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貴方に捧げる『     』

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 青年はポカリと口をだらしなく開けたまま、呆然と目の前を見詰めた。
瞬きの間にこの事態がどうにか収束していないものかと1つ、してみても、眼前の光景は何1つ変わりはしなかった。
ピクリとも動かない身体は、先刻の衝撃で固まったままである。
どれ程に青年が動揺したのかと言えば、例えば今、何所ぞの知らぬ輩が青年の後頭部目掛けて鉄パイプを全力で振り下ろしたとして、凡そ5分程は気付かれないであろう程のものだ。
間抜けな面のまま視線の先にあるものは、青年の恋人の姿である。
常ならば可愛らしく愛おしく、綿菓子のような甘さでもって包んで駄目になる程甘やかしてやりたいその姿を前にして、青年は微動だに出来なかった。
より正確に言うならば、この激震の原因は、目の前の、目に入れても痛くない、寧ろ懐に仕舞い込みたい小動物然とした姿の恋人だったのだった。




 数瞬前に遡る。
前日に突然上司から「お前明日休みで良いから。」、と言い渡された青年は、上司の機嫌の良さそう、というより、どこか含みのある笑みを見て怪訝に思いつつも素直に頷いた。
そしてその夜、計ったように恋人から「明日、お部屋に行っても良いですか。」、と連絡を受けた。
その時の青年には思いも及ばなかったが、二つ返事で了承して一夜明けた当日の午後、ふと、もしかしたら恋人と上司は通じていたのではないかと思い至った。
彼の上司は、青年がどれ程恋人を大事にしているかを知っている。その上司が気を回してくれたのではないかと。
何故わざわざ上司を介したのかは分からないが、青年にしてみれば大変頼りになる上司なだけに、青年を経由して上司とも顔見知りになった恋人が彼に相談していてもおかしくはないだろうか、と。実際、多少の寂しさは否めないものの。
それはさて置き。
兎にも角にも、恋人は家にやって来た。
青年の恋人は学生であったので、彼は一旦家に帰ったらしく、私服で訪れた。
つまりは本日、泊りで構わないという意思表示に他ならず、青年の心拍数を微かに跳ね上げたのだが。
笑顔で受け応えて部屋の中へ案内して、次の瞬間。

「静雄さん、僕を貰って下さい!」

珍しくフードを被っていた恋人がそれを取ったかと思えば、頭に大きな赤いリボンを付けたまま、勢い良く土下座した。




 そして、今に至る。
数秒の回想を終えた青年はこれは夢かと思い、そろりと腕を上げて彼自身の頬を摘み、思い切り横に引っ張ってみた。
案の定、良く伸びる。では無く。

「・・・痛ぇ・・・」

ポツリと零した声が、脳に伝わる痛覚が、これが夢で無い事を告げていた。
恋人である少年は、寒さか恐怖なのか、ピルピルと小刻みに丸めた背を揺らしている。
部屋の暖房の温度を上げるべきだろうかと、頭の何所かでぼんやりと思いながら、青年は信じられない思いで少年を見詰めた。
そう、そうだ、聞き違いに違いない、青年はこれが夢でない代わりに自身が生み出した妄想なのではないか、願望が見せた夢幻なのではないかと、信じられない気持ちが青年にそう思わせた。
だから。

「悪ぃ、帝人。もう1回言ってくれねぇか?」

言った途端、額を擦りつけんばかりの勢いで下げられていた少年の頭が、ガバリと上げられる。
その顔は、可哀想な程に赤かった。

「しっ、静雄さん!聞いて、聞いて無かったんですか!?ぼっ、僕、凄く勇気振り絞ったのに・・・もう1回・・・!!」

上擦った声は、次第に涙交じりの声に変わり、少年の瞳が潤み始める。

「いや!聞いてた、ちゃんと聞いてた!けどな、ひょっとしたら聞き違いだったりしたら・・・その・・・」

慌てる青年はモゴモゴと言い訳を口の中で噛み砕く。
まさか妄想が現実になったかと思ったなどと、恰好悪くて言えやしない。
ジトッ、と怨みがましい目付きで青年を見ていた少年は、やがて小さく息を零すと、再び、言い難そうに「僕を貰って下さい、って、言ったんです。」と、ボソボソと呟いた。
聞き違いでは無かったかと、青年が脱力しかけた所で、少年が青年を縋るように上目遣いで見上げた。
それが、青年の欲を煽る結果となって、一瞬グラリと意識が揺れる。
が、何かを試す様に青年は思い切り首を横に振ると、正座した少年の脇に手を差し入れ、持ち上げた。
ふわり、と浮き上がる少年の痩身は、やはり軽い。

「んで、突然そんなこと言い出したんだ?」

少年を膝の上に乗せ、コトリと首を傾げた青年の金糸がサラリと揺れる。
流れを目で追っていた少年は、青年の空いた肩に頭を預け、安堵したように力を抜くと、ゆるりと目を閉じて次第を語り始めた。




 始まりは、青年、平和島静雄の上司、田中トムと、少年、竜ヶ峰帝人の会話からだった。
その時、丁度静雄の仕事終わりを待って暇を持て余していた帝人に気を遣ったのか、トムが帝人の話し相手をしてくれた。
あまり接点の無い2人であるが故に、話題は共通の知人である静雄のことが必然的に多くなる。
そうした中の1つで、ふいに、トムから零された一言が、『そう言えば、静雄の誕生日が近いなぁ。』、だった。
帝人は驚いてトムに詰め寄ってしまった。何しろ、帝人と静雄が所謂性的な感情を含む恋人同士になってからまだ日が浅く、互いのバースデーについてなど、全くもって知らなかったのだ。
当然知っているものだと思っていたトムの方が驚きに目を瞠ってしまった程だ。いつですか、と、必死な様子で尋ねる帝人に押され、「今月の28日だよ。」、と言ってしまった。
それから、帝人の思い悩む日々は始まった。
都合が良かったことと言えば、テストがまだ始まってなかったことと、丁度静雄の仕事が忙しく、あまり会えなかったことだ。
そう思って、帝人は考えた。静雄に相応しい、プレゼントを。
だが、思い込めば思い込む程、どつぼに嵌って行ってしまう。大切な人だからこそ、思い出に残るもの、喜んで貰えるものが良い。
しかし、少年の手持ちにも限りがあるのだし、大抵のものは静雄が自分の稼ぎで手に入れてしまうだろう。
あと少年が出来ることといえば、手作りのケーキを作ることと、そして―――・・・

「僕が、静雄さんのものになって、静雄さんが望むようにしたら、それで良いかな、って。」

欲しいものも分からず、ならば、彼に直接強請って貰うのが最も手っ取り早いと、帝人は思ったのだ。
帝人は持って来た荷物を指し示し、「味の保障はできませんけど、一応、僕がケーキ、作ったんです。」と言って、冷蔵庫に入れて欲しいと静雄に頼んだ。
ゆるりと嬉しそうに頬を緩めた静雄は帝人を持ち上げソファにそっと下ろすと、帝人の言う通りに彼の荷を解き、中から小さな白い箱を取り出す。
開けて良いか、と訊ねれば、帝人は恥ずかしそうに俯き、それでも小さく、肯首した。
ドキドキとワクワクが心を跳ね上げる中、浮かれて落としてしまわぬように慎重に机上に置き、ゆっくりと蓋を開ける。
お店で見る様な、可愛らしいマジパンなどのコーティングがされていない、シンプルな生クリームのケーキ。瑞々しく赤い実が周囲を埋め尽くし、その間に純白のクリームがふわりと置かれている。