恋のヤマイ、ハルの鬼
白いエンボス紙を開くとふわりと拡がる薔薇の香りは強く激しくそして孤高なあの人の香りだ。
美しい色彩の黒インクで丁寧にしかし流れるように綴られた文字がすらすらと解読できるようになったのはいつ頃だっただろうか。いつだって辞書を首っ引きに読み進めていけば他愛のない時節の話題ばかりだった。私だって言葉の表現の美しさでは自国語に対して相当の自負を持っている。彼の操る言葉はそれとはまた違った趣ながら、時折過ぎるほどに遠回りな表現で隠喩することもあり、幾度も首を傾げながらハッと腑に落ちた瞬間ニヤリとさせられるのが私は大好きで楽しみだった。
律儀に届けられる季節ごとの頼り、今はまだ陽の昇る瞬間の時間にはグンと気温を下げ厳しい冬を思わせながら、新しい生命の伊吹を庭先に見つけたのだとクラシックな文字は語り掛けてくる。
手を繋いでほんの20年。
永劫を生きる私達には本当に瞬きをする程に僅かな時間だった。
だけどもその熱は確かに一人ぼっちだった私達を暖め、春の風のように絶望を払い退けたのだ。
まだ寒い夜明けに軋むように痛む指先の創痕で便箋の縁をそっと撫ぜる。
本当はあの星の夜のように穏やかに微笑みと囁きで少しずつ違いを埋めていきたかったけれど、時代はそれを許さず私は頑なさで多くを守る代わりに深手を負い、また彼も多くを失い傷ついたのだと聞いた。
戻ってはこない優しい時間を思いつつ、私はそっと畳まれた春の頼りを封に戻し繊細で豪奢な封緘の蝋を眺め、古い菓子缶の一番上に新たに重ねるとそっと蓋をして分厚い書物の――あの人が興味を示さない自国の歌を編纂した古い和綴じの裏に仕舞い込んだ。
思えばその熱は『恋』というもの似ていたのでしょうか?
美しい色彩の黒インクで丁寧にしかし流れるように綴られた文字がすらすらと解読できるようになったのはいつ頃だっただろうか。いつだって辞書を首っ引きに読み進めていけば他愛のない時節の話題ばかりだった。私だって言葉の表現の美しさでは自国語に対して相当の自負を持っている。彼の操る言葉はそれとはまた違った趣ながら、時折過ぎるほどに遠回りな表現で隠喩することもあり、幾度も首を傾げながらハッと腑に落ちた瞬間ニヤリとさせられるのが私は大好きで楽しみだった。
律儀に届けられる季節ごとの頼り、今はまだ陽の昇る瞬間の時間にはグンと気温を下げ厳しい冬を思わせながら、新しい生命の伊吹を庭先に見つけたのだとクラシックな文字は語り掛けてくる。
手を繋いでほんの20年。
永劫を生きる私達には本当に瞬きをする程に僅かな時間だった。
だけどもその熱は確かに一人ぼっちだった私達を暖め、春の風のように絶望を払い退けたのだ。
まだ寒い夜明けに軋むように痛む指先の創痕で便箋の縁をそっと撫ぜる。
本当はあの星の夜のように穏やかに微笑みと囁きで少しずつ違いを埋めていきたかったけれど、時代はそれを許さず私は頑なさで多くを守る代わりに深手を負い、また彼も多くを失い傷ついたのだと聞いた。
戻ってはこない優しい時間を思いつつ、私はそっと畳まれた春の頼りを封に戻し繊細で豪奢な封緘の蝋を眺め、古い菓子缶の一番上に新たに重ねるとそっと蓋をして分厚い書物の――あの人が興味を示さない自国の歌を編纂した古い和綴じの裏に仕舞い込んだ。
思えばその熱は『恋』というもの似ていたのでしょうか?
作品名:恋のヤマイ、ハルの鬼 作家名:天野禊