官能小説家
本当は、すごく、熱しやすく冷めやすい人間だった。
餓鬼の頃、自分が餓鬼だってことにも気づいていないような餓鬼の頃、天体望遠鏡が流行った。「りか」の授業で夜、生徒と保護者と先生が集まって学校の屋上で月だの木星だのを見たのがきっかけだった。学級図書の天体の本はあっという間に貸し出し中になった。リアルな星の写真に心を躍らせて、そのうちにみんな写真だけじゃ満足できなくなった。学習教材の出版社が売り出している安い天体望遠鏡を持っていることがステータスになった。もちろん俺も買ってもらった。金持ちで学級委員をやっていたやつの家には立派な天体望遠鏡があった。(後で知ったけどそいつの親父は大学で物理だか天文学だかそういう難しいことを教える仕事をしていたらしい。そういえば、その家には恐竜の化石だの教科書でしか見た事のない鉱物の結晶だの百年も昔の世界地図だの珍しいものが山ほどあった。)その上丁度その頃日本人のおっさんが新しい星を見つけて命名したとかニュースになって、俺たちは更にのめりこんだ。自分の星を見つけて名前をつけることをひたすら夢見た。俺もいくつか名前の候補を考えた。カタカナばかりの恥ずかしい名前だったように思う。新しい星を見つけていなくて本当に良かった。あの名前が百年も二百年も残ったら恥ずかしくて俺は居たたまれない。
けれどその次にハムスターがブームになって、天体望遠鏡は倉庫行きになった。
そもそも六畳の部屋に馬鹿に大きな学習机とベッドと本棚があって更に天体望遠鏡なんかあったら狭くて仕方がない。今ももしかしたら実家の倉庫にあるかもしれないけれど、もう使い方は忘れてしまったし、星にもまるで興味がない。ハムスターも死んでしまったし、愛だのドラッグだのセックスだのを喚き散らすイギリスのロックミュージックにも聞き飽きたし、マヨネーズもコレステロールってやつが気になってやめた。どうも油のぎとぎととした食い物を食べたいとも思わない。年のせいかもしれん。
つか、もう何にはまっていたのかも思い出せない。
今までの人生、よく考えてみれば俺はコロコロコロコロと色んなものに踊らされて、飽きて、捨てて、食いついて、はまって、熱中して、冷めて、捨てて、拾って、夢中になって・・・を延々と繰り返してきた。でもその周期はだいたい3ヶ月から一年程度のもので、ふと次のものを見つけるともうそれのどこが面白くて何を好きだったのかすっかり忘れてしまった。
それは趣味だけじゃなくて、俺の性癖にも関係した。
好きで好きで好きで堪らなくて、思春期の気の迷いってやつで身体にその名前まで刺青で彫ろうだとか結婚しようだとか喚いた女のことももうすっかり忘れてしまった。その後関係を持った色んなヤツの事を考えるけど、声も癖も好きな映画のこともセックスも、もっと単純にどこが好きだったのかも思い出せない。爆発するように恋をして、でも爆発っていううのは一瞬のエネルギーのことで、瞬時に消える。ただもくもくと真っ黒な煙がくすぶって、何が良かったんだろうか、とぐるぐる考えるけれど未だ答えは出ない。
―――――――その「好き」はいつも一方的だった筈なのに、どういう訳か今は俺がその「好き」の対象になっているらしい。
俺の上に跨って「うぅ゛」と汚い顔をして泣く青年というより限りなく少年という見てくれの体を見て俺は深く深く溜息を漏らす。かれこれ3ヶ月はこの関係が続いている。ヤるんなら別にヤってもいいけど、と答えてやったっていうのに少年の見た目の菊さんは顔を真っ赤にして「それじゃ駄目なんです!」と泣く。俺も気がつけば結構良い年のおっさんになってしまったわけで、しかも飽きっぽさとはまりやすさが影響して結構ただれた性生活を送ってしまったので、女でも男でも年上でも年下でもネコでもタチでも気持ちよければなんでもいっか、な精神だったが、あまりに真っ直ぐに気持ちをぶつけてくる菊さんにはその精神はないらしい。ただ純粋に、俺が、好き、らしい。信じられない事に。
俺はぐずぐずと泣く菊さんをそっとどけて、サイドデスクに置いてあるタバコを銜えて火をつける。なんだかすっかり萎えてしまった。いや、チンコじゃなくて気分が。そろそろこういうぐだぐだとした関係にも飽きてきた。
「あの、菊さん、ヤんねえんなら泣きやんでくだせぇ・・・それからビール取ってくれるとありがたいです」
菊さんはぐずぐずと言いながら冷蔵庫から素直にビールの缶を取り出して俺に渡す。
そのままベッドに腰掛けてぐずぐずと泣く。泣きながらバスタオルに顔を埋めて「うぅ゛…うぐっ、う゛っ、うぅぅぅ゛」とまるで餓鬼のように泣き続ける。これまでの失敗の経験を生かして、きっと今回も駄目だろうということを見越して、最近はバスタオルを傍に置いてからセックスに挑む。まあ結局毎回俺の読み通り菊さんのチンコは勃つこともなく、菊さんは敗北感に打ちひしがれながらバスタオルに顔を埋めて泣くのだ。ティッシュじゃ追いつかない。地球温暖化ってやつと物価の高騰の影響でバスタオル。
菊さんは、俺が拾ったようなものだたt。
いや、拾ったというには語弊がある。俺は、菊さんの、最初の客だった、ってな言葉の方があっている。
深夜の公園でだらだらと一人酒をしていた俺に、ブレザー姿の菊さんが飛び出してきて、顔を真っ赤にして言ったのだ。「私を買ってください」と。男でも女でもなんでも良いし、見た目もお上品ではないが一般常識は人並みにあると自負して、なおかつ金払うほど飢えてなかった俺は「はぁ?」と露骨に聞き返した。すると菊さんは「うわあああん」と泣き出した。「おがねがいるんでずぅぅう」と見っとも無く泣き出した菊さんの話を聞けば、両親が離婚。菊さんとそれから二人の弟、一人の妹を引き取った母親は男の家に入り浸り。学校だって周りは常識からズレたクラスメイトばかりで居場所がない。そしてこの間、担任から告げられたのは「授業料が払われていない。このままだと強制退学になるぞ」の一言。
「だがらおがねがい゛るんでずぅ」
と泣きじゃくる菊さんに「普通にバイトしろ!」とゲンコツ食らわせてやったのはもう半年も前の話だ。そのゲンコツがなんだか分からないけれど菊さんの「心」とやらに響いたとかで、「尊敬」する気持ちが3ヶ月もかけて妙な具合にこんがらがって、今は「好き」に変わってしまったらしい。・・・性的に。
そして気がついたら居座っている。来るものは拒まず去るものは追わずの俺なのでそのままに放置しているうちに、いつのまにか菊さんの中で、俺がネコでこいつがタチという図が出来上がっているらしい。な?意味がわからないだろう?