Iの2乗が持つ答え
ぼんやりと、見上げる先にあるものは、憎らしい程に突き抜けた蒼だった。
この悩みもほんの些細なものなのだと壮大に広がる空に念押しされた気がして、むぅ、と唇を尖らせる。
聊か本題からズレた思考に辟易したように溜息を吐いて、少年、竜ヶ峰帝人はまた、心の中のもやもやへと戻って行った。
『帝人?』
丁度、仕事帰りの彼女、池袋の都市伝説こと、首無しライダーセルティは、公園のベンチに腰掛ける歳の離れた友人の、いつになく鬱屈そうな様子を目撃してしまった。
心配に想い、セルティは帝人に近付く。
「あっ、セルティさん。」
こんにちは、お仕事お疲れ様です。
言って頭を下げて笑む様子は常のものと何ら変わらない。
だが、あっさり覆い隠されてしまう本音を易々と見逃す程、セルティは帝人のことをどうでも良いと思っている訳ではなかった。
ほんの少しの好奇心、そして友人が困っているならば助けたい、力になりたいという純粋な好意が、セルティに次の言葉を打たせる。
『何か、悩み事か?私で良かったら訊くぞ!』
ドンッ、と胸を叩く彼女は、自分よりも遥かに大きく広い存在に思えた。
空よりも身近で、ずっと頼もしいセルティに、帝人は一瞬逡巡したものの、苦笑を零した。
「セルティさんには、敵いませんよね。」
『当然だ。私と帝人じゃ、生きて来た時間が違うからな。』
彼女に顔があれば、ウィンクでもしているのではないかという位茶目っけを含ませた返答に、また帝人は笑いを零したのであった。
「悩み、って程じゃないんですけど・・・」
『何でも良いさ。帝人が言いたくないなら、無理には訊かないから。』
帝人の為に缶コーヒーを買って来たセルティは帝人にそれを渡し、帝人の隣に腰掛ける。
帝人の姉貴分といっても過言ではないセルティは、優しく帝人の頭を撫でた。
時間を取らせていて申し訳ない、と思いつつも、内容が内容なだけに、セルティに相談するのは如何なものか、と考える。
チラリ、と横目でセルティを窺えば、優しい雰囲気のまま、急かす訳でもなく、帝人の好きなようにさせてくれた。
そうした、セルティの心の広さに葛藤を振り切り、帝人は「静雄さんの、こと、なんですけど。」、と切り出した。
『静雄の?』
「はい、静雄さんです。」
セルティは帝人の言葉を耳にした瞬間、意味が分からない、といった具合に首を傾げたが、数瞬後、何処かへ思考が思い至ったのか、勢い良く立ち上がる。
憤然としている様に見えるのは、帝人の気のせいなのか。
「せっ、セルテイ、さん?」
『あの馬鹿!一体帝人に何を・・・!帝人、もう大丈夫だ。一体何があった、いや、何をされた?というか大丈夫か何所か痛い所とか無いのか!?』
「いえ、ありません。・・・じゃなくて!セルティさん!落着いて下さいそれは誤解ですそんなんじゃありませんからーーー!!!」
今にも駆け出しそうなセルティの様子に帝人は懸命に彼女の腕にぶら下がって引き止めた。
このまま放っておいては件の男、池袋の鬼神、平和島静雄が危険である。あらぬ嫌疑を掛けられた上に理不尽な言い掛かりで折角の友情関係に罅を入れる訳にはいかない。
そして。
『・・・本当か?帝人。静雄と何かあった訳じゃないんだな?』
「はい。初対面の頃から静雄さんは優しかったですし、その・・・付き合う様になってからは、特に、優しいですから、セルティさんが心配してるような事は、ありません。」
ホッ、と怒らせていた肩から力を抜いたセルティ、に、フゥ、と安堵の息を吐いた帝人は、セルティと共に再びベンチに腰を下ろした。
恋人である相手の、僅かしかない平穏な時間を少しでも確保することが出来、帝人はもう1つ、安堵の息を吐いた。
『済まないな。つい、取り乱してしまって。』
「そんな。心配してくれて、嬉しいです。セルティさんは僕と静雄さんの関係を知って応援してくれる、数少ない人ですから。」
それと、と、言葉を一旦切ってから、「言い方が良くなかったのかもしれません。問題なのは、どちらかというと、僕の気持ちですから。」、と自嘲を浮かべた。
『どういうことだ?』
再び、解せないと首を傾げる妖精の可愛らしい様子に和み、帝人は、細々と、迷う様に言葉を紡ぎ始めた。
「セルティさんから見て・・・静雄さんは、僕のこと、好きなように見えますか?」
は?、とセルティは思わず訊き返しそうになった。
何を言っているのか、帝人の肩を揺さぶってしまいそうにもなった。
静雄の、帝人に対する気持のベクトルなど、見て明らかである。
常に表情は穏やかで優しげであるし、あれ程人との接触を怖がっていた男が、躊躇いながらも、自分から手を伸ばせるようになった。
帝人をベタベタに甘やかし、また甘やかされ、近頃の静雄は稀にみる幸福オーラを垂れ流しながら、得難かった平穏、日常を、一時でも謳歌しているように見える。
『そんなの、一目瞭然じゃないか。見てて恥ずかしくなる位、ベッタリだろ、あいつ。』
それこそ、弟で家族である幽に対するのと同じかそれ以上に。
そう、打とうとして、セルティはピタリと止まった。
一拍置いて、帝人を見る。何となくだが、帝人の考えが分かった気がした。
セルティの戸惑う様子に、彼女の思考を悟った帝人は、緩やかに苦笑する。
正解です、と、テノールが囀った。
「僕の悩み、というか、迷いというのは、そういうことなんですよ、セルティさん。」
静雄は、帝人に対して、酷く慎重で、優しい。
基本的には帝人の意思を尊重するし、少しずつでも歩み寄ろうと努力する姿勢も見られる。
お互い生活習慣が違う故、会える時間がそう長い訳でも無い。だが、だからこそ、偶に会えた時の喜びや嬉しさも一入というものだ。
取り分け、常日頃から殺伐とした空気の中を生きている感がある静雄は、帝人と共に居る事で日常の中に安らぎや癒しを得ることが出来るらしい。
元々帝人も、静雄の非日常性や、彼の人柄に憧れている節があり、静雄の良き理解者となろうとしていて、傍から見ても良い組み合わせと言えるだろう。しかし。
「だったら、友達でも良いと、思いませんか?」
それだけの為にわざわざ、恋人という特殊な関係に昇格しなければならない理由は無いのだと。
「僕だって静雄さんのこと、好きです。大切だって思います。ただ、その気持ちは、友情とするにはちょっと重たくても、でも、恋愛感情だって言い切るには、材料が少な過ぎるのかなぁ、って。」
『つまり、帝人は、気持ちに迷ってるってことなのか?』
そうセルティが問うと、うぅん、と首を傾げて少し考え、帝人は躊躇いがちに口を開いた。
「・・・実際、友情と恋の境目が分からない、って所はありますね。確かに、静雄さんに好きだ、って言って貰えた時は嬉しかったし、心臓も跳ねて、OKの返事をしました。僕だって好きですから。」
でも、と、言葉を切ると、帝人は大人びた苦笑を浮かべる。
「一緒に居るだけで、満足しちゃってる所も、あるんです。一緒にご飯食べて、遊びに行って、偶にお泊りとかして。他愛無いお喋りだとか、肩に寄り掛かるだとか、そんな接触で、僕は幸せなんです。」