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年始

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年始

 それはとある正月の話。
 正守や箱田のように戻る家のある者もいるが、そうでない者も多い夜行では、正月といえど人の気配が絶えることはない。
 否。それどころか、口うるさい大人が減って子ども達などは過熱気味だった。
「おいこらチビども、あまり走り回るなよ。また障子破ると刃鳥さんに怒られるぞ」
「言っても無駄だよ閃ちゃん、止めないと」
「じゃあお前が止めてこい、秀。任せた」
「それはないよ閃ちゃんー」
 言った傍から、奥の座敷で何かが盛大に倒れる音がする。
「あーもー、見に行くよ、閃ちゃん」
「仕方ねーなー……」
 秀の言葉に閃も重い腰を上げる。幼い子供の世話はまだ同じく子供であるところの自分たち世代の仕事だ。大人にはまた別の『本当の』仕事がある。たとえば、今日もまた正月早々裏会へと出張に出ている白道と黄道のように。
 パタパタと足早に廊下を進む秀の後ろをついていこうとした時、玄関の戸が開く音がした。
「誰か来た!俺、玄関のほう行ってくるから!」
「あっ閃ちゃん、ずるーい!」
 秀が何事か言っているが気にするまい。だって玄関から戻ってきた人間の気配は間違いなく――
「ああ閃、ただいま」
「おかえりなさい、頭領」
 昨日から出かけていた正守が、そこにいた。行くときよりも荷物が増えていて、手に持った包みを閃のほうへと差し出してくる。が、受け取ったのは閃ではなかった。
「杏仁豆腐だ、皆に振る舞ってやってくれ、絲」
 いつの間にやら玄関にやって来ていた絲が正守から包みを受け取ると、はにかんだ笑いを浮かべて台所のほうへと歩いていった。
 後に残った閃はなんとなく居心地が悪くて会話のきっかけを探す。
「杏仁豆腐ですか」
「そ」
「和菓子じゃないんですね」
 正守は存外甘党で、和菓子洋菓子限らず甘い物を好むが、土産はいつも同じ店の饅頭というのがセオリーだった。閃の知る限り杏仁豆腐というチョイスははじめてだ。
「いつもの店が正月休みで閉まってたんだよ」
「実家に帰ってたんですか?」
「……ま、そんなとこ」
 明らかにはぐらかされてみてはじめて、閃は自分の失言に気付き、謝る。
「すいません、詮索するようなことを」
「ん?ああ、気にするな」
 とは言われても、気にならない訳がない。正守が長男なのに裏会に身を寄せているという事情。家があるのに戻れない理由。閃の知らない断絶が正守と墨村の家との間にはあるはずだ。
 結局閃はそれっきり、正守に言葉をかけることができなかった。
「閃ちゃーん」
 気まずい沈黙を破ったのは秀だ。
「鏡餅落っこちてきて、大変、手伝っ――頭領!」
「よぉ秀、なんだなんだ、またちびっこどもが何かしたのか?」
「ええ、でも頭領の手を借りるまでのものじゃ――」
「いいから、案内して」
 そのまま一同は子ども達の居る奥の部屋で片づけを行い、正守との間のわだかまりに似たものはそのまま引きずられていってしまったのである。

 そのわだかまりに一石を投じられたのはその日の夜。
 全自動洗濯機に自分の着換えを放り込んで洗い終わりを待って洗濯機の前に座り込んでいた閃に、正守が声をかけてきた。
「閃」
「はい」
 ――来る。そんな気がした。ぼそぼそと話すところといい、周囲に人気がないのを伺っている様子といい。
「今夜、いいか?」
 予想どおりの言葉に、閃は黙って頷いた。
「じゃあ、俺の部屋に」
 正守はすぐに自室に戻ったが、閃は洗濯が終わるのを待ち、洗濯物を干してから正守の部屋へと向かった。
「なんか、ちょっと慣れが出てきてよくない感じ、か?」
 前は深夜しか正守のところには行かなかった。それだけ人の目を気にしていたからだが、今日は他に人も少ないしいいだろうという気分もあって、子ども達が寝たのを見計らって部屋を出たのだった。
 やがて正守の部屋の前にたどり着いた。明かりは絞られ、室内はやや暗めだ。戸口から声をかける。
「頭領」
「閃か。入れ」
 襖を開けてみて、そこにあった光景に驚く。閃と同世代の者――秀をはじめ、絲、文弥らが集まっていた。
「閃ちゃんようこそー」
「……何やってんの、みんなして」
 口では質問したものの、正解は見れば明らかだった。一同は正守の部屋の真ん中で、花札に興じていたのだった。
「なにって、花札だよ。閃ちゃんもルールわかるよね」
「わかるけど」
「結構白熱してるぞ?なにしろみんな明日からのおやつがかかってるんだ。逆に賭け事なんぞちびっこどもの前では見せられないからな、こうして俺の部屋に集まってるというわけ」
「次は僕と閃ちゃん交代しよう。僕、もう豆まきまでのおやつがなくなりそうだよ」
「絲がね、ポーカーフェイスが上手でね、僕もやられっぱなし」
 どうやら秀と文弥を相手に勝ちまくっているらしい絲が恥ずかしげに札で口元を抑える仕草をする。
「悪巧みしてたんですね」
 恨みがましい目になってしまっている事は許して欲しい。閃だって正守に抱かれたい時ぐらいあって、今日はすっかりそのつもりで来たのだから、ジト目にもなろうというものだ。
「酒とギャンブルは二十歳までしてはいけない、けれど二十歳までに覚えないといけない、ってね」
「ギャンブルは二十歳過ぎても駄目じゃないですか?」
 文弥と談笑する正守から、閃は腹いせに最も遠い場所に座る。
 が、正守はそんな閃の様子を気にすることなど当然なくて。
「ま、こんな正月も悪くないか」
 閃は絲の圧勝ぶりを見ながら、一人、自分に言い聞かせていた。

 最初に欠伸をしたのは文弥だった。
「はわぁ、僕限界。そろそろ寝る……」
「僕も、今のが終わったらもう戻ります、頭領」
 勝負はずるずると続き、気付くと真夜中だった。秀も文弥に同意すると、絲もまたこくこくと頷いた。
「お前はどうする、閃」
「え――」
 正守が自分を見ている。目と目が合った瞬間、世界に二人しかいないような錯覚に捕らわれた。
 そして気付く。自分は試されているのだ。皆と一緒に戻るか、それとも――。
「……俺は」
 動揺していない風を装いながら、正守からつい目を逸らしてしまう。心臓の音が皆に聞こえてしまうのではないかと思うほど大きい。
「――まだ、戻らない」
「あ、そう」
 決意を決めて言った言葉に、秀たちの返事はそれだけだった。そのかわりに、正守が自分を見ているのが分かる。さっき目を逸らした時から、ずっと閃のことを見ている。そうまるで、視姦でもするように。
 そしてそれは。
「じゃあ頭領、閃ちゃん、おやすみなさーい」
「おやすみ」
 正守の視線は、閃と正守を抜いた一同が部屋を出て行ってからもなお続いた。
 会話が、なにか会話が欲しい。正守の意識を反らすような。そう思うのに、何も浮かんでこない。
「閃」
「はい」
 名を呼ばれ、びくっと大きく反応して閃は正守に向き直る。
「こっちに来い」
「…はい」
 膝歩きで正守の近くまでにじり寄ると、正守が苦笑を浮かべている。
「何を緊張している?」
「いや、だって、その……」
 正守の前に出ると、蛇に睨まれた蛙ではないが、うまく話したり振る舞ったりすることができない。
 その緊張が自身の肉欲による期待と比例していることに閃自身はまだ気付いていない。
作品名:年始 作家名:y_kamei