鬼哭
「突然のこと故、な……すぐにも追わねば、ならなかった」
嘘だった。大谷は、雑賀から何事かを吹き込まれた長曾我部が、三成に要らぬことを囀るのを恐れた。
「それで逃がしては意味がない……」
囁くように責める言葉に、大谷の口から他へは決して向けない声音が零れ落ちる。
「すま、なんだ、……三成」
ぎこちなく怯えを含んだそれに、三成は緩く眼を細めた。それが示す感情が侮蔑なのか許しなのか、今の大谷には読み切れない。だが、それがどんなものであれ、その顔に表情が浮かんだこと自体に、大谷は心の底が震えるほど安堵した。そうして三成は掴んだ両腕を引き寄せ、錏の奥の耳へと声を注ぎ込んだ。
「……殺して、いいか?」
ぎり、と掴まれた両腕が締め上げられる。大谷は何の躊躇いもなく頷いた。己のことだと思った。そして三成が殺意を示したことを喜んだ。
「もう、いいだろう、刑部………待たなくて、いいだろう?」
だが三成はゆるく俯くように、引き寄せた大谷の肩口へ額を乗せる。そして夢見るような口調で囁く。
「あれ、を、殺しに行って、いいだろう……?」
もういい、西も東も知ったことか、あの首が欲しいのだ、あの首があればそれだけで良い。
他の何も要らないのだ。
ああ、と。大谷は目蓋を閉じた。奈落の底で壊れ果てても三成は三成のまま、ただ一人を追うことを忘れず、そして大谷を責めず、疑わずに容易くその身を預けて見せる。
裏切られておきながら!
「―――ああ、そうよなァ、三成。総てをそう、終わらせてやろ……」
大谷の答えを受けて、三成は小さく頷いたようだった。
そして三成は一度だけ、鬼へと怨み言を吐いた。もはや激昂もせず息をするほど自然な憎悪を纏わりつかせてこう言った。
やはり、と。
「長曾我部。やはり貴様も、私を、裏切ったな……」
三成の重みを受け、その背を宥めるように手で囲う。密やかに寄り添い、ほうと息をつきながら、大谷は心の内で呟いた。
ぬしは、人を信じすぎるのよ……