運命と絆の物語
第一章 生徒の謎
沈みかけた夕陽が柱の隙間から線のように差し込んでいる。
静まり返った午後の廊下に、規則正しい足音が響く。漆黒を身に纏った男が、長いローブをなびかせながら光の線を遮るように進んで行く。
魔法薬学の授業を終えたセブルス・スネイプ教授は、薬草を補充するため自分の温室へ出向き、数種類を摘み採ると再び地下牢へと向かっていた。自室へと足を進めながら、延々と思いを巡らせている。
(忌々しいポッターめが……あやつは何故一瞬たりとも問題を起こさずに居られないのだ。それにあのグレンジャーだ。……黙っていられずしゃしゃり出てはロングボトムにお節介を焼きたがる。ウィーズリーに至っては終始間抜け面で、魔法薬学という高度な授業の最初の文字すら理解しておらぬ。減点と罰則を与える作業のなんと容易いことよ──)
スネイプは眉間の皴をこれ以上無いほど深くし、苛立ちを露にした。
「しかし……」
躊躇なく進められていたその歩みが、ふと止まった。今度は言葉に出して短く唸っているがその表情は明らかに困惑している。つい先程目にした驚くべき光景は、冷静沈着なスネイプの思考を乱すには十分だった。
グリフィンドールとスリザリンの合同授業は、各寮の得点を大幅に開く絶好の機会だった。
スネイプは授業の課題として《生ける屍の水薬》の調合を生徒に指示し早口で手順を説明すると、いつもの様に生徒の間を見回った。今日の授業には特別な目的がある。
グリフィンドール生に一通りのケチをつけて周った後、背後からネビルの鍋に危険が無いか確認すると、教室の隅から生徒の一挙一動に目を光らせていた。
ハーマイオニーが意気揚々と調合を続けるその斜め後ろの席に、見るからにパッとしない生徒が一人、調合の手を止めて周囲の様子をチラチラと伺っている。
不審な行動の主であるソーニャ・レインズは、謎の多い生徒だ。見るからに暗く地味で、必要に迫られない限り滅多に口を利かないため一人でいることが多い。魔法薬学の成績は至って平均的だったが、奇妙なことにその出身や素性に関して一切の情報が明かされていなかった。同い年の魔法使いよりも妙に落ち着いた雰囲気を持っていることも、友人を持つには不向きのようだった。
どんな理由があろうとも、素性の知れない者をホグワーツへ入学させることは開校以来例をみない。その背後にダンブルドアの特別な意図があることは明らかだったが、意外にもそれを気にする者はほとんど居なかった。たった一人、スネイプを除いては。
入学初日からその名を轟かせていたハリーとは対照的に、その存在は極めて目立たないものだった。
ソーニャは同級生に比べると少し背が高く、緩やかにカールした黒髪を胸の辺りまで伸ばしていた。その印象を陰気な風貌に仕立てている原因は、その重苦しい前髪にあった。絡まった長い髪の毛が顔の大部分を覆い、申し訳程度に鼻を覗かせている。生徒の間では、彼女の目玉がどこか他のところについているだとか、スネイプのねっとりとした黒髪といい勝負だと囁かれていたが、本人は気にも留めていない様子だ。
スネイプは、ダンブルドアが幾度となくソーニャを校長室へ呼び出していることを知っていた。そしてそれらは決まって自らがハリーを守るため秘密裏に行動を起こしている時と重なっていた。この奇妙な一致には何らかの繋がりがあるに違いないと思っていたが、それらを結びつける糸口はなかなか見当たらなかった。
スネイプが、ハリーを守るためにホグワーツで起こる全ての事象を把握したいと思っているのに対し、ダンブルドアはスネイプに全てを語らなかった。その不満を何度か口にしたことはあっても、決まってダンブルドアの論調に丸め込まれてしまうのが常だった。
スネイプは度々ソーニャの行動を監視していたが、今ひとつ目立った成果は得られていなかった。それとなく他の教師に探りを入れることもしてみたが、皆一様に同じ答えを返すので、今では尋ねる気すら起こらなくなってしまった。
『成績は可もなく不可もなく、特に目立った行動もない。──極めて平均的な生徒』
嫌というほど耳にしたその印象が、何故か造られた物のように感じられてならなかった。
授業が始まってもソーニャは一言も喋らず、誰と目を合わせることもない。先程スネイプが早口で書き写させた手順には目もくれず、黙々と作業にあたっていた。しかしその視線は明らかにハーマイオニーの手元と時計の針との間を行ったり来たりしている。
ハーマイオニーが材料を刻み終え、次の手順に移るのを見届ける。そこからきっかり二分待ち、同じように作業を進めている。その動作をスネイプの鋭い視線が捕らえ、ジッと睨み付けた。しかしソーニャは気付かず同じ調子で調合を続けている。
(なるほど……。こそこそ小細工とはご苦労なことだが……我輩が気付かないとでも思っているのか? しかし何とも妙だな、まるで──)
わざと時間を掛けている、と思った。スネイプはすぐさま行動に出ることにした。今日こそ生徒の秘密を暴いてやろうではないかと、滑るように躙り寄る。
「ほう……なんとなんと! ミス・レインズは我輩など足元にも及ばぬ優秀な友から学びたいとお考えのようですな?
生ける屍の水薬のような《簡単な》調合は見よう見まねで十分、我輩から教わることは何も無いという訳だ!
──グリフィンドール、五点減点!」
スネイプは鬱憤を晴らすかのように責め立てた。
「……そんな!」
突然の襲撃に、ソーニャが慌てて否定する。
「すみません、先生。でも私、決してそんな(つもりじゃ)……」
反論を途中で切り上げようとしたが、それを聞き逃すスネイプではない。
「──ミス・レインズ。君がどんなつもりかは我輩の知るところではないが聞き間違いでなければ──たった今! 教師に向かって口答えをしたようだが?声に出せるのは愚かな言い訳だけかね? 我輩は今初めて、君がまともに口を利けるという確証を得ることが出来たわけだ。実に光栄ですな! ──グリフィンドール、更に五点減点」
皮肉たっぷりに減点を言い渡すと、ドラコが囃し立てた。スネイプが声援に応えるかのように視線を投げると、ドラコは得意気な顔で鼻息を荒くした。ソーニャは目線を落とし作業の続きに入っていた。
他のグリフィンドール生たちは呆気に取られている。寮が減点されてしまったことと、滅多に口を利かないクラスメイトがよりによってスネイプに言葉を返したことで二重のショックを受けていた。
暫くして、ハーマイオニーがいちばん乗りで調合を終えた。しかしその表情は落胆している。今回ばかりは、学年一の秀才といえども課題が難し過ぎたはずだ。生ける屍の水薬の調合を《教科書どおり》に成功させる生徒などいるはずがない(ということはスネイプしか知らない)。スネイプは全て承知でこの課題を生徒に──ソーニャに与えたのだ。
続いてネビルの鍋から酷い匂いのする煙が上がると、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
「出来上がった薬を我輩の机に提出するように。減点された生徒は罰則として生ける屍の水薬の効能についてのレポートを羊皮紙三十センチ、次の授業までに」
沈みかけた夕陽が柱の隙間から線のように差し込んでいる。
静まり返った午後の廊下に、規則正しい足音が響く。漆黒を身に纏った男が、長いローブをなびかせながら光の線を遮るように進んで行く。
魔法薬学の授業を終えたセブルス・スネイプ教授は、薬草を補充するため自分の温室へ出向き、数種類を摘み採ると再び地下牢へと向かっていた。自室へと足を進めながら、延々と思いを巡らせている。
(忌々しいポッターめが……あやつは何故一瞬たりとも問題を起こさずに居られないのだ。それにあのグレンジャーだ。……黙っていられずしゃしゃり出てはロングボトムにお節介を焼きたがる。ウィーズリーに至っては終始間抜け面で、魔法薬学という高度な授業の最初の文字すら理解しておらぬ。減点と罰則を与える作業のなんと容易いことよ──)
スネイプは眉間の皴をこれ以上無いほど深くし、苛立ちを露にした。
「しかし……」
躊躇なく進められていたその歩みが、ふと止まった。今度は言葉に出して短く唸っているがその表情は明らかに困惑している。つい先程目にした驚くべき光景は、冷静沈着なスネイプの思考を乱すには十分だった。
グリフィンドールとスリザリンの合同授業は、各寮の得点を大幅に開く絶好の機会だった。
スネイプは授業の課題として《生ける屍の水薬》の調合を生徒に指示し早口で手順を説明すると、いつもの様に生徒の間を見回った。今日の授業には特別な目的がある。
グリフィンドール生に一通りのケチをつけて周った後、背後からネビルの鍋に危険が無いか確認すると、教室の隅から生徒の一挙一動に目を光らせていた。
ハーマイオニーが意気揚々と調合を続けるその斜め後ろの席に、見るからにパッとしない生徒が一人、調合の手を止めて周囲の様子をチラチラと伺っている。
不審な行動の主であるソーニャ・レインズは、謎の多い生徒だ。見るからに暗く地味で、必要に迫られない限り滅多に口を利かないため一人でいることが多い。魔法薬学の成績は至って平均的だったが、奇妙なことにその出身や素性に関して一切の情報が明かされていなかった。同い年の魔法使いよりも妙に落ち着いた雰囲気を持っていることも、友人を持つには不向きのようだった。
どんな理由があろうとも、素性の知れない者をホグワーツへ入学させることは開校以来例をみない。その背後にダンブルドアの特別な意図があることは明らかだったが、意外にもそれを気にする者はほとんど居なかった。たった一人、スネイプを除いては。
入学初日からその名を轟かせていたハリーとは対照的に、その存在は極めて目立たないものだった。
ソーニャは同級生に比べると少し背が高く、緩やかにカールした黒髪を胸の辺りまで伸ばしていた。その印象を陰気な風貌に仕立てている原因は、その重苦しい前髪にあった。絡まった長い髪の毛が顔の大部分を覆い、申し訳程度に鼻を覗かせている。生徒の間では、彼女の目玉がどこか他のところについているだとか、スネイプのねっとりとした黒髪といい勝負だと囁かれていたが、本人は気にも留めていない様子だ。
スネイプは、ダンブルドアが幾度となくソーニャを校長室へ呼び出していることを知っていた。そしてそれらは決まって自らがハリーを守るため秘密裏に行動を起こしている時と重なっていた。この奇妙な一致には何らかの繋がりがあるに違いないと思っていたが、それらを結びつける糸口はなかなか見当たらなかった。
スネイプが、ハリーを守るためにホグワーツで起こる全ての事象を把握したいと思っているのに対し、ダンブルドアはスネイプに全てを語らなかった。その不満を何度か口にしたことはあっても、決まってダンブルドアの論調に丸め込まれてしまうのが常だった。
スネイプは度々ソーニャの行動を監視していたが、今ひとつ目立った成果は得られていなかった。それとなく他の教師に探りを入れることもしてみたが、皆一様に同じ答えを返すので、今では尋ねる気すら起こらなくなってしまった。
『成績は可もなく不可もなく、特に目立った行動もない。──極めて平均的な生徒』
嫌というほど耳にしたその印象が、何故か造られた物のように感じられてならなかった。
授業が始まってもソーニャは一言も喋らず、誰と目を合わせることもない。先程スネイプが早口で書き写させた手順には目もくれず、黙々と作業にあたっていた。しかしその視線は明らかにハーマイオニーの手元と時計の針との間を行ったり来たりしている。
ハーマイオニーが材料を刻み終え、次の手順に移るのを見届ける。そこからきっかり二分待ち、同じように作業を進めている。その動作をスネイプの鋭い視線が捕らえ、ジッと睨み付けた。しかしソーニャは気付かず同じ調子で調合を続けている。
(なるほど……。こそこそ小細工とはご苦労なことだが……我輩が気付かないとでも思っているのか? しかし何とも妙だな、まるで──)
わざと時間を掛けている、と思った。スネイプはすぐさま行動に出ることにした。今日こそ生徒の秘密を暴いてやろうではないかと、滑るように躙り寄る。
「ほう……なんとなんと! ミス・レインズは我輩など足元にも及ばぬ優秀な友から学びたいとお考えのようですな?
生ける屍の水薬のような《簡単な》調合は見よう見まねで十分、我輩から教わることは何も無いという訳だ!
──グリフィンドール、五点減点!」
スネイプは鬱憤を晴らすかのように責め立てた。
「……そんな!」
突然の襲撃に、ソーニャが慌てて否定する。
「すみません、先生。でも私、決してそんな(つもりじゃ)……」
反論を途中で切り上げようとしたが、それを聞き逃すスネイプではない。
「──ミス・レインズ。君がどんなつもりかは我輩の知るところではないが聞き間違いでなければ──たった今! 教師に向かって口答えをしたようだが?声に出せるのは愚かな言い訳だけかね? 我輩は今初めて、君がまともに口を利けるという確証を得ることが出来たわけだ。実に光栄ですな! ──グリフィンドール、更に五点減点」
皮肉たっぷりに減点を言い渡すと、ドラコが囃し立てた。スネイプが声援に応えるかのように視線を投げると、ドラコは得意気な顔で鼻息を荒くした。ソーニャは目線を落とし作業の続きに入っていた。
他のグリフィンドール生たちは呆気に取られている。寮が減点されてしまったことと、滅多に口を利かないクラスメイトがよりによってスネイプに言葉を返したことで二重のショックを受けていた。
暫くして、ハーマイオニーがいちばん乗りで調合を終えた。しかしその表情は落胆している。今回ばかりは、学年一の秀才といえども課題が難し過ぎたはずだ。生ける屍の水薬の調合を《教科書どおり》に成功させる生徒などいるはずがない(ということはスネイプしか知らない)。スネイプは全て承知でこの課題を生徒に──ソーニャに与えたのだ。
続いてネビルの鍋から酷い匂いのする煙が上がると、授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
「出来上がった薬を我輩の机に提出するように。減点された生徒は罰則として生ける屍の水薬の効能についてのレポートを羊皮紙三十センチ、次の授業までに」