鵞鳥のヘンゼルと魔女のグレーテル
「でも、流石に静雄さんが、その、アレっていうのは・・・・・・」
言葉にした時の破壊力に耐えられそうになくて、帝人は肝心の部分を濁した。
喩えにしても限度がある。静雄と魔女やグレーテルのイメージが見事なまでに合わず笑うに笑えない。
「まぁ、君が鵞鳥から人間になれたんだから良いってことにしようよ。俺はね、家畜が太らされようが興味ない。だって食われるために育てられてるんだからね。丸々と太ることが義務。それを可哀想と思ったり、嫌がっていると解釈するのは無意味だ。意志疎通が図れなくて実のところが分からないものに感情移入して考えたところで仕方ないさ。――けど、人間に置き換えれば実に興味深い」
「えっと・・・・・・」
「君にヒントをあげよう。鵞鳥やヘンゼルをカヴァージュするのは、食べるために、だ」
「か、かば・・・・・・?」
「カヴァージュ。強制的に餌を食べさせるって意味」
そーんな言葉も知らないの? と言うような臨也の視線を受けて、そうなら最初から分かり難い横文字など使わずに言ってくれたら良いのに、と帝人は口を尖らせつつも首を縦に振った。
「えーと、まぁ、そうですね。食べるために育てるんだとは思いますけど」
それがどうかしたのか、と言うような帝人の視線に気づいたのか、臨也はフッと笑うと愚かな子どもに言い聞かせるような口調で、
「帝人君、俺は君を割と気に入ってる。だから、忠告してあげてるんだ」
そう言って臨也は立ち上がった。
「忠告・・・・・・?」
「そう、忠告」
意味が分からず怪訝な表情で臨也を見上げる帝人。その様子を小気味良さそうに見下ろす臨也の一言が子どもの思考をストップさせた。
「魔女のグレーテルには気をつけるんだよ」
「気をつけ・・・・・・って、え?」
何をどう気をつけろというのか。
詳しく聞こうと帝人が言葉を紡ぐ前に、臨也は「じゃあね」とヒラリ手を振ると、さっさと出口に向かって行ってしまった。呆気に取られて見送るままになっていたが、ハッとなり慌てて立ち上がり声をかける。
「ちょっ、臨也さん!?」
しかし、臨也は足を止める素振りすら見せることなく、そのまま出口の向こうへと消えてしまった。
暫くの間、帝人は呆然と(そして段々恨めしい気持ちにシフトしながら)出ていった後を見ていた。けれど、店員の不思議なものでも見るかのような視線に気づき、すごすごと席に着く。
そうして少しだけ落ち着いた頭で考えるのは、最前までの臨也の言葉だ。
(どういう意味なんだろう? 気をつけろって・・・・・・)
魔女もグレーテルも静雄のことを指すのだろう。ではつまり、静雄に気をつけろということか。気をつけたいのは山々だが、その気をつけるための手立てが思いついているなら、そもそもこんなに悩んだりしていないのだが・・・・・・。
(ヒント、カヴァージュって言ってたよね。それは食べられるために・・・・・・。――食べられる?)
臨也の言葉をそのままに受け取るなら、別に疑問はない。しかし、鵞鳥もヘンゼルも帝人のことを指しているだ。
(あれ、じゃあ、僕って――)
食べられるために、餌もといお菓子を与えられている?
誰に?
もちろん、臨也が魔女だのグレーテルだの好き勝手言っていた静雄に、だ。
「静雄さんが、僕を、食べ、る?」
思わず音に乗せた言葉は、しかしあまりに現実味がなさすぎた。
もしかしたら、静雄には人の肉を食らう嗜好でもあるのかとチラリ考えてみたりもしたが、それこそ帝人の鵞鳥以上に酷い妄想だ。ありえない。
(多分、「食べる」っていうのも、何かの喩えなんだろうな)
それは、なんだろう。
帝人は解けない疑問を思い、俯いて溜息をついた。少し視線を横にずらせば、愛用のショルダーバッグと一緒に白いコンビニ袋が。
(静雄さん・・・・・・)
少しぶっきらぼうではあるけれど、それでも帝人のことを思ってくれていることが伝わる静雄の行為(それによってもたらされたブクブクの危機は別として)を悪い意味には絶対に捉えたくない。
(だって、僕は――――)
袋を見ているのが段々と辛くなって、逃げるように逸らした視線を先程まで臨也が座っていた方にやった。飲み尽くされた白いコーヒーカップだけがそこに置かれていて何だか間の抜けた感じがする。
(結局、ヒントを生かしきれてません。もう少し、何とかならなかったんですか、臨也さ・・・・・・、・・・・・・ん?)
じっと凝視する。臨也のいた痕跡を。白いコーヒーカップを。じぃっと。じぃぃっと。じぃぃぃっと。
そして、フリーズ。
次の瞬間には常の体育の授業ですら出したことのない驚くべき瞬発力で会計表を引っ掴み、目からビームでも出して貫通させるほどにガン見した。
(――やっぱり!)
「コーヒー代、貰ってない・・・・・・!!」
店中に轟く悲痛な絶叫。
イイ年こいて子ども相手にまさかの勘定任せ。なんて最悪な大人なんだろう!
発憤する帝人は、しかしその後、店員に「あの、お客様・・・・・・」と声を掛けられてハッと我に返る。そして羞恥に頬を染めながら早々に会計を済ます(その際臨也がちゃっかりその店で一番上等なコーヒーを頼んでいたのが判明し余計に神経を逆撫でた)と、逃げるように店を後にした。
当分、あのファミレスには行けない。帝人は頭を抱えた。
(それもこれも臨也さんのせいだ! 今度会ったら絶対に請求してやる!!)
頭の中は臨也への恨み言で一杯だ。
結局そのせいで帝人は、臨也の言葉の意味を考える事などすっかり忘れてしまうのだった。
作品名:鵞鳥のヘンゼルと魔女のグレーテル 作家名:梅子