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昭和初期郭ものパラレルシズイザAct.12

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陰間茶屋は女郎屋よりもずっと数の限られた商売だから
おいそれと次の店主を何処かから引いてくるのも難しい
この店の子の誰かを換わりに据えるとすれば
若い子ばかりを集めているのが仇となり
それもそれでまた難しいだろう
青葉辺りなら喜んで店主を引き受けるとは思うが
幾ら何でもまだあの歳では幼すぎる

咳を押さえて頭を巡らせる臨也の横では
優美な竹細工と見せておきながら
その実
窓から逃げられないように竹のはめ込まれた丸窓の
障子の向こうの風が今日はやけに騒がしい

「・・・そう言えば」

夜半には台風が来るかもとか聞いてたっけと
臨也は頭を起こしてじっと
竹の隙間から空を見る
空気の匂いも何やら酷く湿り気を帯びてきていて
まだ真っ昼間なのに雲がいやに低く暗い

「やれやれ・・・これじゃ台風への備えもさせないとね。」

溜息をつき、両手を机について臨也は立ち上がり
呼吸を整えてからシャンと背中を伸ばし
壁にかかっている鏡を覗いて見
少し顔を顰めて
小箪笥の上へ載せてある蒔絵細工の小さな紅入れの蓋を取る

小指の先へと紅をつけ
ほんの少しだけ
ちょいと唇の真ん中へ差す紅は
金を落としてくれる男の為のものではなく
自分を
取り繕う為の

鏡の中に居る
白い頬の
赤い唇の自分に
にっ、と微笑みかけ
折原臨也はスルスルと
紗の裾を引いて部屋を出た

もうすぐ今日も
偽りの夜の来る店は
そろそろと準備を始めた店の子達と裏方とで
それこそ台風並みの騒がしさ

だが

後に記録的被害と記される程の
本物の嵐が
迫っているとは誰も知らず
運命ごと
風に舞い散らされてしまう自分達の事を
誰も

知って居る者は居なかった





夕刻からもうかなり降り出した雨と
強い風
まさか今夜は来る客もそうはあるまいよと
折原臨也が読んだ通りに客足はほとんど無いその日

駄羅離屋も近所の女郎屋も次々に店の表を閉め
たてつけを見回ったり店先の看板をしまい込んだり
雨戸のある窓は雨戸を全て閉め
軒先の風鈴もすだれも全て外して中へと入れて

思わぬ休暇になった気分で
最初は花札などに興じていた店の子達も
やがて夜になり地響きのするような風音と
閉めていても隙間から吹き込んでくる雨風
屋根の瓦さえ浮いているような頭上からの音に
段々と肩を寄せ合い不安げに

そんな中

「お前達、万が一って事もあるから皆、支度をおしよ。」

最早雑音にしか聞こえないラジオに
じっと耳をつけて聞いていた臨也が立ち上がって言った

「万が一って、臨也さん。」
「沢山建物が倒壊してる。ここも吹き飛ばされるかも知れない。」
「そんな、」
「冗談言ってる場合じゃないだろ。皆荷物を纏めて。」
「臨也さん、まさかそんな、」
「まさか、じゃ無いよ。荷物を纏めて手元に持って。早く。」
「は、はいっ。」
「逃げる事考えて、大事なものだけ持って。ほら早く!」

青ざめた番頭を始め
店の者達が我先にと自分の部屋へと戻る中
平和島静雄だけが「ちょっと来て」と
臨也に袖を引かれた

「あ?」
「悪いんだけど。ちょっと役立ってよ。用心棒さん?」
「・・・手前。一体何企んでやがる?」
「フフ。それは見てのお楽しみ、ってね?」

そしてそっと周囲に気を配りながら
自室へと戻った臨也は
壁に備え付けられた立派な金庫の鍵を合わせて開け
中から店の売上金やらを入れてある
大ぶりな手提げ金庫を取り出してそれも鍵を開け
中身を確認した
中には溢れそうな程に札がぎっしりだ

静雄は臨也の意図が読めず
呆気に取られて
生まれて始めて見るそんな大量の金に目を丸くするが
臨也はそんなものには少しも構わず
今度はまた壁の金庫の奥から
これも立派な蒔絵細工の文箱を取り出し
さっきの手提げ金庫を持って
付いてくるようにと静雄に告げると
自分は文箱を持って先に部屋を出て行く

そして
台風に備えて固く閉ざした玄関の土間へ降りると
静雄を手招きしてこう叫べ、と静雄に指示をする

「・・・手前。それ本気か・・・?」
「フフフ。どう?いい思いつきだろ?」
「んな事したら、粟楠の奴らが黙って無ぇだろが。」
「何言ってるのさ。台風で証文も金も帳簿も」

綺麗さっぱり
吹き飛んで行ってしまうんだ

「誰が悪いんでも無いさ。そうだろ?」

静雄の目が臨也をじっと見る

「・・・手前。俺が思ってたよかいいヤツだな。」
「は?」
「解った。じゃあ叫ぶぜ?」

ニッと微笑んだ静雄は
大声で
館内全てに響き渡るような声で叫ぶ

これから
手前らの年季奉公の証文
全て返してやる
年季明けの祝い金も少しばかりやるから
準備の出来たヤツから玄関へ来い
そして証文と金
受け取ったヤツからとっとと出てけ

「・・・これでいいんだな?」
「あぁ。無駄にでかい声がやっと役に立ったね?」

少し喋ると
それだけでも軽い咳が出る
臨也は口元を手の甲で押さえ
大丈夫かよオイ
夏風邪は馬鹿が引くっつうから
しょうがねぇけどよ、と
何も知らずに背中をさすってくる
馬鹿な男にそっと苦笑した

やがて静雄の大声を聞いたのだろう
何を仰ってるんですか臨也さんと
唇の色を失って走って来た番頭やら
信じられないという顔で集まって来た店の子達に
臨也は微笑んみ本気だよと証文を渡し
静雄ががっちりと抱え込んだ金庫の中から
それぞれに見合った金を掴み出して
押しつけてやった

そして小半時




「ったく・・・現金だな人間て奴は。」
「フフ。現金にゲンキンかけて上手い事言ったつもり?」
「ハァ?」
「アハハ。気付いてもないかシズちゃんは。でも」

あれでこそ人間だよ
最高に人間らしくていいじゃない

臨也はすっかり空っぽになって
静雄の足もとに転がっている金庫を見て笑う

恐縮していた番頭は金を手にするとあっさりと出て行き
僕はいいですと抵抗した帝人は正臣に引っ張って行かれ
僕の稼ぎはもっとあったと思いますけどと粘った青葉も
小銭まで全てを与えてやると満足げに出て行った

ガランとした店内
今もう
この店の中には
玄関の上がりまちに腰かけている二人の他には誰も居ない

「まぁ。外へ出たってこの嵐じゃあ運が悪けりゃ死ぬよ。」

フフフ
あの中で何人が無事に生き延びられるかな

とても楽しそうに笑う臨也を
横から静雄が呆れた目で見
「やっぱ手前は性格悪ィな?」

またコンコンと咳込む臨也の背を撫でる
そんな静雄を苦笑して見上げ
「はいこれ」と臨也は着物の胸元から
それだけは避けておいた札束を出す

「あ?」
「あ、じゃないでしょ。君のお給金だよ。ひと月分。」
「・・・はぁ?・・・イヤ・・・多過ぎんだろコレ。」
「そんな事ないだろ。適正な額さ。」
「これがかよ?」
「そう。俺の一晩の稼ぎと同じだけ。」
「え・・・っ。」
「驚いた?それが俺の一晩の値段。」

四木の旦那が
いつも支払う額さ

臨也が静雄の手の札束を見て微笑む

「どう?俺って高嶺の花だろ?」



静雄は手の中の札束を見つめ
そして呟く
これが
手前
買えるだけの金かよ、と



「そう。駄羅離屋の店主折原臨也の値段だ。」
「・・・じゃあこれがありゃ」

手前を
一晩買えるって事か