きみがくれるもの
「腹筋割れてないですよね…」
「へ?」
「筋肉質って感じでもないし。見た目は細いのにずるいです」
「いや、ずるいって言われても…、ていうか、いつも風呂場で見てんだろーが」
「そんなの、じっくり見たりしませんよ。恥ずかしいじゃないですか」
「…じゃあなんで今見るんだ?」
「お風呂で見るのが恥ずかしいから、今見てるんですよ」
「いや、わかんねぇ」
わからないが、楽しそうなのでしたいようにさせておく。寝っころがった腹の上に帝人が馬乗りになって、ふと、これが男女だったらヤベェ体勢だよななんて思ったりもした。下から見上げる顔は子供そのもので、感情を揺さぶるようなものはない。確認して、1人大丈夫だと頷いた。何が大丈夫なのかはよくわからないが。
帝人といると、少しずつ自分の中でわからないことが増えていく気がする。そ日々の生活で曖昧なものほど静雄をいらだたせるものはないのに、それが嫌ではないのが不思議だ。いい加減じっとしているのも飽きて、お返しとばかりにひっくり返して転がる帝人の首を食む。ひとつだけ外されていたシャツのボタンをもう2つ外して、鎖骨を舐めると「犬みたいですよ」と帝人が笑った。過剰なスキンシップだという自覚はある。そもそも、家族や友人を押し倒して舐めたりなどしないし、したいとも思わない。
けれど、帝人を見ているとつい触りたくなった。それでも性的な衝動は感じないから、これはやっぱり友情なのだろう。小動物を見ると手を伸ばしてしまう、そんな感じなのかもしれない。
「そういや、俺明日誕生日なんだよな。土曜でいいから、なんかケーキ作ってくんねぇか?」
言わないつもりだったのに、そんな言葉がするりと口を吐いた。誤魔化すつもりで「そっちは得意だろ」と言うと、ちょっと怒ったような顔をされる。なにか言おうとして、迷うように口を閉じ、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
迷惑だとか、そんなんじゃないのはわかる。が、なにに怒っているのか、どこが引っかかったのかがさっぱりわからない。欲しかったのはケーキなんかじゃなくて、本当はただひとこと「おめでとう」と言われたかっただけなんだと、今になって気づいた。
「…静雄さん、僕の誕生日は知ってますか?」
やっと利いた口がそれで、静雄は必死に記憶を探った。本人から聞いたことはない、…ハズだ。
「いや、知らねぇ。今度セルティに、」
「ダメです。セルティさんにもトムさんにも門田さんたちにも、口止めしときます。僕も絶対教えません」
「…へ? なんで、」
「―――誕生日の前日までは」
にっこり笑って宣言されて、時間差でやっと意味を飲み込んだ頭をがしがしと掻いた。確かにこれは静雄が悪い。相手の気持ちを勝手に量って、それを自分に置き換えてみたらどう思うかなんて考えてもみなかった。
「…悪かった」
「反省してます?」
「した」
「じゃあ、これあげます」
鞄の中から15センチ四方くらいの、そう大きくもない箱を取り出して手渡される。開けると、中にはチョコレートプレートの乗ったオーソドックスないちごのケーキが見えた。小さいけれどホールだ。帝人の手作りなのだろう。
と、まるで見計らったかのように、帝人の携帯から定番のメロディが流れ出した。いや、実際計っていたのだろう、部屋の時計はぴたりと12時を指している。
「お誕生日おめでとうございます」
「……」
「どうしてもいちばんに言いたくて、その…」
職場まで押し掛けちゃいました、とはにかむ帝人の顔を見つめ、それから小さなケーキに目を戻す。真っ白なケーキに真っ白なプレート、そこには『HAPPY BIRTHDAY』の黒い文字。
「好みを聞いてなかったんで、普通にショートにしてみたんですけど」
土曜日はお好きなケーキを作りますね、と静雄が甘党で大食漢だと知っている帝人が笑う。
崩さないようそっとケーキをテーブルに置いて、静雄はもう一度帝を見た。渦巻く感情は大きすぎてうまく言葉に出来ないが、帰したくないと、それだけははっきり思った。このまま別れて、また明日会うのではダメなのだ。
「やっぱりお前、泊まって行けよ…」
「え、でも、」
「一緒に食いたい。…ダメか?」
自分がちょっと情けない顔をしている自覚はあった。が、帝人は嬉しそうに笑ってくれる。その表情がいたずらめいたものに変わって、揶揄うような声音が耳をくすぐった。
「お風呂は1人で入ってくださいね」
「う…」
「大丈夫ですよ。ほとんど見てなかったじゃないですか、映画」
「いや、だって風呂だぞ? いちばん油断してる時だろ!」
「寝てる時の方が無防備じゃないですか?」
「そ、…ういうことは言うな…!!」
思わず想像して引きつっていると、大丈夫ですよ、と帝人がぎゅっと手を握る。
「僕が一緒にいますから。だから、大丈夫です!」
本当に、コイツは自分を甘やかすのが上手いと思う。甘やかすくせに甘えるのは下手で、だからこそそばにいて守ってやりたいと、―――帝人が傷いている時は支えてやりたいと、静雄は強く願った。
翌日、何度もあくびを飲み込む少年を親友は温くも暖かい笑みで見守り、後日、誕生日の成果を訊ねた上司は涙ながらに後輩の肩を叩いた。彼らの心情は立場こそ違えどほぼ同じだが、それが誰かに語られることはない。