昭和初期郭ものパラレルシズイザAct.12
やがてやって来た
うだる暑さの夏の盛り
店の者達は皆
客の居ない時間帯には
思いきり浴衣を着崩して団扇で風を入れ
口さえ開けば暑い暑いと文句を言い
店を開けてやってくる客達の挨拶も
一つ覚えのように「いや暑いねぇ」とばかり
相変わらず涼しげな顔をして
スルスルと絽や紗の着物の裾を引いているのは
店主の臨也一人
他の者達が
バタバタと団扇を使い
赤くうだった顔をしているのに
臨也だけはいつも通り
白い頬をし口元には淡く紅まで差し
優雅に手にした団扇はバタバタとあおぐ為には使わず
チラと顔の下半分を物言いたげに隠す小道具
さすがは臨也さんだ
皆暑さでだれきってるってのに
立派なもんだと番頭達は褒めそやしたが
「・・・臨也さん、ちょっといいですか。」
「おや、帝人?何だい?」
「・・・お部屋でお話を。」
「ふふ・・・。怖い顔しちゃって。」
「いいですから。」
帝人にせっつかれ
自分の居室へと入った臨也は
入ったと思えばすかさず後ろ手に
用心深く襖を閉める帝人に苦笑する
「おぉ怖い顔。で?用事は何かな?」
「・・・臨也さん、最近よく軽い咳が出ますよね。」
「あぁ?夏風邪らしい。君達に移さないようにするよ。」
「・・・夏風邪ですか。便利な言葉ですね。」
「嫌だなぁ。棘のある物言いの子になっちゃって?」
笑顔でついと頬に伸ばされた手を
あえて振り払わず
蠱惑的に頬を撫でさすられながら
帝人は真っ直ぐな瞳で臨也を見て居る
あぁこの子も
すっかり
他人に触れられる事に慣れてしまった
と
微笑みを崩さないまま
臨也は思った
「・・・君もすっかりここの水に慣れたようだね?」
「お陰様で。」
「旦那とはその後どう?上手くいってるようだけど?」
「お陰様で。売り上げにも貢献してますよね僕?」
「あぁ。感謝してるよ帝人君?」
フフッと笑った臨也が戯れに
ちゅ、と唇を帝人の耳に当て
それを冷静に受け止めた帝人が
瞳も閉じず冷めた声で臨也に言った
「どうせなら唇にして欲しいんですけど?」
「フフ。生憎と俺はそれ程お安くは無いよ?」
「じゃあ僕から。」
急に臨也の頬を両手で挟み
強引に口付けようとした帝人の唇に
臨也の指先が当たる
しばらく
その指に唇を当てていた帝人は
やがてゆっくりとその指から唇を離し
「前はこんな温かな指じゃありませんでした。」
と
言う
「臨也さんの手はいつももっと温度が低かったはずです。」
「何言ってるんだい。夏だよ?暑いし。」
「でも顔色はそんなに青白い。紅を引いてるのも」
唇の色が
あんまり悪いのを隠す為でしょう
と
帝人は今度はぐっと臨也の絽の襦袢の襟を掴む
その手を素早い身のこなしで振り退けて
折原臨也は意地悪い笑みを浮かべた
「ちょっと稼ぎが良くなるとすぐこれだ。おイタは駄目。」
「襟。ぐっしょり湿ってますね。汗で。」
「夏だしね?」
「でも臨也さんは少しも暑そうじゃない。寧ろ」
ぞくぞくして
寒気さえしてるんじゃないですか
そんなに熱い手をして身体にじっとり汗かいて
と
帝人は臨也の顔を瞬きもせず見つめて言う
「ご存じですよね、僕らの集落はとても貧しい所だ。」
「知ってるよ。」
「そんな所だから。肺病病みも沢山見て知って居ます。」
「ふぅん?」
「そんな風に咳をする人も。沢山見ました。」
「そう?」
「夏でも暑そうにしていなくて。そういう人って。」
「へぇえ?」
「でも身体は熱いしじっとりと汗もかいてるんです。」
「そうなのかい?」
「臨也さん。もう、こんな仕事辞めて何処か空気のいい所で」
「そんな事、本気で言ってる?」
笑顔で
殊更に楽しい事を語るように
折原臨也は自分よりもずっと歳若い帝人に
子供のように話しかける
「ねぇ帝人君?」
「俺には故郷も無い。そして旦那はあの人だ。」
「あの人が俺を買ったんだよ。」
「帰る場所なんて俺には無い。」
「ここが俺の居場所だよ。もう十年も前からね。」
「そしてここがきっと俺の死に場所。」
「ここが俺の家だよ。」
「気に入ってるんだ。」
嘘です
と
断言する帝人に
君はまだまだお子様だからねぇ
と
折原臨也が今度は哀れむように微笑みかける
「いい?俺が幸せかどうかは俺次第。」
君が推し量っていいものじゃないよ
と
真っ直ぐ過ぎる感覚を持つ少年に
臨也はニヤリと言い聞かせる
「君の正義は君の信じる正義。でも俺のとは違う。」
「詭弁ですね。」
「おーやおや?随分と難しい言葉を知ってるねぇ?」
「臨也さんが使うのを聞きましたから。」
「フフフ。君は本当に面白い子だ。」
「でも俺は自分が間違ってるとは思いません。」
こんな場所で
あんなヤクザな人にいいようにされて死ぬなんて
「絶対に不幸です。」
「言い切るねぇ?」
「はい。」
「フフ。解った。君の意見として覚えておくよ。」
「お願いします。あと」
「肺病のことは伏せておきますから、だろ?」
「・・・はい。」
「頼むよ。君達には移さないようにするから。」
「・・・客には移しても?」
「フフ。そっちはいいと思ってるよ?」
「・・・解りました。」
その手の団扇で最近よく口元を隠してるのは
「咳で僕らに肺病を移さないようにする為ですね?」
「おや?そんな使い様があるとは気付かなかった。」
「・・・嘘ばっかり。」
溜息をつき
部屋を出て行こうとした帝人が
急にくるりと振り返る
「臨也さん?」
「うん?」
「俺が。逃げて下さいってお願いしても無駄ですよね?」
「アハハ。面白い事を言うねぇ?」
「・・・でも例えば」
あの静雄さんなら
と
独り言めいて呟く少年の言葉に
臨也が団扇を持つ手がきゅ、と締まる
「・・・臨也さんを掠って逃げるくらいの力が」
「いい加減にしないと許さないよ?」
「何をですか?」
「そのくだらない独り言。」
「・・・はい。」
「ねぇ帝人君?一つ覚えておくといい。世の中を」
いいように動かすのは
「君の思うような正義じゃないよ。金と権力さ。」
そんなはずありません
と
言いたげな瞳で
振り向いているだろう少年の瞳を綺麗に無視して
折原臨也はふわりと紗の裾を翻して座り
机に広げた帳簿に目を通す
そこに書き付けられた数字こそが真実
少年達の運命は全て
この中に
「さぁもうお行き。湯浴みをして着替えないと。」
黙って襖が開いて
そして閉められ
廊下を遠ざかる軽い足音
純粋と頑固がくっつくと最高にやっかいだねと
臨也は苦笑し
はぁと溜息をついて広げた帳簿に寄りかかる
帝人に追求された通り
最近は朝から夜までぬるい熱が引かず
この暑さなのにぞくぞくと寒気がし
平気な顔をして店を仕切っているが
いつも横になりたくて立っているのも億劫だ
唇に薄く紅を引いているのも
言われた通り
この暑いのに唇の色が余りに白っぽく
それだけで不健康だと知れてしまうから
「・・・もうあんまり長く無いのかもね。」
呟いただけで
軽くコンコンと咳が出るのも
最近ではもう隠しようも無い
この先店の子達へ移してしまう危険性も考えれば
店を退くのが良いのだろうが
あの四木が果たして首を縦に振るのかどうか
しかもこの店は臨也の顔で繁盛しているようなものだ
うだる暑さの夏の盛り
店の者達は皆
客の居ない時間帯には
思いきり浴衣を着崩して団扇で風を入れ
口さえ開けば暑い暑いと文句を言い
店を開けてやってくる客達の挨拶も
一つ覚えのように「いや暑いねぇ」とばかり
相変わらず涼しげな顔をして
スルスルと絽や紗の着物の裾を引いているのは
店主の臨也一人
他の者達が
バタバタと団扇を使い
赤くうだった顔をしているのに
臨也だけはいつも通り
白い頬をし口元には淡く紅まで差し
優雅に手にした団扇はバタバタとあおぐ為には使わず
チラと顔の下半分を物言いたげに隠す小道具
さすがは臨也さんだ
皆暑さでだれきってるってのに
立派なもんだと番頭達は褒めそやしたが
「・・・臨也さん、ちょっといいですか。」
「おや、帝人?何だい?」
「・・・お部屋でお話を。」
「ふふ・・・。怖い顔しちゃって。」
「いいですから。」
帝人にせっつかれ
自分の居室へと入った臨也は
入ったと思えばすかさず後ろ手に
用心深く襖を閉める帝人に苦笑する
「おぉ怖い顔。で?用事は何かな?」
「・・・臨也さん、最近よく軽い咳が出ますよね。」
「あぁ?夏風邪らしい。君達に移さないようにするよ。」
「・・・夏風邪ですか。便利な言葉ですね。」
「嫌だなぁ。棘のある物言いの子になっちゃって?」
笑顔でついと頬に伸ばされた手を
あえて振り払わず
蠱惑的に頬を撫でさすられながら
帝人は真っ直ぐな瞳で臨也を見て居る
あぁこの子も
すっかり
他人に触れられる事に慣れてしまった
と
微笑みを崩さないまま
臨也は思った
「・・・君もすっかりここの水に慣れたようだね?」
「お陰様で。」
「旦那とはその後どう?上手くいってるようだけど?」
「お陰様で。売り上げにも貢献してますよね僕?」
「あぁ。感謝してるよ帝人君?」
フフッと笑った臨也が戯れに
ちゅ、と唇を帝人の耳に当て
それを冷静に受け止めた帝人が
瞳も閉じず冷めた声で臨也に言った
「どうせなら唇にして欲しいんですけど?」
「フフ。生憎と俺はそれ程お安くは無いよ?」
「じゃあ僕から。」
急に臨也の頬を両手で挟み
強引に口付けようとした帝人の唇に
臨也の指先が当たる
しばらく
その指に唇を当てていた帝人は
やがてゆっくりとその指から唇を離し
「前はこんな温かな指じゃありませんでした。」
と
言う
「臨也さんの手はいつももっと温度が低かったはずです。」
「何言ってるんだい。夏だよ?暑いし。」
「でも顔色はそんなに青白い。紅を引いてるのも」
唇の色が
あんまり悪いのを隠す為でしょう
と
帝人は今度はぐっと臨也の絽の襦袢の襟を掴む
その手を素早い身のこなしで振り退けて
折原臨也は意地悪い笑みを浮かべた
「ちょっと稼ぎが良くなるとすぐこれだ。おイタは駄目。」
「襟。ぐっしょり湿ってますね。汗で。」
「夏だしね?」
「でも臨也さんは少しも暑そうじゃない。寧ろ」
ぞくぞくして
寒気さえしてるんじゃないですか
そんなに熱い手をして身体にじっとり汗かいて
と
帝人は臨也の顔を瞬きもせず見つめて言う
「ご存じですよね、僕らの集落はとても貧しい所だ。」
「知ってるよ。」
「そんな所だから。肺病病みも沢山見て知って居ます。」
「ふぅん?」
「そんな風に咳をする人も。沢山見ました。」
「そう?」
「夏でも暑そうにしていなくて。そういう人って。」
「へぇえ?」
「でも身体は熱いしじっとりと汗もかいてるんです。」
「そうなのかい?」
「臨也さん。もう、こんな仕事辞めて何処か空気のいい所で」
「そんな事、本気で言ってる?」
笑顔で
殊更に楽しい事を語るように
折原臨也は自分よりもずっと歳若い帝人に
子供のように話しかける
「ねぇ帝人君?」
「俺には故郷も無い。そして旦那はあの人だ。」
「あの人が俺を買ったんだよ。」
「帰る場所なんて俺には無い。」
「ここが俺の居場所だよ。もう十年も前からね。」
「そしてここがきっと俺の死に場所。」
「ここが俺の家だよ。」
「気に入ってるんだ。」
嘘です
と
断言する帝人に
君はまだまだお子様だからねぇ
と
折原臨也が今度は哀れむように微笑みかける
「いい?俺が幸せかどうかは俺次第。」
君が推し量っていいものじゃないよ
と
真っ直ぐ過ぎる感覚を持つ少年に
臨也はニヤリと言い聞かせる
「君の正義は君の信じる正義。でも俺のとは違う。」
「詭弁ですね。」
「おーやおや?随分と難しい言葉を知ってるねぇ?」
「臨也さんが使うのを聞きましたから。」
「フフフ。君は本当に面白い子だ。」
「でも俺は自分が間違ってるとは思いません。」
こんな場所で
あんなヤクザな人にいいようにされて死ぬなんて
「絶対に不幸です。」
「言い切るねぇ?」
「はい。」
「フフ。解った。君の意見として覚えておくよ。」
「お願いします。あと」
「肺病のことは伏せておきますから、だろ?」
「・・・はい。」
「頼むよ。君達には移さないようにするから。」
「・・・客には移しても?」
「フフ。そっちはいいと思ってるよ?」
「・・・解りました。」
その手の団扇で最近よく口元を隠してるのは
「咳で僕らに肺病を移さないようにする為ですね?」
「おや?そんな使い様があるとは気付かなかった。」
「・・・嘘ばっかり。」
溜息をつき
部屋を出て行こうとした帝人が
急にくるりと振り返る
「臨也さん?」
「うん?」
「俺が。逃げて下さいってお願いしても無駄ですよね?」
「アハハ。面白い事を言うねぇ?」
「・・・でも例えば」
あの静雄さんなら
と
独り言めいて呟く少年の言葉に
臨也が団扇を持つ手がきゅ、と締まる
「・・・臨也さんを掠って逃げるくらいの力が」
「いい加減にしないと許さないよ?」
「何をですか?」
「そのくだらない独り言。」
「・・・はい。」
「ねぇ帝人君?一つ覚えておくといい。世の中を」
いいように動かすのは
「君の思うような正義じゃないよ。金と権力さ。」
そんなはずありません
と
言いたげな瞳で
振り向いているだろう少年の瞳を綺麗に無視して
折原臨也はふわりと紗の裾を翻して座り
机に広げた帳簿に目を通す
そこに書き付けられた数字こそが真実
少年達の運命は全て
この中に
「さぁもうお行き。湯浴みをして着替えないと。」
黙って襖が開いて
そして閉められ
廊下を遠ざかる軽い足音
純粋と頑固がくっつくと最高にやっかいだねと
臨也は苦笑し
はぁと溜息をついて広げた帳簿に寄りかかる
帝人に追求された通り
最近は朝から夜までぬるい熱が引かず
この暑さなのにぞくぞくと寒気がし
平気な顔をして店を仕切っているが
いつも横になりたくて立っているのも億劫だ
唇に薄く紅を引いているのも
言われた通り
この暑いのに唇の色が余りに白っぽく
それだけで不健康だと知れてしまうから
「・・・もうあんまり長く無いのかもね。」
呟いただけで
軽くコンコンと咳が出るのも
最近ではもう隠しようも無い
この先店の子達へ移してしまう危険性も考えれば
店を退くのが良いのだろうが
あの四木が果たして首を縦に振るのかどうか
しかもこの店は臨也の顔で繁盛しているようなものだ
作品名:昭和初期郭ものパラレルシズイザAct.12 作家名:cotton