B.PIRATES その2
京楽は、そんな浮竹の様子を見て、長々と話をしても仕方がないかと思い、退出することにした。だが、不満は確実に京楽の胸に残った。京楽は退出する前に、重い口調で浮竹に言った。
「なあ、浮竹。僕の好きな詩、言ったことあるっけ? 諸葛孔明の晩年を詠った、『星落秋風五丈原』だよ。力強くて、美しいけど、悲しい歌だ。決戦の場が、『五丈原』にならないことを、心から願うよ。」
捨て台詞のように言い放って、京楽は部屋を出て行った。
残された浮竹は、ソファに座り込んで、がっくりと項垂れた。
ひどく疲れたように、悲しそうに、顔を覆って、溜息を吐いた。
京楽に、申し訳ない想いがした。
同時に、冷たい孤独感にさいなまれた。
それは、真の指導者たる人物が必ず持つ孤独感であり、戦う者が、そしてその戦う意味を知っている者が、必ず持つ孤独感なのである。
…諸葛孔明も…、同じ思いだったのかな…。
浮竹は、顔を覆ったまま、ぼんやりと思った。孤独感を打ち消そうと、色々なことを考えようとした。
…京楽が言った、『星落秋風五丈原』…読んだことがあるが、どんな詩だったかな。
祁山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原…
浮竹は、詩を思い出しながらも、思考が別の方向へ流れていった。
…白哉に、…会いたいなぁ…。
心から、そう、思った。
白哉が、こんな俺の情けない姿を見たら、何と言うかな…?
優しく抱きしめてくれる………はずないか。
浮竹は、小さく笑った。
会いたいな…。
心が締め付けられるような感覚がした。
だが、次の瞬間、浮竹はぐっと拳を握り締めて、自分の想いを振り切った。そして、思った。
…誓ったんだ。
この戦いに勝利すると。必ず勝利すると、誓ったんだ。
そうすれば、俺の理想は叶う。
もう少し。…もう少しなんだ。
そして、すべてが終われば…。
白哉に、会いに行こう…。
浮竹は、己の心に刻み付けるように、そう思った。
そして、ふらりと立ち上がると、だるそうに髪を掻きあげて、ひとつため息をついた。
京楽の言うように、ここのところ体調がおかしい。咳が止まらないし、今日はいつもよりひどい。これは、本気で休まなければ。
浮竹は、ベッドで横になろうと思いながらも、ダラダラと寝るのは嫌だったので、いつでも読めるように傍らに何か本を置いておこうと考え、本棚を覗いた。
…『星落秋風五丈原』にしよう。京楽の言ったことを、真摯に受け止めねばな…。
浮竹は、その本を手に取り、パラパラとめくりながら寝室へと向かった。
その足は、突然もつれた。
次の瞬間、浮竹は床に膝をついて、ひどく咳き込んでいた。
「…ぅぐ…っ…」
絶え間なく続く咳喘に、呼吸が困難になった浮竹は、無意識に胸を掻き毟っていた。
苦しい。
眩暈がする。呼吸が、できないからか。
胸が苦しい。
おかしい。
おかしい。
こんなことは、いままでなかった。
俺は、どうしたんだ…!
「…ぁ…!」
もう一生止まらないだろうかと思うような咳が、少しの間だけ止まった。
口の中に、強烈に、嫌な味がした。
「………。」
浮竹は、目を開けた。
膝を突いて背を丸めて咳き込んでいたため、目の前に見えたのは、床と、落としてしまった本だった。
おかしいな…と、思った。
…本が、汚れている。
何故だろう。
さっき開いて見たときには、このページにこんな染みはなかった。
こんな、赤い染みは、なかったじゃないか…。
浮竹は、その赤い染みを拭こうと思って、口元を押さえていた手で、撫でるようにしてそのページに触れた。
ページが、べったりと赤く染まった。
「…?!」
俺の、血だ。
浮竹は、手のひらを見た。
それは、浮竹の口から吐いた血に塗れていた。
「…あ……!」
次の瞬間、浮竹は再び激しく咳き込んだ。
その尋常でない苦しみに、浮竹は悶えた。
床にうつ伏した。
うつ伏したその目の前に、血に濡れた『五丈原』の詩が揺れていた。苦しさに、思考が回らない。だが、その文字だけは、今の浮竹の目に苛烈に飛び込んできた。
「…あ……」
鴻業果し收むべき
その時天は貸さずして
出師なかばに君病みぬ____
…俺は…、もしかして…
嫌な考えが、浮竹の脳裏を走った。
……吐ける紅血は
建興の十三秋なかば___
「…違う…。」
―――丞相病篤かりき
丞相病篤かりき
「違う…!」
浮竹は、悲痛な声で叫んでいた。
『決戦の場が、五丈原にならないことを、心から願うよ』
京楽の言葉が、思い返された。
「……あ……」
自分の吐いた血の中にうずくまったまま、
浮竹は、ただ、
呆然と、していた。
作品名:B.PIRATES その2 作家名:おだぎり