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『こんな俺を愛してくれて ありがとう』

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 くつくつと悪戯っぽく笑って臨也が俺の首に腕を回す。

「ねえ」

「何だよ」

「すごい馬鹿だね、俺達」

「…ああ」

「会いたかった」

「ああ」

「待ってたんだ」

「ああ」

「シズちゃん」

「ああ」

「シズちゃん」

「うん」

「シズちゃん」

「聞こえてる」

「シズちゃん」

「何だ」

「シズちゃんに言いたいことがあるんだ」

「俺もある」

「シズちゃん、から?」

「ああ。……あー…」

「俺が先に言うよ、どうせ無理でしょ」

「手前は変わらねえな。ああ、俺も」

「仕方ないから譲歩してあげる。同時に言おう」

「ああ、そうかよ。有り難迷惑だな」

「目一杯有り難く思いなよ」

 臨也の背に俺はゆっくりと腕を回す。
 そして一番近くで、同時に、



 ******



 あの後、二人がどんな言葉を交わしたかは知らない。
 大切な誰かと共有する時間の重さも短さも私はよく知っている。
 私は出来る限りのことはしたつもりだ。
 もし駄目だったら、どうするの。新羅の問いに、奴の死の間際に引き合わせてくれ。あの世まで追っ掛けてみるからよ。と静雄は笑いながら言い放ったらしい。
 無神論者で輪廻も生まれ変わりも全く信じないと公言していた臨也がもしそれを聞いていたら高笑いしただろうか。そんなものは有り得ない、と。
 臨也は長く生きた。人の二倍も三倍も生きることに貪欲に。そして、静雄を待ち続けた。
 静雄は生き長らえた。死に突き進もうとする細胞に抗って。臨也を追いかけ続けていた。
 無理だと思われていた同じ時間まで、同じ時間を重ねた。

 これは馬鹿な話だ。
 どうしようもないことをどうにかしようとして、どうにかしてしまった馬鹿な話だ。

 ───新羅は二人の仲を不倶戴天って言ってたけど、訂正したのかな?

 私は相変わらず漆黒のライダースーツに身を包み、相棒である漆黒のバイクに跨がり、この街を走り続けている。
 新しい友人もいる。
 きっとこの先もまだ走り続ける。
 夏の茹だるような空気もこうして走っていれば、気にならない。エアコンがなくてもどうにかなるものだ、と生活の知恵は年々増えていく。
 ふと、ヘルメットのフェイスカバーに映り込んだ風景にコシュタ・バワーを道路際に寄せた。
 以前より一段と進化した機器で私は言葉を紡ぐ。

『新羅、今日も日本は暑いよ』

 暑さにすぐに身体は汗ばんでくる。

『心頭滅却すれば火もまた涼し、だっけ?』

 私は新羅の必死な背を見ていた。

『あれは嘘だな』

 新羅は、ごめん、と何度も零しながら、それでも諦めなかった。

『暑いものは暑い』

 私は、そんな新羅の傍にいた。

『新羅』

 新羅は友人を思いながら、絶えず私にやさしい言葉をくれた。

『夕焼けだ』

 以前より一段と高性能になったレンズを向けて、シャッターボタンを押し込む。
 写り具合に満足して保存、メールに添付していつもの相手に送信する。

『綺麗な、綺麗な夕焼けだ』

 沈みゆく太陽は鮮やかに、人生を謳歌するように、街を染めて上げていた。



 ******



 後日。
 私は臨也からの依頼で古びたアパートに向かっていた。今そこに住む者は誰もいない。静雄の住んでいた部屋の賃料を払い続けるならいっそ、と大家から丸ごと買い取ってやったと臨也は日用品を買うかのように言っていた。しかし管理には信用のある者を雇い、誰にも触れさせようとしなかった。
 そんなアパートの一室のドアノブに手を掛ける。鍵は掛かっていなかった。
 家族は正直残して置きたくないんだよ。ずっと俺の我が儘を通して貰ってるだけ。けど、もう必要ない。だから全部処分して欲しい。
 それが彼の望みだった。
 ドアを開けると、篭った空気が漂い、中は時間を止めたようにかつての生活の色が伺えた。それでも降り積もった埃や色褪せたそこかしらが時間の無情さを物語る。
 床に散らばった物を避けながら部屋に足を踏み入ると、小さな一人用のテーブルに一通の封筒が置かれるのに気が付いた。これも随分前のもののようだが、お世辞にもキレイとは言えない室内で、品の良いこれだけが浮いているように場にそぐわない。
 誘われるように手を伸ばす。
 掠れて消えかかっていたが、表にはかつての住人の名、裏には今回の依頼人の名が書かれているのが微かに見て取れた。
 封は破られていなかった。

 ───読まれることのなかった手紙、か。

 元に戻そうとして、中に入っていた便箋が滑り落ちる。
 糊が乾いてしまっていたようだ。

 便箋はたった一枚。

 丁寧な字で、たった一行。





『                 』





『惚気なら余所でやってくれ』

 誰にともなく声を打ち込んで。

 ───またやっちゃった。

 私は、顔があったなら仕様のない笑いを浮かべて、当てられた熱を晴らすよう真夏の青い空を仰いだ。