聲
てつしの、昔より大きく逞しくなった椎名の形の良い顎のラインをするりと撫でる。こそばゆさに目を細めた椎名の後頭部にそのまま手を差し入れ、唇が重なった。
「―――!!」
それが単なる友愛の証ではないこと位すぐわかった。
椎名は一瞬目を見開いて、細い腕でてつしの肩を押して押し戻す。重ねあうだけの口付けはてつしには不満だったのか、少しぶすっとした声がする。
「……なんで」
「なんでじゃないでしょ…」
「良いじゃねーか、ちょっと位。リョーチンが横で寝てたら出来ないだろ、さすがに」
「……だからって、こんなとこで」
「大丈夫だよ、皆寝てるし…兄貴だってまだ帰ってこないから」
最後の一言は囁くような声だったが、竜也の耳にはやけにはっきりと聞こえた。
それでまた二人の唇が重なる。今度はもっと長く、そして深く。椎名はそれでまた少してつしの腕のなかで体をこわばらせて身じろぐが、やがてその腕がゆっくりとした動作でてつしの背中に回され、白魚のような手がてつしのTシャツをぎゅっと握り締める。
「――!!」
その、手が。月明かりの中でやけにはっきりと目に飛び込んでくる。
不意にその手が、ついさっき目に焼き付けたばかりの、もっと大きくて無骨な「彼」の手とだぶって見えた気がした。
――『俺ももういい年だし、いつまでもあいつのこと待たせてらんねーからな。ま、安物だけどよ』
頭の中で彼の声がする。ぶっきらぼうだけど、嬉しそうな、慈しみに満ちた声。照れくさそうに頬をかく左手の、その薬指に光る指輪。
あわてて椎名の手から目をそらして音も立てずに階段を上がって自分の部屋に駆け込む。一瞬誰かの視線を感じた気もしたが、それを気にする余裕は今の竜也にはない。自室のドアを閉めると色々な感情が一気にあふれ出して叫びだしてしまいそうで、そのままずるずると崩れ落ちるように座り込む。
「―――っ…!」
まだ帰ってこない、と言った弟の言葉は正しい。いつもなら家に帰ってくるのはいつもよりもっと遅い時間だ。それが今日に限っていつもより早く帰宅したのは、いつもなら他愛もない話をしながら長居する派出所に少ししかいなかったから。薬指の指輪と、嬉しそうに恋人のことを語る想い人の笑顔を見ているのがあまりにもつらかったから。
頭の中で、愛しき者の名を呼んだ知らない弟の声、かすかに聞こえた椎名の熱っぽい息が、背中に回された手がまざまざとよみがえる。
嗚呼、と竜也は心中で大きく息を吐く。
自分の大切な人が皆どこか遠くへ行ってしまうような計り知れない絶望感に、目の前が真っ暗になるような気がした。