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不思議の国の亡霊

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1.2011/02/05更新




 十九歳の春、四つ年上の兄ができた。
 奔放にあちこち跳ねる、柔らかそうな金髪。自分のモノよりも色合いが薄く、よく通うカフェのパウンドケーキを想像させた。肌はとても白い。眉毛がすこし立派だが、瞳はメロンソーダのような深い碧色で、すこしツリ目がちだけれど仔猫のようにぱっちりしてる。身長は自分よりもすこし低い。体格も華奢で、いかにもスポーツなどしていない、といった容貌だ。
 兄になった男の名前はアーサーという。かなり昔からずっと母子家庭で、いまは有名な大学で植物の研究をしているそうだ。スポーツの特待生として大学に通っているアルフレッドとはまるっきり人種が違う。
 アルフレッドも十歳になったころに母を失くしてから、ずっと父とふたりで暮らしていた。男手ひとつでここまで育て上げてくれた父の再婚は驚いたが、もうお互いに大人だ。父には父の生活があり、アルフレッドが家を出てからも誰かが父といてくれるというのは、正直とてもありがたいことだ。だからアルフレッドにとって父の再婚はとても嬉しい知らせだった。
 母となるらしい女性は見るからにキャリアウーマンと言った感じの、聡明そうな女性だ。しかも容姿端麗ときている。すこし話をした感じ、性格に問題がありそうでもない。
 父も良い人を見つけたな。完全に祝福ムードになったその場の空気を、目の前に座る今日から兄になった男がブチ壊した。
「……アメリカ?」
「は?」
 この国の名前を、アーサーはぽつりと呟く。しかもアルフレッドを凝視してだ。
「アメリカ、アメリカだろ?」
「な、なんだい? たしかにここはアメリカだけど……」
「そうじゃねえよ! おまえ、アメリカだろ?」
「はあ?」
 アルフレッドがアメリカとはどういうことだ。意味がわからず困惑するこちらになどかまわず、挟んでいるテーブルを乗り越える勢いで身を乗り出してくる。その取って食われそうな勢いに気圧されて、アルフレッドは上体をすこし後ろに引いた。心の距離も同時にちょっと離れた気がする。
「アメリカ、アメリカ……会いたかった……」
「なな、なんだい? ちょっと、よくわからないんだけど」
 まるで夢遊病の患者の瞳でこちらにふらふらと手を伸ばしてくる。その手を取ることもできずに息をつめて見守っていると、視界の端からスイと一本の腕が現れた。アルフレッドの父の腕だ。それはなんのためらいもなくアーサーのてのひらを包み込み、ぎゅうと握り締める。
「アーサーくん、植物が好きって聞いたんだけど、うちの庭を見てみないかい?」
「でも……アメリカが……」
「うちの息子は勝手にどこかに行ったりしないさ。でも、日は暮れてしまうだろう? その前にぜひ見てほしい花があるんだ」
 アルフレッドの父に言われるがままに、アーサーは渋々といった様子で立ちあがった。そしてちらちらとこちらを見ながらも、繋がれた手が引かれるままに庭へと向かっていく。ふたりの姿が消えるまで見送ってから、アーサーの母がまじめな顔をしてアルフレッドに視線を向けた。
「アルフレッドくん」
「なんだい?」
「実は……その、アーサーのことで話しておきたいことがあるの」
「そのようだね」
 アルフレッドが肩をすくめてそう言うと、アーサーの母は暗く表情をゆがめた。
「あの子、十八歳くらいのときからすこしだけ……その、」
「変なことを言うようになった?」
 アーサーの母は、ハアとちいさくため息をついてこくりとうなずいた。
「カウンセラーにも会ったんだけど、アーサーは薬なんて飲みたくないって言うし。それに、だれにでもああじゃないのよ。普段はほんとうになんでもないの」
「なんでもないって……。現にオレはアメリカとか言われたけど」
「たまにね、人を見て国の名前を言うことがあるの。でも、だれにでもじゃなくて、相手は特定の人なのよ。だから大丈夫だと思ったんだけど、まさかアルフレッドくんに対して言うと思わなくて……」
「だから黙ってようと思ってたのかい?」
「だって……新しいお兄さんが精神的にすこし問題があるかもしれないなんて、嫌がられるんじゃないかと思って」
 たしかにそれはそうかもしれない。兄となる人がすこし精神面で問題あり、とわかったら、再婚を考え直せと父に進言した可能性もある。生活するのに支障がないていどのことならば黙っておきたいと思うのが人のこころだろう。
「でもさ、これからは家族になるんだろう? そういうことは隠さず話してほしいんだぞ」
「アルフレッドくん……」
 アーサーの母は感激したように瞳を潤ませた。そしてそれを細くしなやかな指で払ってから、ゆっくりと話し始める。

 アーサーの母の話を要約すると、十八歳になったころからアーサーの言動に変調が見え始めたらしい。
 まずは自分のことをイギリスという国自身だと言い始め、イギリスという国の歴史や文化を話すようになったのだという。次は特定の人物を国名で呼ぶようになったらしい。たとえばついさきほどアルフレッドのことを見て『アメリカ』と呼んだように。けれどこれはだれでも良い、というわけではないらしい。アメリカと呼ばれたアルフレッドは、これからさきずっとアーサーの中では『アメリカ』で、逆にアーサーの母やアルフレッドの父は国名でなど呼ばれたことはないようだ。
 だからこそなのか、両親たちはアーサーのことを隠し通せると思ったのだろう。まさかアーサーがアルフレッドを捕まえれて国名呼びするなんて思ってもいなかったのかもしれない。アーサーの母の話では、日常生活にさほど支障はきたしていないらしいので。
 カウンセラーにも会い、薬も処方されたけれどアーサーは服用するのを拒んだ。それからはカウンセラーに会うことも拒否しているらしく、日常生活には困らないからという理由でアーサーの母は無理強いはせずアーサーの意思にすべて任せているようだった。
 
「でも、アルフレッドくんをアメリカと呼ぶなんて……」
「ほかに国名で呼ばれる人っているの?」
「私が知っているのは、アーサーの幼馴染の子だけね。学校でも彼がうまく言ってくれてるみたいで、アーサーも問題なく通えてるの。ほんとうに親切で良い子なのよ」
「へえ」
 アーサーには幼馴染がいるらしい。彼女の言葉から察するに男のようだが、彼女たち親子に会ったのが今日なアルフレッドには当然面識はない。良い人ではあるようだし、いつか会うことがあれば話してみたいとは思う。
「その子が言うには、外出先ですれ違った人を国名で呼んだことが二回ほどあったらしいんだけど、それ以外は聞いたことがないわ」
「わお、じゃあオレが四人目かもしれないってことだね」
「ええ……そうね。だからまさか、アルフレッドくんを見てアーサーがあんなこと言いだすなんて思わなくて……」
「それはそうだろうね」
「昔から妖精とかユニコーンとか、そういうモノが好きな子ではあったんだけど……」
「よ、妖精……」
 その発言だけでもアルフレッドにとっては十分にクレイジーだ。妖精とかそういう非科学的なモノにまったく興味がないし、信じていない。アーサーはそんなアルフレッドとは逆の思想の持ち主のようだ。まあ、だからどうということもない。相手は相手、自分は自分なのだから。
作品名:不思議の国の亡霊 作家名:ことは