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問わず語り

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 過去(1)

 「殿っ!」
 八年前の本能寺。身を焦がす炎の熱さと、周囲から聞こえる鬨の声と、自分の腕の中で暴れる蘭丸の絶叫と。忘れたくても忘れられない、あの夜の記憶。
「私もお連れ下さい…私を置いていかないで下さい。あなた様がいなかったら…私は生きてはいられませぬ」
「来るな、お蘭」
 戒めを振り解いて駆け寄ろうとする蘭丸を、厳しい声で大殿が制止する。
「お前は生きよ、お蘭。決して死んではならぬぞ」
 捨之介が初めて見る、大殿の優しい笑顔。蘭丸が泣き崩れた。
「『地』の者よ、お蘭を頼む」
「はっ」
 大殿がしようとしていることに気付いて蘭丸がひときわ激しく暴れる。
「さらばだ、お蘭」
 炎の中に大殿が消えた。
「…あ…ああ…」
 捨之介の腕をすり抜けた蘭丸が床にうずくまる。見開いたままの瞳からは涙が流れつづけた。
 大殿の最後を見届けたあと、捨之介は錯乱した蘭丸の腕を引いて逃げた。ここでこのまま死ぬわけにはいかなかった。

 夜明け前の闇に紛れて、捨之介は京の町で使っていた隠れ家へ転がり込んだ。すすだらけ、傷だらけの風体のままでは織田の人間と知れてしまう。
 自分の身なりを整えると、捨之介は床に座り込んだままの蘭丸の髪を手に取った。
「蘭丸、髪を切るぞ」
 捨之介が声をかけても蘭丸は反応しない。他人に髪を触られることを何よりも嫌っていた蘭丸が人形のようにされるがままになっている。あまりの痛ましさに捨之介は目を伏せた。
 ひとつに結んでいた長い髪を解いて、肩先で切りそろえる。ふんわりした長い前髪が、ちょうど蘭丸の顔を隠してくれた。
(前髪落としてくれてなくて助かったな)
 大殿が蘭丸の小姓姿を惜しんで、元服後も前髪を落とさせなかったのが役に立った。あとはすすと返り血で汚れた蘭丸の顔や手足をよく拭いて、なんとか町人に見えるように地味な着物に着替えさせた。
「行こう、お蘭。もう少し辛抱してくれ」
『お蘭』と呼ばれたときだけ蘭丸が微かに反応する。そんな蘭丸の手を引いて、捨之介は薄闇に煙る街へ走り出した。
 
「よくぞご無事で」
「まあな」
 あの日から一週間が経っていた。蘭丸を連れた捨之介がたどり着いたのは堺の千宋易の屋敷だった。宋易は捨之介の存在を知る数少ない人間のひとりで、同時に今の捨之介が頼れる唯一の存在だった。
「こいつを預けたい。勝手な頼みかもしれないが」
 傍らに惚けたように座る蘭丸を、捨之介が示す。あれからずっと蘭丸の瞳は何も見ていない。普段ならきついくらいの光を放つ黒い瞳はただぼんやりと開かれたままで、蘭丸の容姿が整っているぶん壊れた人形のように見えた。
 安土の城で蘭丸と何度も顔を合わせている宋易も、その変調にすぐ気付いたらしく柔和な顔を曇らせた。
「怪我をしてる。落ち着いて養生できる場所が必要なんだ。こんなこと頼めるのは宋さんしかいなくてな」
「分かりました、部屋を用意しましょう。あなたさまもお怪我をされているのでは?」
「俺なら大丈夫だ。蘭丸のことを頼みます」
 捨之介が深々と頭を下げた。
 自分の傷くらいならなんとかなるが、問題は怪我をしている上に衰弱し始めている蘭丸のほうだった。ろくに物を食べず、眠らない。無理に食べさせれば吐いてしまうし、寝てもうなされるのかすぐに起きてしまう。どんなに捨之介が説いて聞かせても駄目だった。
「お任せください」
 宋易が頷く。捨之介はもう一度頭を下げた。
 「…殿?」
 出て行こうとする捨之介の気配に気付いたか、蘭丸が小さくつぶやく。誰もが間違えても蘭丸だけは間違えることはなかったのに、あの日からずっと捨之介のことを『殿』と呼んでいる。
 このまま自分が蘭丸と一緒にいれば、蘭丸の命に関わるかもしれないし、何よりも大殿を見るように見つめられるのは耐えられなかった。
「俺はここにいられない。分かってくれ、蘭丸」
「殿」
「元気でな、蘭丸」
 置き去りにされる子供のように不安げな顔で、蘭丸が捨之介を見上げる。いたたまれなさと後ろめたさを押し殺し蘭丸の肩を叩いてなだめると、捨之介は宋易の屋敷を辞した。もう二度と蘭丸に会うこともないだろうと思いながら。

 ところが一ヵ月後、捨之介は堺に戻っていた。一旦は東国に出たものの宋易の元から使いが来て、呼び戻されたのだった。
 最初は取り合うつもりのなかった捨之介だったが、蘭丸の容体が思わしくないことを聞いてすぐに堺へと向かった。居ても立ってもいられなかった。
「蘭丸の具合が良くないそうですね」
「はい」
 堺に着くが早いか宋易の屋敷を訪ねた捨之介を、宋易とは長い付き合いだという医師の竹庵が出迎えた。
「お体の具合もそうなのですが、それ以上にお心が病んでいるようですな」
「心が…ですか?」
 竹庵が頷いた。
「生きようとする気力がないようで、食事を取られないのです。それでちっとも傷が良くならない上にこの暑さです」
 堺の夏が過酷なのは、捨之介も良く知っている。今も夕刻を過ぎているのに肌を汗が伝う。日の高い時刻ならなおのことだ。
 宋易の屋敷に蘭丸を預ける時にその事を考えなかったわけではないが、捨之介にはここしか頼れる場所はなかった。
「涼しい場所に移そうにも、動かせないほど弱っておられる」
 うつむいた竹庵が小さく首を振った。その人の良さそうな横顔に患者を救えない苦悩が透けて見えた。
「こちらへどうぞ。お客人ですよ、蘭丸どの」
 広い屋敷の奥の奥、蘭丸がいるという離れの部屋に竹庵が捨之介を通す。
「…」
 そこは八畳ほどの部屋だった。部屋の中には戸を締め切りにでもしているのだろうか、どんよりとした空気がたまっていた。じっとりと肌にまとわりつく湿気と病室特有の薬臭さに捨之介が顔をしかめる。
 部屋の真中に敷かれた布団の上に蘭丸は横たわっていた。眠っているのかと思えば焦点の合わない瞳が天井を睨んでいた。ただでさえ白い肌が蒼白く見える。あれからさらに痩せたように捨之介には思えた。
 布団のそばに座った竹庵達の気配に気付いたか、蘭丸がゆっくりと首をひねる。ぼんやりと開かれていた瞳が一瞬大きく開いた。
「あ…」
 捨之介の姿に気付いたらしい蘭丸の顔がゆがむ。血の気のない頬を涙が伝った。
「お蘭、無理をするな」
 起き上がろうとして崩折れる身体を捨之介が抱きとめる。蘭丸の身体のあまりの細さと軽さに寒気がした。
「との…との…」
 か細い声が大殿を呼んだ。伸ばされた細い指が捨之介の着物を掴む。その病人とは思えない力強さは母親にしがみつく赤子のようで、どれだけ蘭丸が大殿を求め続けているかを捨之介に思い知らせた。
「…大丈夫だ、ここにいる」
 捨之介にしがみつく蘭丸の身体が急に重くなった。安心したのか気を失ったらしい。
「あの方を失ったことを、まだ受け止められないんでしょうね」
 竹庵が蘭丸を寝かしつけながら言った。
「記憶が混乱するのか、よくうなされています。それに…見てください」
 蘭丸の左の手首を竹庵が示す。幾筋もついた紅い傷跡。首にもうっすらと紐の跡があるのは捨之介も既に気付いていた。
作品名:問わず語り 作家名:よーこ