今度はクロードが迷いもせずに駆けてゆく。胸のあたりに押し付けられる少年の額の感触と、身体の重みを受け止めながら。
「だって、暗いところは怖いだろう?」
とアロイスが言った。
「でも、埋めなきゃいけないって分かってた。だからせめて明るい場所を選びたかった。それでね、それで。クロード、聞いてる?」
「ええ」
「それで、今、おれはもう明るい場所にいられるようになっただろう?」
「ええ」
「だからルカを迎えに来たんだ。これからはずっと、明るい場所で一緒だから」
そう言うわりにアロイスはきつく目をつむっていて、細い身体は小刻みにふるえていたけれど。
「ね、クロード」
「はい」
馬車にたどり着いたころ、未だ頭骨を離さない少年はもう健やかな寝息を立てはじめていた。その唇はやはり微かに開かれていて笑顔を浮かべているようにも見える。全身を汗と土と泥にまみれさせていまやすっかり野良犬としての面目を取り戻しているくせに、アロイスはどうしてか今朝出かけたときの気高い少年貴族の表情をも残していた。そうしてその手が何があっても離さないとばかりに必死に抱えるのは死の象徴の髑髏である。まったく大した矛盾だ、とクロードは考えた。やはりこの魂は極上なのだろう。知らず知らずのうちに舌なめずりをしてから味見代わりに少年の頬に噛み付いてみると土臭い味がした。