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呟きはキスに溶けて

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鍵を開けて家に入ると、なぜかそこに情報屋の姿があった。もちろん、新宿に住むはずの彼である。
「どうしてあなたがここにいるんですか?」
そう問えば、節分だからと返された。かみ合わない話題も不法侵入も初めてではないが、こうも余裕たっぷりに振舞われると、なんというかイザい。いや、ウザい。
「つまり、豆をぶつけて追い出せということですか?」
「帝人くん酷い! 巻き寿司いっぱい持ってきたのに!!」
「じゃあ、それは置いてってください。…ってことでさようなら」
玄関にたたずむ帝人を出迎えるように近づいてきた臨也を、これ幸いとばかりに扉の外へ追い出す。一緒に靴も放り出して、帝人は容赦なく鍵をかけた。チェーンロックなんて高尚なものは、自分の両親より長生きなこのアパートには存在しない。薄い扉は音をさえぎる効果も薄く、「どっちが鬼だよ!」とぶつぶつ言う声がしつこく響いていた。
無視して部屋に上がり、やかんに水を入れ火にかける。湯が沸くまでの間に着替えを済ませ、ガラスの急須に茶葉を入れて帝人は棚からカップを取り出した。急須もちょっと大きめのカップも、臨也が勝手に持ち込んだものだ。ついでに言えば今ぐらぐらとお湯を煮立てているやかんも、よくある安いアルミのものがある日突然笛吹きケトルになっていた。まあ、こちらの方が便利だから別に文句はないのだけれど。
その笛が鳴り出す直前に火を消し、沸騰した湯を急須に注ぐ。本当は少し置いてからの方がいいらしいけれど、一人暮らしの高校生にそんな手間を求めるようなウザい人間は1人しかいない。
お茶の入った2つのカップを手に振り返ると、案の定そこには仏頂面した臨也の姿があった。
「…鍵の音しませんでしたね」
「はあ? そんな無様な真似するわけないじゃん」
「無様とかじゃなくて、…まあいいですけど」
解錠の音も部屋に入ってくる気配がなかった。そんなところに無駄な労力使わなくてもといつも思うが、言ったところで聞くはずもないから黙ってカップを1つ、臨也の前に置く。
途端に、不機嫌そうな顔が緩んだ。これが演技でないのなら、非常にわかりやすい人だと思う。
改めてテーブルを見ると、実にいろんな巻き寿司が並んでいた。太いもの、細いもの、長いもの。伊達巻を使った黄色い巻き寿司や、紫蘇で巻いたピンクのものまである。肉で巻いてあるものまであって、―――これは肉巻きという別の食べ物じゃなかっただろうかと首を傾げたが、小さなテーブルに巻きものがずらりと並んでいるのはなかなか圧巻だ。
「さ、好きなの取りなよ」
「はあ…」
「途中で声を出したり、噛み切ったりしたらダメだからね」
切らずに食べきれば縁が切れない、ということになるらしい。あとは厄払いに豆を撒き、魔除けに鰯の頭を玄関に飾るのが定番だが、いっそ臨也の頭を飾っておけばこれ以上ない厄除けになるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、帝人はいちばん細くて量の少なさそうな巻きものを選んだ。実家でも節分には巻き寿司が食卓にのぼったが、1本まるまる食べきったことはない。だから最初から半分に切ったものを食べたりしていたのだが、この男の前でそんな真似をすれば、当分のあいだそれをネタに遊ばれそうだ。
今年の恵方は南南東、とわざわざ方角まで示してくれるのに従って、帝人は台所の方へと身体を向けた。玄関横の窓が西日なのは知っていたが、そういえば台所の窓南向きなんだ…、と初めて気付く。
いただきます、と呟いて齧りつくと、濃厚なまぐろの味が口の中に広がった。シンプルに具材はまぐろだけ。これって巻き寿司じゃなくて鉄火巻きだよねと思ったが、醤油漬けのまぐろと酢飯は文句なしに美味しかった。普通に見えても臨也の買ってきたものだ、きっとお取り寄せグルメとか予約して何ヶ月とか、そんな感じなんだろう。
無言のまま口を動かす帝人の目の前で、臨也は早くも3本目に手を伸ばしている。細い体躯に似合わず、彼は非常によく食べた。考えてみればあの平和島静雄と遣り合って逃げ切れる体力の持ち主なのだ、このくらいのカロリーが必要なのかもしれない。
一方帝人は、半分ほど食べたところで正直疲れて果てていた。噛み切ってはいけないと言う以上咥えたまま食べ進めることになるのだが、口を開けたままというのは予想以上に食べにくい。
口の中の物を飲み込んでそのまま小休止していると、からかうような視線がまとわりついた。ちらりと見れば鼻で笑われて、わかってはいてもムッとする。
もそもそと食べるのを再開すると、に、と嫌な笑みを浮かべて臨也が反対側に齧りついた。え、と驚く間にも食べ進んで、あっという間に数センチの距離にその顔が迫る。
唇が触れ合いそうなその距離に、咄嗟に我に返って帝人は巻き寿司を噛み切った。つながりが切れて、あっさり離れたその顔が驚いたように帝人を見つめる。
「ちょ、なんで噛んじゃうの!?」
「ああ、縁が切れちゃうんでしたっけ。今までありがとうございました」
「…笑顔で言うのやめなよ、マジへこむから」
「馬鹿な真似するからですよ」
「ちゅーしたいって純粋な気持ちの、いったいどこが馬鹿なのさ!」
「本当に純粋な気持ちだったら、したい時にすればいいじゃないですか」
呆れたように溜め息を吐くと、不意に身体を引き寄せられた。その腕に絡め取られたまま睨みつけようと上を向くと、間近にあった顔が寄せられる。
が、触れ合う直前で帝人は間に手を差し込んだ。明確な拒否に、臨也が仏頂面を晒す。
「帝人くん酷い…」
「正当防衛です」
「過剰でしょ! いいって言ったり拒絶したり、もうホント読めないよね君って!」
畳にのの字を書く大人を呆れた顔で見つめる。読めないのはお互い様だ。
「それ食べ終わったら帰ってくださいね。僕お風呂行きたいんで」
「だったらウチ来なよ。そのくらいいくらだって貸してあげるよ」
「なんでわざわざ、お風呂入りに新宿まで行かなきゃなんないんですか。そこの銭湯で十分ですよ」
それとも一緒に行きますか、と声をかけると途端に臨也が喜色を浮かべた。なぜそこで喜ぶのかがわからない。今のは軽い嫌がらせなのに。





作品名:呟きはキスに溶けて 作家名:坊。