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口実に決まってる

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その日、都心には珍しく、地面が隠れる程度には雪が降った。
白い息を吐き出しながら家路を急ぎ、見えてきた自分のアパートの部屋の前に、細身の黒い姿を見つけて思わず呆れる。

…なにも、こんな寒い日でなくてもいいだろうに。




「来るなら連絡しろって言ってるだろ」

鼻の頭を赤く染め、髪の毛から指の先まで冷たくさせた臨也の首根っこを掴み、鍵を開けた部屋の中に放り込んでの門田の第一声はそれだった。
毎回毎回、何度同じことを言わせれば気が済むのかと、ついため息が漏れる。

仮にも恋人を、この寒空の下で待たせ続けるなど、とうてい門田の望むところではないのに。


「たまたまこっち来る用事があったからさぁ」

だが、その気遣いや配慮をさくりと無駄にするのが折原臨也という男だった。
何がしたいのか分からないし、自ら好んで寒さに震えるような真似をするその心情を分かりたいとも思わないが、十中八九、わざとというかなんというか、そうと知りながらやっているのだ。

君が居なかったら帰るつもりだったし。そう続ける臨也は、実際にあとすこし待っても門田が帰宅しないようなら、今日ここを訪ねたことすらこちらには察せずに立ち去っていたのだろう。
寄り道せず帰宅してよかったと、門田は内心でぼやく。仕事帰りにおちおちコンビニにも立ち寄っていられない。


「さむーい」

小さな電気ストーブの前で、コートを羽織ったままの臨也が縮こまっている。
文句を言うなら本当に、連絡すればいいものを。思って、門田は何度目か分からないため息を深く吐き出した。そうすれば時間予約でも何でもして、部屋を暖めておく方法はいくらでもあるのだから。

「お前の高級マンションとは出来が違うんだよ」

床暖房なんて親切な文明の利器は、築ウン十年のこのアパートには装備されていない。きっとこの先も当分は、装備される予定さえないのだろう。

「オイ、臨也。風呂沸かすから入れよ。お前、いったん冷えちまうとなかなか体温戻んねぇんだから、ちったあ気ィ遣えって」

「えー、いいよ俺は。ドタチン先に入りなよ。仕事から帰ってきたんだし、君だって冷えてるでしょ」

「震えながらなに言ってんだ」

ほら、と臨也をストーブから引き剥がして風呂場へ追い立てる。
着替えに上下のスウェットと新しく下ろした下着を渡してやって、けれど臨也はいまだに不満そうな顔のまま。

「なんだ?」

下着はともかく、替えの服は門田のもので我慢してもらう他ない。少なくとも、臨也はその類いで苦情を漏らしたことは一度もないから、渋る理由が謎だ。門田は首を傾げる。

「家主に譲るくらいのデリカシーはあるんだけど俺にも」

どうやら某(なにがし)かの譲れないものがあるらしい。だからと言って、すっかり冷えきっている臨也を尻目に先に入るのは門田とて気が引ける。

「……しゃあねぇなあ」

嘆息して、門田は自分の衣服に手をかけた。着込んだツナギのベルトを外しながら、臨也に向けて顎をしゃくる。

「妥協案。狭いって文句言うなよ」

「…うん」

こっそり満足げに臨也が微笑んだのを、棚から二人分のタオルを取り出していた門田は気付かなかった。




「狭いねぇ」

「…文句言うなっつったろうが」

「感想を述べたんだよ」

狭い湯船にぎゅうぎゅうと二人で収まりながら、臨也はご機嫌な様子で笑い、門田はもはや呆れを通り越した悟りの境地に居た。

「ほんと、連絡しろよ。身体冷やしたらまた体調崩すだろ」

器用に脚を折り畳んで、門田の腿上に横向きに座っている臨也は、んー、と聞いているのかいないのか曖昧な声を返す。

「仕事帰りでいいなら、俺が新宿に行くから」

それならばお互い寒い思いも、湯船で狭い思いをすることもないのだから。

「俺としてはどっちもやぶさかじゃあないんだよ。風邪引いても、ドタチン甲斐甲斐しく世話焼いてくれるし」

ことん、と門田の肩に頭を預けて、ぐりぐりと押し付けながら臨也がふふふ、と含み笑う。

「どっちも?」

「そうだよ。どっちも」

「…寒くていいってか?」

「まさか。俺そんな季節規模のマゾじゃないよ」

「季節規模じゃなけりゃマゾなのか?」

「ちょっと、突っ込むところそこなの?」

可笑しそうに、臨也がくつくつと喉を鳴らす。湯から手を出し、無意識にその喉を猫にするみたく擽りながら、はて、と門田は考え込んだ。

どっちも、のうちの片方が、看病してもらえることなのだとは理解できる。だが、連絡もなしに恋人の部屋を訪ねて、連絡しないから寒空の下で待たされることになって、その間に身体は冷えきって、暖まるはずの風呂は二人で一緒に入るから狭くて窮屈で。と、一体どこにもう片方があると言うのだろう。


「ヒント。俺のマンションじゃだめなんだよ」

眉間に皺を寄せ、難しい顔をする門田に、臨也がにんまりと笑みを深めた。それこそ本物の猫のような仕草で。

「なんだそりゃ」

意味不明だ。やはり、寒さが好きなのかと思わざるを得なくなる。

「俺の部屋と君の部屋との違いは?」

「ありすぎてキリがねぇな」

「今までの話題から考えれば候補は絞られるでしょ」

「あー…」

一瞬だけ視線を泳がせて、門田は腕の中を見下ろした。

「寒いか寒くないか、あとは狭いか広いか」

「うん。で、俺はマゾじゃないってことは?」

「…狭いか広いか」

そうそう、と臨也がニヨニヨしながら満足げに頷く。
なんとなく腹立たしくなって、門田は顎を撫でていた手でぶに、と臨也の両頬を挟んだ。

「…ぁにふんのら」

「クッ、ぶさいく」

「はなふぇ」

「やらけぇな」

「うにー」

訴えを無視してやわらかなその頬をぐにぐにと揉む。むにゃむにゃと、臨也が恐らくは文句でも言っているのだろうが、まともに聞こえないし聞く気もなかった。

「…つか、広い方がいいだろ」

「ほーれもない」

「風呂なんか足伸ばせねーし」

「らから、ほーれもないお」

「そうか?」

胡乱げに眉を潜める門田に、臨也はぶん、と頭を振って頬を挟む手を払い除ける。

「つかいい加減離そうか」

「ああ、ついな」

やらかくて。と、また臨也の頬をむに、と摘まみながら門田が笑う。臨也は無言でその手を叩き落とした。

そして、真顔でさらりと一言、




「狭い方がくっつけるでしょ」




当然のように、そう、告げた。


「──……あ?」

あまりに素っ気なく、ぺしりと手をはね除けられたものだから、言われた台詞との差が大きすぎて。
門田は一瞬、ぽかんとする。


「うちじゃ二人で入ってもある程度は余裕あるし、そもそも寒くないから二人でなんか入らないじゃん」

なんで分かんないかなぁ、と不満そうに赤い目が細められた。

…いや。いやいやいや。待て待て。


「なんで突然デレた」

「デレとか言うなし。ドタチンってなんだかんだで狩沢たちの影響受けてるよね」

「認めたくねぇが、あんだけ一緒に行動してたら多少なりともそうなるもんだろ……って、そうじゃねぇよ。臨也、お前」

「なに。なんだよ。俺がデレちゃいけないわけ?」

む、と唇を引き結ぶ仕草に、そこじゃないと首を振る。
作品名:口実に決まってる 作家名:細 粥