侵食は始まった
信じている。
なんて空虚な言葉。わかっていても繰り返すことをやめられない。親友の忠告さえ忘れて、いつのまにか翻る黒いコートを視線が追いかけていた。それを否定する方が愚かに思えてしまうほど、とっくに囚われている。
あの駆け引きのようなやり取りを心底楽しんでいた彼も、積み重ねていくやり取りの中で少しづつ覗かせてきた無防備さも。手懐けられているだけだと、わかってはいても。
いつか手酷く突き放される日まで。
校門を出た直後、マナーモードにしていた携帯が震えた。後輩の顔を思い描きながら、発信者の名前を確認し、息を飲む。それは、何度連絡をとろうとしても決して出てくれなかったあの人の。
「……いざやさん?」
通話ボタンを押すと同時に、震える声を繕いながら、問いかける。いつもなら怒涛のごとく襲ってくる言葉の嵐はどこへやら、あちらでもかすかに息を飲む気配しか感じ取れない。
「…、あの」
もしかしたら、臨也さんの携帯だけど、違う人がかけているのかもしれない。その可能性に思い至ると同時に、確かにあの人の声で「みかどくん」と聞こえた。
臨也さんだ。間違いない。
お久しぶりです。お元気ですか。どうして連絡くれなかったんですか。いろいろ大変で、相談したかったんです。
言いたいことなんて山ほどあったのに、喉の奥につっかえて出てこない。
唯一飛び出てきた言葉は、思ってもいない、でもいつも心のどこかに存在していた気持ち。
「会いたい、です」
言った瞬間、後悔に襲われる。それを肯定するかのように、ぷつりと接続が切れる。がんがんと頭の奥から揺さぶる理性の声。やっぱり、言ってはいけない言葉だったんだ。これで、彼との関係は終わった。
斜めがけしていた鞄の紐を握り締め、ため息をついて、ふらふらと歩き出す。
スーツ姿の雑踏に呑まれ、不意に気がつく。いつのまにか駅近くに出ていた。どこに意向としていたんだろう。あの人が住む街だろうか。なんて、未練がましい。
その時、視界の先に過ぎった黒いコートを、何も考えずに体ごと視線が追いかける。腕を掴まれたことを認識したのは、その姿を完全に視界に収めてからだった。
どうしてここにいるんですか。どうしていきなり電話したんですか。どうして何も言わずに切ったりなんか。
頭が山ほどの疑問で埋め尽くされる。でも、そんなもの全部、その顔を見たとききれいに消え去った。
引っ張られるままに、路地裏に転がり込み、その腕の熱さに包まれる。ぎゅうぎゅうに抱き込まれる帝人の脳裏からは、後輩の散々な忠告など、とっくに剥がれ落ちて消えていた。
どんなに酷い人でもかまわない。
たとえ一番辛い時に傍にいてくれなくったって。助けてなんてくれなくても、そんなことは問題じゃない。守られることを望んでいるわけじゃないから。
縋りつくように閉じ込めるこの腕があればいい。
「みかどくん」
震える声に、弾かれたように顔を上げる。迷いに満ちた顔はまったくもって折原臨也らしくはなかったけれど、それはずっと帝人が惹かれてやまない彼だった。
いざやさん
紡ごうとした名前は紡がれることなく、吐息の中にかき消される。
降ってきた唇は、抱きしめる腕よりもずっとずっと熱かった。
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リスキーゲームがやばすぎた。