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『こんな俺を愛してくれて ありがとう』

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「ラブラブだね。妬けちゃうな」
「お前にはちゃんと相手がいるだろうが」
「そうだけど」
 闇医者はにやけた顔を見せるが不謹慎だと思ったのか、また表情を固くした。
「他に俺に出来ることはある?」
「一年待って、俺を…死んだことにしてくれ」
「彼はきっと待つよ? わかってるくせに」
「それでも縛り付けたくはないんだ」
 そう言うくせ、一年は自分を思っていて欲しいと望んでしまう俺は浅ましく弱かった。
「ちゃんと話せばいいのに」
「俺は臆病者なんだ」
 全部を話して、その先を想像するだけでも怖かった。もういらないと突き放されるのも。涙ながらに訴えられるのも。自分も一緒にと縋られたら堪らない。
 けれど行方不明になって死んだことにして忘れろというのが、正しいとも思っていなかった。自分の目で確認しない限り、奴は俺の死を信じないだろう。
 一人で堂々巡りを繰り返し、許さなくていいから殴られた方が楽だと結論を出した俺は身勝手な男だった。
「ねえ、もうひとつだけ聞いていいかい?」
「なんだよ」
「ちゃんと言葉で伝えた?」
 俺が目を見張ると、闇医者は、あ、図星?と愉しそうに笑って、哀れむように呟いた。
「そういうの、苦手そうだもんね」
 闇医者の言う通り、いつでも先に口を開くのは奴だった。喧嘩も告白も謝罪も感謝も何でも奴からばかりだった。好きだとか愛してるとか歯の浮く台詞も奴は俺の前で恥ずかしげも何度も繰り返した。情事の時は殊更で、喉が潰れちまうんじゃないかと思った。けれど、俺は一度でも自分から言葉にすることはなかった。言葉にして、例えば俺が遠くに行った後、奴の生きる道の足枷になるのが怖かった。
「まあ、今度会ったら言うよ」
「嘘だろ。君は言えやしない。…君は馬鹿だよ」
 この台詞だけ聞いたらこの闇医者が酷く薄情な人間だと取られるかもしれないが、そうでないことは俺はよく理解している。親身で誠実で、俺の頼みを丸ごと引き受けて、仮とはいえ人殺しをさせる。闇医者である旧友には感謝してもしきれない。

「ああ、俺は馬鹿だよ」

 思えば俺達は出逢ってから喧嘩しかしていなかった。
 出会って、告白されて、身体を重ねて、自分自身を振り回す力に屈していない。
 全部奴のお陰だ。
 それなのに俺は自分から何も言ってない。
 最初に言った奴は凄く強いな敵わないと今更思った。

「そしてとんでもなく臆病者だ」

 待っててくれとは言わない。
 俺に構わず、長くしぶとく生きればいい。

「まだまだガキの、21歳なんだ」

 奴が行ってしまうならば、俺が追い掛ける。



 俺の姿は変わらないままだとしても、同じ時間を生きてみせる。




 ***




 次に目を開いた時。そこはいやに白い部屋で、真正面には漆黒のライダースーツを纏った首の無い女が立っていた。
『やあ。私を覚えてるか?』
 小型のディスプレイに打ち出した文字を見せる。ああ、首がないから喋れなかったんだよな、とまだはっきりしない頭を縦に振った。声で返事をしようとしたが、上手く出なかった。
 首無し女は淡々と画面に文字で言葉を発する。
『ちゃんと目を覚ましてくれて安心した』
 首無し女の姿は記憶の中のままだった。だから、どれくらいの時間が経っているのかそこから判断できなかった。次の日の朝だと言われても疑わないだろう。
『寝起きのところ悪いがあまり時間がないんだ』
 そして俺に着替えを放る。バーテン服だった。久しぶりの再会になるんだから身なりを整えておけと用意された等身大の鏡に映った自分は少し痩せていた。それで少なくとも眠ったのは昨日今日ではないんだなと思った。
『歩けるか?』
 しばらく使われていなかった所為でフラつく足を強引に立たせ、俺は力強く頷いた。


 とても暑い日で、黒バイクの後部座席で風を受けながらもヘルメットの下では汗が流れていた。
 首無し女に連れられてやってきたのは、新宿にある高級マンションだった。そこに今奴は一人で住んでいると首無し女は教えてくれた。
 事務所を兼ねた自宅に足を踏み入ると、中の空気は外とは雲泥の差で火照る肌から熱を拭い去っていく。静かにせっせと働くエアコンが部屋の隅々まで冷気を行き渡らせている。開きっぱなしになったカーテンの向こうからは西に傾き出した太陽の光がじりじりと差し込んできていた。仕事用のスペースを抜けると現れたプライベート用のリビングは一人で使うには随分と広く、キッチンダイニングには椅子が二つ。まるで誰かが越して来るためにまるごと空の部屋もあった。
 首無し女に続き、一番奥の扉を潜る。そこは寝室で、これも一人には大きいベッドに奴は横たわって寝息を立てていた。起きる様子のない奴に、首無し女は来訪の知らせに手近な壁をコンコンと手の甲で響かせ、それだけで立ち去ってしまった。一方奴は、何だよ人が気持ち良く寝ていたのに、とぶつくさ言いながら目を擦り擦り上半身を起こし、ゆっくりと瞼を持ち上げる。ベッド脇からその様を眺めていた俺の視界に映ったのは、かつてと変わらない赤い双眸。目が合った途端に不機嫌だった顔が表情がみるみる変わっていく。掛布を剥ぐとベッドの上に四つん這いになって佇んでいた俺へ迫り、穴の空くほど見詰める。
「は、はははっ!」
 奴は膝立ちして両腕を広げ哄笑した。
「アハハッ! やっぱり生きてた! 帰ってきてくれた!」
 腹を抱えてシーツをくしゃくしゃにしながら可笑くて堪らないと転げ回っている。
 どうすればいいのかと掛ける言葉を探してみるが見つからない。代わりに奴に手を伸ばそうとして、突然左頬に熱が走った。
 平手打ちだった。
「どうして俺に何も言わなかった」
 頬に痛みはなかったが、睨み据える瞳に俺は息を詰める。そんな俺を間もなく奴は鼻でせせら笑った。
「いいよ、答えなくて。許す。俺の寛大さに精々感謝するんだね」
「手前のそういうところ、全然変わらねえな」
 意外なほどあっさりと言葉が出た。まるで条件反射だった。言い返した俺に奴が更に言い返す。
「ハッ、俺を誰だと思ってるの? 人間そんなに簡単に変わらない」
「あぁ、そうかよ。一瞬でも悪いと思った俺がバカだったな」
「ああ、バカだね。俺さぁ、すっごく人生を満喫してきたんだよ。何処かの誰かを待ち侘びるだけの人生なんて御免だからね。寝る間も惜しんで、やりたいことは何でもした。たくさん、たくさん、たーくさんだ! 自慢してやろうと思ってさあ」
「手前の自慢話なんか、聞きたくねえよ」
「そんなこと言って、羨ましいくせに」
「誰が羨ましいかよ」
「そんなこと言うとお土産なしだよ」
「別にいらねえ」
「ああ、そうだ情報屋さんの看板も健在だよ。毎日繁盛で困るくらいだ」
「手前よく生きてたな」
「お取引先もお得意様も大分変わったからねえ」
「そうか」
「それからさあ」
「臨也」
 名を呼び、止め処ない会話を強引に堰き止めると、何、と奴は口を尖らせた。一度深く息を吸い込む。
「今からでも、こんな俺でもいいか?」
「駄目」
 即答した臨也に、そうか、とだけ呟いた俺に臨也は唇の両端を吊り上げた。
「永遠の21歳な俺は年上お断り」
「寝言は寝て言え」
 考える間もなく俺も即答していた。