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赤銅の記憶

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ここにはもうなんもない。
宇宙まで突き抜けるように深く青い空がどこまでも高く伸び、薄い雲すら空にはなく、たとえ飛行機が上空を飛ぼうとも雲を引くことはない。銀色に光る機体がはるか頭上で豆粒のように乱反射しながらこの不毛の大地を通り抜け、モロッコやパリへと向かってく。乾いた熱がじわりじわりと皮膚に迫り、うっすらと汗を掻く肌は汗を滲ませるうちから蒸発していき、べたべたとする塩の結晶のようなものばかりを肌に感じる。赤茶けた岩が露出し、薄緑の雑草が凪の中でゆらゆらと揺れる。この大地を掘っても、もう何も出てこやへん。ビスケー湾の近所やったら、もっと土地も豊かやけど、ここら辺にあるんはこの乾いた大地ばっかりや。ここにはもうなんもない。こんなど田舎、もうなんもない。貧しい農地と、僅かな家畜と、あるんは記憶だけや。―――――――王者やった頃の記憶。

振り返ればその記憶を僅かに残す、もはや遺跡じみた城壁がぐるりと町を取り囲んどるちっぽけな町が見えとる。昔はあン城から世界を手に入れる算段をしたもんや。エメラルドの目をした気の強い女を侍らして、日焼けした肌の男らと声を上げて、どこまでも残酷に、どこまでも貪欲に、求めれば求めるだけ手の中に入ってくるこの世界の欠片に熱狂したもんや。女たちは立派な谷間をドレスん間から見せて、俺らが帰ってくりゃラム酒でもブドウ酒でもしこたま城へと運び込んで、朝まで踊り明かしたもんやけど、そんなもんはもう遠い昔のことや。今なんて子供が授業中に夢眼に聞くこの町の御伽噺や。ああ、空しいなァ。

もう一度、赤茶けた地平線をひとつ睨んで、もはや年中がばがばの女の股みたいに開け放たれた城壁の門を潜った。舗装された石畳を観光客らに紛れて歩いて、市場から裏通りへと入っていくと裏通りで赤いトゥナ(サボテンの実)を齧るいつものじいさんが手を上げて俺に挨拶する。

「¿Cómo está?」 ――調子はどうや?
「Soy alegre.¿Cómo la condición de la abuela es?」ーーえぇよー。アンタんちのばあさんどうなん?
「Es alegre.No me muero todavía.」ーー元気さ。ありゃまだ死なんやろ

トゥナでシャツを薄ピンクにしたじいさんが前歯のない顔をくしゃくしゃにして笑い、そらよかったわァ、と帰して俺はひょいひょいっと路地裏へと入っていく。頭上に「中世の酒屋」と鉄看板がぶら下がっとる。中世は嘘やな。ここが出来たンもほんの230年前やもん。アラセリが生きとった頃はよぉここで飲んだもんや。アラセリはえぇ女やったなぁ。そばかすが可愛い女やったなぁ、と店を覗くと地元のおっさんらが夕方にもなっとらんのに3、4人顔突き合わせて酒飲んで、大げさなサングラスかけたブルネットの観光客のねーちゃんと若い男がなんか店の壁に掛けられたセピア色の写真を指差してあれこれ喋っとる。あの写真に俺も紛れ込んでるはずやけど、もう誰も気づかへん。俺の知っとるやつは誰ひとりおらんくなってしもた。もう大昔の話やから。アラセリだって、俺の知らんとる間にくっちゃくちゃの婆さんになって死んでもうた。

ここにはもうなんもない。


もっと楽しい場所があるやろうに、なんでこんなつまらん土地に来てしもたんか、今じゃさっぱりわからへん。こっから列車に揺られて都会に出やな空港もあらへんし、列車いうたかてオンボロのローカル線やからユーロ諸国に顔も出せへんし、つまりはフランシスやギルベルトんちへひょいっと飲みに行くんも不便な田舎や。気ぃ向いたし俺ちょっとここ住むわァ、と告げたときの二人のブーイングったらなかったわ。フランシスなんか好き勝手良うてもっと楽しい場所があるって、都会行こーよ、都会。それでなけりゃリゾート地へさ、なんて田舎の若造みたいな事言うし、ギルベルトもギルベルトで毎日毎日ナス料理で飽きるとか良いやがるし、ほんま勝手な奴らやで。でも俺もなんでかわからへん。近くの都会へ3人でふらっと飲みに行ったとき、なんとなくこの町のことを思い出してローカル線乗って遊びに来ただけのつもりやった。ぶらぶら町を歩いて、そういやここにはアリハンドロがやっとった洗濯屋があったけどモーテルになってしもてるやんとか、映画館やと思ってた場所がすっかり公園になっとったり、俺らの人生にはありがちな喪失と発見を体験しとったら、なんか離れられやんようになってしもた。
都会から流れてきた若者の顔でおんぼろアパートに部屋借りて、ちいさな部屋の真ん中にベッドと冷蔵庫とテレビ置いて、それで仕舞い。町の中を歩いて歩いて歩いて歩いて、大地を睨んで、遺跡じみた古城を睨んで、それで仕舞い。たったそれだけ。酒屋らしい酒屋もないし、マドリードほど刺激的な女もおらんし、なぁんもない。なぁんも娯楽のないなぁんもない町。

なんで俺はこんなに離れられへんのやろう?




部屋に戻ったらかろうじて置いてあった電話が鳴っとる最中やった。
あほらが掛けてきよったんかもしれんなぁ、とのんびり思いながら電話を取ったら、受話器の向こうから聞こえてきたふくれっ面な声につい表情が緩む。ロマーノや。
『・・・お前んちで買った冷蔵庫が壊れたぞ、この野朗』
「うん、そんで?」
受話器の向こうでロマーノが鼻白むように息を呑むのが伝わって、なんや意地悪な気持ちになって電話抱えて窓辺に腰掛けた。この部屋決めたんは景色がよかったからや。家賃も普通やし、壁うっすいし、水道は時々止まるし、それでもまぁ、景色はえぇ。古臭い家々の向こうに真っ赤な大地と真っ青な空がどこまでも広がっとる。近くで見たら不毛の大地でも、遠くから見たらこれこそ情熱の国スペインや。エネルギーがじりじりと迫ってくるように力強くてしぶとい大地や。
『そ、それから・・・あの、ほら、お前んちの業者がうちでやってる修復の話とか・・・』
「あー、そら現場監督に言うてくれな俺分からんわぁ」
『・・・ストリートの向かいに新しいジェラード店ができたぞ』
「へぇ、そうなん?そら行かなあかんなぁ」
『だろ!?・・・だから、その、ほら・・・ほら・・・な?分かるだろ?』
これが菊やったらこんな意地悪せんとすぐに「じゃあ帰りましょうか」なんて空気読むんやろうけど、生憎親分にはそんな機能ついてへん。だって親分やしな。なんで親分が子分の顔色伺ったらなアカンねん。なんか分からへんけど、意地悪な気分やわ。ほんまやったらここまでロマーノが妥協して電話くれたんやったらすぐにでも顔を見せにイタリアまで飛んで行くし、しつこい位電話だって掛けたるんやけど、今回はなんか知らんけどそんな気分にはならへんだ。魂が、この大地に縛り付けられたような気がした。

『お前変だぞ』

しばらく言葉を捜すように沈黙が続いて、ようやくロマーノが吐き出したんはそんな言葉やった。
作品名:赤銅の記憶 作家名:山田