不思議の国の亡霊
2.2011/02/08更新
新しい生活が始まって早いもので一カ月ほどが過ぎた。けれど四人それぞれに仕事や学業があり、生活のサイクルがばらばらであまり違いは感じないが、家に帰ってくる人数が多いというのはなんだか賑やかな感じがしてアルフレッドはとても気にいっている。
アーサーともかなりうまく付き合えていると思う。彼も最初の日に「アルフレッドと呼んで」という言葉通り、もうアメリカと呼ぶこともなくなった。たまに「アメリカの経済の調子が」とか「あのときは」とか言って歴史の話をするが、まあ困惑するほどではない。
そういう部分を覗けば、アーサーはとても良い兄だった。ふたりともこんな年から兄弟になったのに、まるでほんとうに昔からの弟のようにあれこれと世話を焼いてくれる。いままでひとりっ子だったのでそんな風に扱われるのも新鮮で、いまのところ嫌な気分ではない。
家事もいまのところは良い感じに分散できていると思う。問題もない。両親も忙しいながらに仲も良くて、休日が揃えばふたりでデートにもでかけているようだ。
そんな休日は、たまにアーサーと夜までふたりきりになる。お互いにバイトをしているので深夜の数時間という短い時間だが、アーサーと親睦を深めるのにはちょうど良いのだ。
好きなモノや昔の思い出。そんなことを聞きだすのにも、アーサーの『病気』は障害になった。ただアーサー自身のことが聞きたいだけなのに「そんなことおまえは知ってるだろ」とか「どれくらい前のことだ。おまえがちいさい頃のことか?」とか、どういうことだと首をかしげてしまうことを言ってくる。
何度かそれを繰り返しているうちに、アルフレッドはアーサーの扱い方を覚えた。あやふやに質問をするからいけないのだ。勘違いする隙も与えないほどにしっかりとした質問をすればいい。そうやってすこしずつ『国というアーサー』のことではなく、今日までこうして生きてきた『アーサー』のことを聞きだした。
人づきあいはあまり得意ではないことや好んで読む本の種類。好きな食べ物。初めて付き合った女の子のことは恥ずかしがって教えてくれなかったが、根気強く話したおかげでアーサーのことはかなりわかった。それでもやはり『病気』が邪魔をするのか、それがアーサー自身のほんとうの記憶なのか聞いているこちらにもひどくあやふやに感じる。
そんなふうにアーサーのことを知ろうと躍起になっていたせいか、アルフレッドはこの深夜の親睦の時間に彼のことばかり聞いていたらしい。今夜の親睦の時間はアルフレッドのことを教えてほしいとアーサーからお願いされた。
「オレのこと、かい?」
「ああ、おまえのこと」
これは進歩ではないか、とアルフレッドは胸が熱くなる。いままでアーサーは、アルフレッドのことなどなんでも知っているという態度を崩さなかった。なのに今日は、そんなアルフレッドのことを知りたいと言う。
これはかなり嬉しい。彼が、いまここにいるアルフレッドに興味を持ってくれたということだ。
アルフレッドは今日まで生きてきた自分のことを話した。好きなモノ、学校のこと、スポーツのこと、日課。他愛もないことを嬉々として話すアルフレッドをアーサーは親のような瞳で見つめてうんうんとうなずき、一度も嫌な顔をしなかった。それがなんだかひどく嬉しくて、幸せで、そんな自分の感情にアルフレッド自身が一番戸惑っていた。
こんなにも自分のことを知ってほしいと思ったことは一度もない。自分は自分、人は人。だれに自分のことを知ってもらおうとも思わない。自分が楽しければそれで良いと思っていたのだが、アーサーにはもっともっと自分を知ってほしいと思う。
そして、おなじように彼のことも知りたい。どんなふうにして育ったのか。いつもどんなことをしているのか。それを、ほんとうのアーサーの口から聞きたいという願いが芽生える。
アーサーの『病気』は治せないものなのだろうか。
いつしかそんな考えが、自然とアルフレッドの心に宿って、息をしていた。