白い順列
「ふふ、良いのよ。何か良いことでもあって?」
「ええっと……良いこと、なのかは分からないんですけど、昨日お話した人形が気になって、あの後見に行ったんです。そうしたら、もう売れてしまっていて……志摩子さん!?」
珍しいこともあるもので。志摩子さんは、目を真ん丸くして驚いていた。乃梨子もつられて驚いて、「お姉さま」だってことまで忘れてしまう。
「乃梨子、私もその話をしようと思っていたのよ」
「あ、じゃあ悪いことしましたか?」
「とんでもないわ……そう、売れたのね」
目を閉じて、感慨深そうに頷いている。
「ああ、でも違うかもしれないわ。ちょっと待っていてね」
志摩子さんが、鞄の中をゆっくりと探る。そして、一枚のファイルを取り出す。
「乃梨子の言っていたお人形って、これではないかしら?」
「わぁ……ほんとだ!これですこれ!これが昨日見た子です!」
ファイルに挟まったモノクロの写真の中では、確かに幼い頃の志摩子さんが昨日の人形を抱いて写っていた。思わず、恥も外聞もなくはしゃいでしまう。
「ふふ、泣きぼくろがあったでしょう?」
「間違いありません。ということは……お姉さまが、泣きぼくろを書いたんですか?」
人形にペンでほくろを書く幼き日の志摩子さん。なんだか、今の彼女からは想像もできない姿だけど。
「ああ、その写真に写っているのは、私じゃなくて私の母よ」
「そうだったんですかっ!?」
さっきから驚きの連続で、だんだん一回の驚きのエネルギーが落ちてきている。
「ふふ、私は白黒写真の時代には生まれていないわ」
「そう言われてみれば……」
だけど、そう考えてみると。
「よく何十年も落書きが残りましたね」
「母は書道をやっていた、という話を聞いたことがあるから。墨で描いたんじゃないかしら」
「なるほど、道理で」
「それにしても、面白いわね。四十年も巡りめぐって、乃梨子のところに現れたんでしょう?」
「買えなかったのが、残念でなりません」
せっかく四十年の時を越えて現れた、っていうのに。
「ふふ、乃梨子ったら。買っても仕方ないでしょう?」
「え……?」
「だって、思い出はちゃんと残っているのよ?それ以上に望むことなんかないわ。それよりも、その人形を本当に必要としている人が持っていたほうが良いでしょう?」
「お姉さま……言われてみれば、その通りですね」
それに、私達が持っていても、新しい巡り合いは産まれてはこないから。これで、良かったんだと思う。
マリア像の前。
乃梨子は一足先にお祈りを終えて、志摩子さんを横目に見る。昨日と同じようにお祈りをする志摩子さんは、昨日よりさらに輝いて見えた。だけど、絵の中に閉じ込めておくんじゃあまりにもったいない。
五本の指を祈りを終えた志摩子さんの指に絡めて。指と指を繋いで、歩き出す。
「乃梨子、急にどうしたの?」
「いいえ、ちょっとこうしてみたくなったんです、お姉さま」
「確かに、たまにはこういうのも、悪くないわね」
志摩子さんは、ときどき幻想的に美しく見えて。だけど、現実にそこにいる、って温もりがあって。それを改めて実感したかったから。
現実と幻想が交わる場所で、志摩子さんを見てみたいと思った。
「お姉さま……試験が終わったら、スケートに行きませんか?」
「ふふ、いいわよ。とっても面白そうね」
屈託なく笑う、志摩子さんの表情は。
氷の上では、もっと綺麗に違いない――。