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愛早 さくら
愛早 さくら
novelistID. 6143
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brightness of the ore(静誕SS。臨静)

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「あ、静雄。お前今日――・・・・・・いや、なんでもない」

 何かをいいかけてやめた上司の顔に、静雄は不思議そうに首を傾げた。
 なんだろう。
 これで三度目だ。
 朝一でかかってきた電話は弟から。
 その次は出社途中に会ったセルティ。
 そして今度は上司の田中トム。
 三人ともが、何かを言いかけてはやめる。
 今日はなんだかみんな、様子がおかしかった。


+++++
brightness of the ore
+++++


 夕方である。
 あれからも会う知り合いが皆して、何処かそわそわしていて。
 静雄はただ、微かに首を傾げた。
 仕事はいつもどおり。
 曇り空、どんよりと灰色がかって、だから今日は心なしか、陽が暮れるのが早い。 

「おーい、静雄ー。あと一件で今日は終わりだべ」

 トレードマークのドレッドヘヤを揺らして、僅か先から上司が静雄を振り返った。
 ガードレールにもたれて、彼を待っていた静雄は、つと腰を上げる。

「っス」

 返事は短く、くわえた煙草は放さないままで。
 夕闇が少しだけ深くなって、上司の輪郭が少しだけおぼろげになった。
 最近長くなってきた陽は、だがこんな天気の下では暗いばかりだ。
 静雄は上司の影を見失わないように、足早に彼の後ろへと続き、今日はいつもより終わるのが早いと、瞬き始めた電灯を見て思った。
 アスファルトに伸びる足跡は長く、ざわついた繁華街を縫うように進む。
 身を切るような冷たい風が、白いシャツをなぶって白い空へと立ち消えた。
 交差点に差し掛かった時だ。
 どしり。
 赤信号で止まった静雄の腰の辺りに走った衝撃に、ふとそちらを見下ろした。
 艶やかな黒髪。
 見た覚えのある影。

「やっと見つけた!静雄お兄ちゃん」

 にっこりと笑顔を浮かべて、静雄を見上げてきた幼い少女は、常と変わらない仕立てのいいワンピースを着ていて。

「あ~あ」

 気付いて振り返った上司の、何処か残念そうな声が耳に届いた。

「ああ?お前は――・・・・・・」

 それが最後である。





+++





『だから、とりあえず帰りに僕んちに寄ってよ。茜ちゃん連れたままでいいからさ』

 そんなに時間は取らせないよ。

 携帯から聞こえてきた耳慣れた友人の声に、静雄は僅かに眉根を寄せた。
 少女はいまだ、腰にしがみついたままだ。
 彼女の出現で、うやむやの内に明日に回すことになった残り1件が果たして構わなかったのかどうか、それは静雄にはわからない。
 ただ、上司が諦めたように手を振ったので。
 そもそも元より然程に期限に煩い職場でもない。
 今は会社の前で彼を待っていた。
 上司が建物に入ると入れ違いぐらいのタイミングで、かかってきた電話が今のそれだ。
 一度は少女がいるからと断ったのだが、珍しく食い下がってきたのに、苦虫を噛み潰したような心地で通話を切った。
 少女を見下ろすと、何が楽しいのか、肩で揃えられた黒髪を揺らして、にこにこと笑みを浮かべていて。
 思わず溜め息が出た。
 多分・・・友人の用事も、判るような気がしている。
 それは他でもないこの少女が、ついさっき静雄にもたらしたもので。
 そう思うと、なんだか面映い気がした。
 この年になって、とも思うが、素直に嬉しい。
 少女で最後である。
 静雄を見て、何処かそわそわと落ち着かなげな態度を取ったのは。
 少し離れた所では、少女の護衛だろう厳つい人相の男が数人、物陰に隠れている。
 ご苦労な事だなと内心ごち、少女の黒い髪を撫でた。

「てゆっか、大丈夫なのか?茜ちゃん」

 そろそろ陽も暮れきって、空には薄墨さえ残っていないような時間だ。
 まだ、遅いとまでは行かずとも、子供が外でふらふらしていていい時間ではない。
 少女はひしりと静雄にしがみつく。

「いいの!私、フライングしちゃったし・・・だって一番に言いたかったんだもん!だからいいの!」

 少女の言葉は要領を得ない。
 少なくとも、静雄のかけた言葉に対する応えではなく。
 だが、静雄はそれ以上問いを重ねることはせずに。

「そうかよ」

 溜め息混じりに呟いて、ゆらりと黒い髪をまた一つ梳いた。
 ストレートな行為は、ただくすぐったいばかりで。





+++





 時間は取らせない。

 言っていたくせに、結局、友人の家を辞したのは、23時を過ぎた頃だった。
 もうじき今日も終わる。
 冷たい夜風の中を、静雄は肩を竦めて歩いていく。
 ネオンは変わらず瞬いて、例えばどんな夜の中でも、きっとこの街が暗くなることなんてないのだろうと、灯る街燈を見ながらぼんやりと思った。
 あの、古い友人の家で。
 静雄を待っていたのは、くすぐったくなるような宴で。
 多分個別には面識などほとんどないだろう者達が、銘々に楽しんでいた。
 もちろん、静雄も、久しぶりに心安らかでいられて。
 それは多分に、あの男が。
 あの男だけが。
 影も形もなかった所為かも知れない。
 少女が自らでフライングと言っていたとおり、彼女が口に出すまで気付いていなかった静雄が、今日という日に気付いていることに、特に弟等は残念そうにしていたけれど。
 それでも、大したことではない、楽しく、時間を過ごせたことは本当。
 このまま。
 あの男の顔を見ずに今日が終わるなら、それに越したことはないと、歩む足を止めずにぼんやりと思う。
 其処にあるはずの空を瞬く星は、明るい街の光の所為か、重くかかったままの雲の所為か、少しも静雄の元へは届かない。
 吹く風の冷たさに、一つ身震いした。
 冬の寒さ・・・得にこの季節の夜の冷え込みは、正直薄いシャツ一枚の静雄には辛い。
 まぁ、それでもそれ以上どうこうするようなことでもないのだが。
 いずれにせよ、静雄の足取りは重くはなく。
 ただ、満ちた心地で棲家としているボロアパートを目指す。
 慣れた道のりだ。
 もうすぐにと、アパートへ続く角を曲がった時だった。
 自宅アパート前に、黒い影。
 常と変わらぬ頭を彩るような白いファーが揺れて。

「あ。やっと帰ってきた」

 シズちゃん。

 影は笑った。
 常と変わらぬ顔をして、いけ好かない、その態度で。

「臨也」

 23時を少し過ぎて。
 今日がまだ少しだけ残っている頃だった。