B.PIRATES その2
浮竹は、軽い咳をしながら、京楽の話を真摯に聞いていた。そして、ひとつため息を吐いて、「…なるほどな」と言った。京楽は、浮竹をじっと見つめてから、真剣な声で言った。
「今までの、浮竹の手腕は凄かったよ。張良の才覚と、劉邦の大きな器を兼ね備えてた。 だけど、僕に同じ事をしろって言っても、無理だよ。やがて張良みたいにガリガリスマートになって、心労で儚く散ってしまうのが、すごく想像できるだろう?」
「…いや、…できん。」
「…真剣なのに、ヒドイね。」
京楽は、少し大げさに項垂れて、悲しんでいる様を見せた。浮竹は、胸を押さえて面白そうに笑ってから、いくらかスッキリとした表情で言った。
「しかし、解ったよ。そうだな、お前はお前だ。お前なりのやり方で、皆を上手く導いていくことが出来るだろう。…京楽は、俺以上に、できる男だってことを、忘れてたようだ。」
浮竹は、安心した目で微笑んで京楽を見つめ、「すまなかったな。」と言った。京楽は、少々偉そうな態度で、ふふん、と鼻で笑って言った。
「今頃気づいたか、と言いたいとこだけど、まあいいや。実際こっちは、もう少し浮竹を心配させておこうかと思っていたから、残念といえば残念だね。」
「…なんだ、それは。」
「前にも言ったろ? 何から何まで自分で責任を背負って頑張り続ける浮竹の姿は、見ていて色々と心配だったんだよ。今度は、逆に浮竹に心配をかけてもいいかなぁ〜と、思ってね。」
「…お前は…」
呆れたようにそう呟いてから、続けて何か言おうとした浮竹は、突然、ぐっと喉を詰まらせて、また先程のように咳き込んだ。今度の咳はなかなか治まらず、浮竹は両手で口元を押さえ、肩を大きく弾ませて苦しそうにひたすら咳き込んでいた。
尋常でない様子に、京楽が心配そうに背中を擦り、「大丈夫か?浮竹。」と言って顔を覗き込んだ。
やっと治まった様子の浮竹が、何でもないというように京楽に向かって笑顔を見せて、「…お前を相手にしていると、心労で咳き込んだりもするさ。」と茶化した。
京楽は困ったように眉尻を下げて言った。
「あぁあぁ。わかったわかった。僕が悪かった。謝ります。だから、体調が悪いなら、荻堂君に診てもらって、しっかり休みなよ、浮竹。いつだって、お前は医者の注意を聞かず不養生して、無理するんだから。だから、見てるこっちはいつでも心配だったって言ってんの。解る?」
「ああ、わかったよ。」
いつになく素直に答える浮竹に、京楽は多少安心して、浮竹の肩を優しそうにぽんぽんと叩いてから、ソファの辺りに戻り、先程やり終えた仕事の書類をまとめ始めた。
「僕は自室で仕事を片付けるからね。この後に来る仕事や書簡も、全部引き受ける。お前は、とにかく休め。」
京楽はそう言って、まとめた書類を片手に、退出しようとした。浮竹はそれを見送りながら、はぁ。と憂鬱そうにため息を吐いて、「張良は、多少の咳くらいで、仕事を放っぽりだしたりしなかったろうに…」と、不満そうに呟いた。京楽は、駄々っ子のような浮竹の言葉にぴたりと足を止めて、くるりと振り返り、びしっと浮竹を指差して強い語調で言った。
「あのねぇ。お前は、張良ほど繊細じゃないよ。気付かずにうっかり腐った牛乳を飲んでも、誤って30メートルの崖から落ちても、骨が見えちゃうほど腕を斬られても、平気な顔してピンピンしてるような奴が、図々しいことを言うんじゃないよ。そんな図太いお前が、いつになく体調が悪そうだから『休め』と言ってるの。おわかり?」
「…失礼だな、お前…。」
「失礼ついでに、言わせて貰うよ。お前は張良じゃなくて、どっちかっていうと、諸葛孔明だね。」
「三国志演義の、蜀の名軍師、諸葛亮か? 光栄だな。何で失礼なんだ?」
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『 成否を誰かあげつらふ
一死尽くしし身の誠
仰げば銀河影冴えて
無数の星斗光濃し
照らすやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ
其壮烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風 』
――――土井晩翠「星落秋風五丈原」――――――
「三国志演義の、蜀の名軍師、諸葛亮か? 光栄だな。何で失礼なんだ?」
京楽は、真っ直ぐ浮竹に向き直って、腕を組みながら語り始めた。
「諸葛孔明は、お前と同じ、自分ですべて責任を背負って戦った。歴史に名を残した。偉大な人物だった。しかし、周りに人材はいなかった。孔明は、性格上、人を寄せ付けなかったんだ。」
「俺は、人を寄せ付けないか?」
「そんなことはないよ。ただ、お前は、いざってときに、僕を頼ってくれるかい? 僕を信頼して、倒れそうになったら、僕の肩に掴まろうとするかい?」
「…それは、…。」
「浮竹は、いつだって人を頼らない。それは美徳だよ。だけど、僕らは、不満だ。浮竹の支えになりたいと、ずっと思ってるんだよ。」
「………。」
浮竹は、口を噤んだ。返す言葉がなかった。
京楽は、少し悲しそうな声で、言った。
「…孔明は、孤独に、死んでいく。一死を尽くした悲願を成就できないまま、五丈原で、その生涯を終える。 …お前がそうだとは言いたくないが、…僕はさ…。」
「京楽…。」
「お前が、ただ一人で、孤独に戦っているように見えて、ならないんだ。」
「………。」
…そうかもしれない。と、浮竹は思った。
浮竹には、理想があった。白哉に打ち明けたその理想は、白哉が夢物語だと嘲笑するほどに、遠大でおよそ実現不可能なものだった。
だが、できる。理想は実現する。と、浮竹は確信していた。
時代は流れている。
今、確実に、浮竹が理想に近づく方向に、時代がその流れを作っている。それが解る。見えるのだ。
その時代の流れが理解できるのは、自分だけかもしれない、と、浮竹は思っていた。だから、京楽に打ち明けるのを抑えていた。
同じ心を持ち、同じ魂で、同志と戦えるのであれば、それは願ってもない、素晴らしいことだ。
だが。
今の時点で、京楽に、ましてや他の船員に、自分の想いが理解できるとは、到底思えないのだ。これは、利己主義かもしれない。しかし、痛烈に、感じる。まだ、皆に語る『時』ではないのだ。
浮竹の先見の明は、確実に時代を捉えていた。
だが、それを理解できるものは、今、浮竹の周りには誰も居なかった。
浮竹は、辛そうに顔を歪めて俯いた。
俯いていたのも一瞬で、浮竹は普段の表情を作りながら顔を上げた。
「…最後の決戦の時には…」と、浮竹は重い口を開いて、まっすぐに京楽を見て、話し始めた。
「最後の戦いの最中に、何か、大きなことがある気がする。まだ、漠然としていて、説明は出来ないが、…俺は、大きな覚悟が必要だと思っている…。」
「…?」
京楽は、解らないといった表情をした。浮竹は柔らかに笑って、「すまないな。俺にも、よくわからない。だが、この先待ち構えているのは、今までに無い、大きな戦だろう?俺も、生半可な覚悟ではいけないと思っている。…ベストを尽くすのみだ。」と、曖昧なことを言ってから、こんこんと空咳をした。
作品名:B.PIRATES その2 作家名:おだぎり