裏切りの誘惑
手招く男
愛した者の裏切りに子供は泣いた。
度重なる裏切りに子供は諦めた。
それがあの人だからという免罪符を片手に、笑った。
その微笑みに酷くそそられたのは紛れも無い事実だった。
折原臨也のお気に入りの子供。最初はその程度の認識だ。
どこにでも居るような平凡な子供をあの折原臨也は何を想って傍に居させるのか、興味はあったがそれだけだった。ただ偶然四木と彼らが邂逅した時、折原臨也がまるで出会わせたくなかったと珍しく顔を歪めていたのは正直驚いた。あの男が其処まで明らさまな態度を見せる程の相手。
興味と好奇心と湧き上がり、気が付けば子供と接触を図っていた。子供は本当にどこまでも普通の子供だった。違うのは、四木という少々世間とは異質な存在に対しても、その蒼い大きな眸で真っ直ぐに見据えること。そしてその奥に潜む高揚とした色が滲む様はふとした瞬間に心奪われる。興味深い。四木はますます子供へとのめり込む。その事をあの折原臨也が気付かないわけがないのだが、妨害も警告もあの男からは無かった。それが第一の失敗だと四木は折原臨也を嘲笑う。
(知ってました、わかってました、いつかきっとこうなるんだろうなって)
子供は泣いた。愛する者の裏切りに、蒼く美しい眸から滴をほとりと落して。美しい涙を流した。あの男の為に。
けれど子供は許した。男の裏切りを。過ちを。仕組まれた遊戯を。あの人だから、と涙の痕が残る頬を歪ませて最後は笑った。
それから子供は泣く事はなかった。少なくとも、誰かの前では。――あの男の前でも。
「・・・臨也さんですから」
ほら、今日も子供は諦めたようにただ笑うだけだ。
賢いけれど、愚かな子供。それとも賢い故か。きっと本能では折原臨也に愛されているということを気付いているのだろう。だからこそあの歪んだ愛を受け止め続けるのだ。信じる心と引き換えに。愚かだ、と四木は嘲笑う。許し続ける子供を、許され続ける男を。暗く淀んだ嫉妬に濡れた眸を巧妙に隠して。
折原臨也。愛するのも、許されるのも、自分だけだと思うのなら、それこそ愚かな間違いだ。
「もし疲れていなかったら、私に付き合ってくれますか?」
「・・・え?」
瞬く眸に四木は微笑む。
「今まで仕事していたもので、まだ夕飯を食べてないんですよ。良ければ、一緒に食べませんか?」
「へ、・・・・えぇっ?」
「とは言っても実はもう二人分で予約したんですよね、レストラン。ああドレスコードとか気にしない店なので安心してください」
「え、あの、四木さん待っ、」
声を塞ぐように指を唇に押し当てた。柔らかな感触に四木は密やかに目を細める。あの男はこの唇に触れるのすら許されていると思うと、どす黒い感情が心にじわりと滲む。
「食事をする相手がいなくて寂しいんです。そんな私に付き合って下さいませんかね」
やがて柔らかく綻んだ蒼に、四木は無意識に息を吐いた。
「寂しいって・・・四木さんでもそう感じるんですね」
「おや、子供でも大人でも一人は嫌なものですよ」
「ふふ、そうですね。すみません」
あどけない笑みが子供の顔を彩る。
瞼がふるりと震え、子供は言った。
「僕もご飯まだでしたから、喜んで」
背徳や罪悪の欠片も無い、美しく歪んだ笑みがあった。
四木は手を伸ばす。子供が自らその手を伸ばすのを待って。誘うのは自分、けれど選んだのは子供。そう語るように。
やがて伸ばされた頼りない手を、四木は確かに掴んだ。
愛している者に愛される喜びを一度でもあの男が与えたならば、自分は愛され続ける喜びを子供に与えよう。特別という甘美を味あわせてやろう。窒息するほどの愛を。
(これは裏切り?)
(いいや、これも愛ゆえさ)