待宵を選ぶ
この時期の夜風はなんとも心地よいものだ。ついこの間までの、うだるような暑さの名残は既になく、虫の声も耳に優しい。
「元親、空いてるよ」
「おう、悪りぃな」
差し出された酒を、手にした盃で受ける。なみなみを注がれたそれを一気に呷れば、華やかな酒の香りが鼻腔を突き抜けた。
「良い呑みっぷりだねえ。やっぱり、元親と呑むのは楽しいよ……っとと、」
機嫌良さげに目を細め、やはり空になった自分の盃に注ごうとしていた慶次の手から、元親は徳利を奪う。
「おいおい、手酌はねえだろ」
「ええ、いいよ、そういうの。いつもやってんだし」
「一人で呑むのとは訳が違うだろ。返杯ってやつだ、ほれ」
あんた容赦ねえんだもの、と苦笑いする慶次の盃に、元親も自身がされたようになみなみと注ぎ返す。濡れ縁で酒を酌み交わす二人の横で、さらさらと薄が夜風に揺れた。
京都の酒と、一抱えの薄を携え、気まぐれな前田の風来坊が、久方ぶりに四国を訪れたのは夕べのことだ。
「月見しようぜ、月見!」
そして、第一声がこれだ。確かに待宵である。月を愛でるには充分とも言えたが、それでも肝心の中秋の名月は明日だ。元親は一瞬虚をつかれて唖然とした。
とはいえ、では明日と言うのも、突然の客人にすっかり盛り上がってしまった部下達の気持ちに水を差ようで忍びない。
早速、激を飛ばして宴の仕度をさせ、昨夜は兵卒も武将もぐるりと円を囲んで、いつもどおりの大宴会と相成った。
その最中の事である。宴はまさにたけなわ、舞の上手い者が自慢の腕を披露していた。輪の中心で踊る男に手を打ち、声を掛けていた慶次が、するりと元親に身を寄せてきた。
手拍子は止めず、笑顔もそのままに。しかし、周りの者が皆、舞手に気を取られているうちに、気づかれないように耳元に囁きかける。
「元親」
落とした声音に、どうしてかぎくりとした。懇ろな仲である事を特段隠しているわけでも吹聴しているわけないが、さすがに部下の前である。若干後ろめたいような心持ちで、元親も出来る限りさりげない風を装って小声で応える。
「んだよ」
「俺がさ、わざわざ今日来たのって、なんでだか分かるかい?」
確かに気になっていた事であった。これで意外と慶次は風流を解する男なのだ。わざと待宵を選んで訪れるのも、彼らしいと言えばらしいのかもしれないが、違和感は残る。
「さあな、分かるかよ」
首を竦め、視線は合わさぬまま元親は首をかしげてみせた。こつり、とお互いの頭が触れ合う。甘えるように摺り寄せて、慶次はもう一段、声音を落とした。
「ちょっと迷ったんだけどさ、みんなで騒いじゃうのはさ、今日すればいいかと思って。……明日はさ、二人で月を愛でるってのはどうだい」
勿論、元親に異論があろうはずもなかった。
「元親、空いてるよ」
「おう、悪りぃな」
差し出された酒を、手にした盃で受ける。なみなみを注がれたそれを一気に呷れば、華やかな酒の香りが鼻腔を突き抜けた。
「良い呑みっぷりだねえ。やっぱり、元親と呑むのは楽しいよ……っとと、」
機嫌良さげに目を細め、やはり空になった自分の盃に注ごうとしていた慶次の手から、元親は徳利を奪う。
「おいおい、手酌はねえだろ」
「ええ、いいよ、そういうの。いつもやってんだし」
「一人で呑むのとは訳が違うだろ。返杯ってやつだ、ほれ」
あんた容赦ねえんだもの、と苦笑いする慶次の盃に、元親も自身がされたようになみなみと注ぎ返す。濡れ縁で酒を酌み交わす二人の横で、さらさらと薄が夜風に揺れた。
京都の酒と、一抱えの薄を携え、気まぐれな前田の風来坊が、久方ぶりに四国を訪れたのは夕べのことだ。
「月見しようぜ、月見!」
そして、第一声がこれだ。確かに待宵である。月を愛でるには充分とも言えたが、それでも肝心の中秋の名月は明日だ。元親は一瞬虚をつかれて唖然とした。
とはいえ、では明日と言うのも、突然の客人にすっかり盛り上がってしまった部下達の気持ちに水を差ようで忍びない。
早速、激を飛ばして宴の仕度をさせ、昨夜は兵卒も武将もぐるりと円を囲んで、いつもどおりの大宴会と相成った。
その最中の事である。宴はまさにたけなわ、舞の上手い者が自慢の腕を披露していた。輪の中心で踊る男に手を打ち、声を掛けていた慶次が、するりと元親に身を寄せてきた。
手拍子は止めず、笑顔もそのままに。しかし、周りの者が皆、舞手に気を取られているうちに、気づかれないように耳元に囁きかける。
「元親」
落とした声音に、どうしてかぎくりとした。懇ろな仲である事を特段隠しているわけでも吹聴しているわけないが、さすがに部下の前である。若干後ろめたいような心持ちで、元親も出来る限りさりげない風を装って小声で応える。
「んだよ」
「俺がさ、わざわざ今日来たのって、なんでだか分かるかい?」
確かに気になっていた事であった。これで意外と慶次は風流を解する男なのだ。わざと待宵を選んで訪れるのも、彼らしいと言えばらしいのかもしれないが、違和感は残る。
「さあな、分かるかよ」
首を竦め、視線は合わさぬまま元親は首をかしげてみせた。こつり、とお互いの頭が触れ合う。甘えるように摺り寄せて、慶次はもう一段、声音を落とした。
「ちょっと迷ったんだけどさ、みんなで騒いじゃうのはさ、今日すればいいかと思って。……明日はさ、二人で月を愛でるってのはどうだい」
勿論、元親に異論があろうはずもなかった。