吸血
薄暗い倉庫の中は古さに対して意外とほこりっぽさや湿っぽさはないので、閃にも我慢できる。が、正守から何故突き飛ばされなければいけなかったのかわからない。正守の顔はよく見えるが、その表情は読み取れない。そのことに戸惑っている間にも、正守は閃の体を覆うようにマットに膝を突いて閃の首筋に手を当てた。
「?」
「心臓が止まるかと思ったよ、全く」
「え?」
正守の指先が絆創膏に触れる。秀に噛まれた跡を撫でているのだ。
「学校に来て上から見てたら、お前が物陰であられもない姿で血を吸われてるのが一番に目に入った」
「!!」
それでか。それで正守はいつもと様子が違うのだろう。だがあれは――
「とんでもない勘違いですよ、頭領。あれは秀の具合が悪くて。まさか服を血で汚すわけにもいかなかったし、それに……」
「うんまぁ、時音ちゃんもいたし、こないだの襲撃で変化して大吾から血をもらったってのも聞いてたし、わかってるけどな。それでも吃驚した」
正守の指がゆっくりと閃の傷の上をなぞる。どこか臆病に感じたのは、閃のほうがおびえているからだろうか。
「!雪村といえば…!」
閃は上半身をがばっと起こすと正守相手にまくし立てた。
「頭領、背中にキッ、キスマーク残したでしょう!?」
「あれ?わかっちゃった?」
「人が悪いですよ。今日雪村に言われるまで気付かなかったし……」
「それはよかった」
正守は首筋に触れた手はそのままに反対の手で閃の背中を撫で上げる。キスマークの場所を確かめるかのように。
「何がよかったんですか」
「変な虫がつかないように、見せつけるためにつけたんだから見つけてもらわないとね」
肩まで撫でて、また腰へとなで下ろす手が、ひどく扇情的だ。
「な、な、なっ……」
そのまま絶句してしまった閃に、正守が告げる。
「お前は俺のものだ」
「え……?」
「俺以外に触れさせない。絶対にだ」
「頭領…?」
そして気付く。正守の表情が読み取れないのは、その瞳の奥に沢山の感情を詰め込んでいるからだ。独占欲、嫉妬、普段は剥き出しにすることのない感情が渦巻いている。
怖かった。けれどそれ以上に嬉しかった。
独占の言葉が、エゴにまみれた目線が、閃にはどうしようもない位嬉しくて、正守に抱きついた。
「閃?」
「俺を、頭領だけのものにしてください。今ここで。それが俺の望みで…喜びです」
正守から困惑の気配が伝わってくる。もしかしたら閃が正守を拒否したり逃げ出したりするとでも思っていたのだろうか。だとしたら勘違いもいいところだ。
この身はこんなにも、正守だけを欲しているのに。
「いいのか?」
「はい」
首筋を撫でていた正守の手が強く閃を抱く。と、正守が今まで撫でていた閃の首筋の絆創膏の上から、きつめに歯を立てた。
「つ、っ……」
次いで閃の耳に唇を寄せて、不機嫌さを隠そうともしない低い声で正守は閃に囁く。
「わかってるんだろうな?俺の知らないところであんな姿、誰にも見せるなよ、今後一切だ」
「は、い」
高圧的な言葉も、深いところに怒りを沈めた声も、今の閃には無上の喜びで。
与えられた痛みごと愛せる。今ならそう思えた。
<終>