問わず語り
<現在>
ひょんなことから昔馴染みに再会して、たっぷり嫌味を言われつつも泊まるところを世話してもらって、何年かぶりに酒を酌み交わして、ひとり眠ったのは一時ほど前のことだっ た。
(・・・?)
ただならぬ人の気配で捨之介は目覚めた。そのまま目を開けずに気配を探る。殺気と言うには穏やかだが、それは射るように見つめる真摯な眼差しだった。
(ゆーれー・・?)
そっと目を開けた先には自分をのぞき込む顔。夜更けすぎの薄闇の中で相手の顔を認識するまで少し時間がかかった。
夜目にもわかる白い肌を柔らかな黒髪が縁取る。相手が軽くうつむいているせいで、寝ている捨之介からは細い顎の線と紅を引いたように赤い唇しか見えない。なまめかしさすら漂う口元がそっと動いて何か言葉を作った。男にしておくには惜しいその唇の持主を捨之介はひとりしか知らない。
(蘭兵衛・・?)
声をかけようとして、その様子がおかしいのに気づく。
捨之介の枕元にきちんと正座した蘭兵衛の瞳は捨之介を見ていなかった。そのまなざしは怖いくらいにまっすぐだけれどもどこか焦点が合っていない。こんな瞳をした蘭兵衛を、捨之介は前にも見たことがある。あれは大殿が死んだ時だった。
「お起こししてしまいましたか、殿」
赤い唇からこぼれたのは無界屋蘭兵衛なら話さないはずのきれいな敬語だった。蘭兵衛…いや蘭丸が敬語を話す相手はたったひとりしかいない。
(やっぱりここへ来るんじゃなかったか)
『誰か』によく似た自分の姿が蘭兵衛にどう映るか、考えなかったわけではないが、予想以上の『効果』に捨之介は小さくため息をついた。
「お蘭」
そっと体を起こして、捨之介が呼びかける。かつてあの方がそう呼んでいたように。みるみる間に蘭兵衛の無表情が崩れて泣きそうな顔になる。それはあの頃の、蘭丸の顔だった。
「お捜ししました……もう私を置いてどこへも行かないでください」
すがりつく蘭丸を捨之介は黙って受け止めた。その細い肩を女を抱くよりもずっとやさしく抱きしめてやる。
「こんなに冷えて…風邪でもひいたらどうする、お蘭。不寝の番なら良いからこっちへ 来い」
もう春とはいえ、夜はまだかなり冷える。薄い寝間着一枚で長い間座っていたらしく冷えきった体の蘭丸を捨之介は自分の布団をめくって手招きした。
「そんな・・おそれ多い」
「いいから」
首を振る蘭丸を半ば無理やり寝かしつける。しばらくためらっていた様子の蘭丸は、やがて安心したのかおずおずと体を寄せてきた。子供が甘えるように体を丸めて。
(不器用な奴だな)
優しく頭を撫でてやりながら、捨之介は思った。
こうして錯乱するほどに焦がれながらも、蘭丸が大殿に自分の胸のうちを伝えることはなかったし、大殿が蘭丸に指一本触れなかったことを捨之介は知っている。
(俺が勝手に思ってるだけだから)
かつて、蘭丸が寂しそうにつぶやいたことを思い出した。それはめったに感情を表に出さなかった蘭丸のまぎれもない本音だった。
(あの方のおそばに居られれば、何もいらない)
それでも大殿が生きているうちは良かったのだ。蘭丸が大殿のそばにいられたあの穏やかだった頃は。
腕の中の蘭丸が静かな寝息をたて始めたのを確かめて、捨之介はもう一度眠りについた。
ひょんなことから昔馴染みに再会して、たっぷり嫌味を言われつつも泊まるところを世話してもらって、何年かぶりに酒を酌み交わして、ひとり眠ったのは一時ほど前のことだっ た。
(・・・?)
ただならぬ人の気配で捨之介は目覚めた。そのまま目を開けずに気配を探る。殺気と言うには穏やかだが、それは射るように見つめる真摯な眼差しだった。
(ゆーれー・・?)
そっと目を開けた先には自分をのぞき込む顔。夜更けすぎの薄闇の中で相手の顔を認識するまで少し時間がかかった。
夜目にもわかる白い肌を柔らかな黒髪が縁取る。相手が軽くうつむいているせいで、寝ている捨之介からは細い顎の線と紅を引いたように赤い唇しか見えない。なまめかしさすら漂う口元がそっと動いて何か言葉を作った。男にしておくには惜しいその唇の持主を捨之介はひとりしか知らない。
(蘭兵衛・・?)
声をかけようとして、その様子がおかしいのに気づく。
捨之介の枕元にきちんと正座した蘭兵衛の瞳は捨之介を見ていなかった。そのまなざしは怖いくらいにまっすぐだけれどもどこか焦点が合っていない。こんな瞳をした蘭兵衛を、捨之介は前にも見たことがある。あれは大殿が死んだ時だった。
「お起こししてしまいましたか、殿」
赤い唇からこぼれたのは無界屋蘭兵衛なら話さないはずのきれいな敬語だった。蘭兵衛…いや蘭丸が敬語を話す相手はたったひとりしかいない。
(やっぱりここへ来るんじゃなかったか)
『誰か』によく似た自分の姿が蘭兵衛にどう映るか、考えなかったわけではないが、予想以上の『効果』に捨之介は小さくため息をついた。
「お蘭」
そっと体を起こして、捨之介が呼びかける。かつてあの方がそう呼んでいたように。みるみる間に蘭兵衛の無表情が崩れて泣きそうな顔になる。それはあの頃の、蘭丸の顔だった。
「お捜ししました……もう私を置いてどこへも行かないでください」
すがりつく蘭丸を捨之介は黙って受け止めた。その細い肩を女を抱くよりもずっとやさしく抱きしめてやる。
「こんなに冷えて…風邪でもひいたらどうする、お蘭。不寝の番なら良いからこっちへ 来い」
もう春とはいえ、夜はまだかなり冷える。薄い寝間着一枚で長い間座っていたらしく冷えきった体の蘭丸を捨之介は自分の布団をめくって手招きした。
「そんな・・おそれ多い」
「いいから」
首を振る蘭丸を半ば無理やり寝かしつける。しばらくためらっていた様子の蘭丸は、やがて安心したのかおずおずと体を寄せてきた。子供が甘えるように体を丸めて。
(不器用な奴だな)
優しく頭を撫でてやりながら、捨之介は思った。
こうして錯乱するほどに焦がれながらも、蘭丸が大殿に自分の胸のうちを伝えることはなかったし、大殿が蘭丸に指一本触れなかったことを捨之介は知っている。
(俺が勝手に思ってるだけだから)
かつて、蘭丸が寂しそうにつぶやいたことを思い出した。それはめったに感情を表に出さなかった蘭丸のまぎれもない本音だった。
(あの方のおそばに居られれば、何もいらない)
それでも大殿が生きているうちは良かったのだ。蘭丸が大殿のそばにいられたあの穏やかだった頃は。
腕の中の蘭丸が静かな寝息をたて始めたのを確かめて、捨之介はもう一度眠りについた。