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[ヘタクエ三次創作]王冠の囚われ人[ギルエリ]

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 「俺」にそんな感慨を抱かせるほど、ギルベルトの信頼は強かった。そうなればやり口を変えなくてはいけない。幾たびかのやり取りから見えた可能性をつなぎ合わせて、「俺」は彼の壊し方を見つけた。
 そうだよなあギルベルト。お前が誰より信頼していないのはお前自身だ。血に汚れた手も、あの娘へのゲスな欲望も、お前が望む皇帝の在り方には程遠い。なのに、誰もがお前を甘やかして見ぬフリをする。

語りかけにギルベルトが初めて応えたのはその時だった。

哀れな皇帝は己を糾弾する存在を切望していた。彼の耳に吹き込み続けた孤独というカードが、漸くこの男を絶望の淵に引きずり込む。
お前を肥大させるだけの幼馴染など、もう不要だろうと囁けば、皇帝は脆くも理性を手放した。甘く居心地のいい世界はもはや、彼にとって堕落の誘惑でしかない。
 ようやく待ちわびた最後の手が打てる。「俺」は、長いやりとりの末にようやく探り当て、くわえ込んだギルベルトの感情の緒を、舌なめずりしながら思い返す。トドメはギルベルト自身の意図で為されなければならない。孤高の皇帝であらんとして、あえて手放した初恋の淡い痛みと甘さを、振り上げた刃で迷いなく断ち切らせなくてはならなかった。
 ギルベルトは今、弟を殺した者への復讐という道へ転がり落ちつつある。彼にとって唯一絶対の目的に変じたそれを妨げようとする彼女の前で、「俺」は彼の背をそっと押してやればいい。邪魔者を永遠に退場させる術はいくつもある。どれを選んでも一挙両得、彼女と対になったローデリヒが一緒に転げ落ちる。
 
 皇帝は一夜だけの夢を叶え、永劫許されぬ闇へ堕ちるためにヘーデルヴァーリ家の門を叩く。
「俺だ」
暗い声で尊大に立ちはだかる男を認めた家宰が顔色を変える。
「お嬢さまはお休みでございます。どうか、お引き取りを」
ただならぬギルベルトの形相に、家宰は何を嗅ぎ取ったのかそつなく皇帝を追い返そうとする。
「随分な態度だな。このままエリザベータの寝室まで踏み込んだっていいんだぜ」
初老の家宰の肩がかすかに上下する。かつては屋敷の主を妻にするかもしれなかった男が、暗い愉悦の表情を浮かべて夜半に彼女を訪問することの意味を悟っているのだろう。
その通りだ。
「俺」はただ一言、彼に告げただけ。

《汝の欲することを為せ、ギルベルト》

家宰の肩を押しやり、ギルベルトは家主の部屋へとたゆまず歩み出す。
「お待ちください皇帝陛下、どうか」
追いすがる家宰を静かな声が留めた。
「構わないわ。陛下がお望みの部屋にお通しして」
大階段の上、ガウンをまとった部屋着のエリザベータがじっとギルベルトを見つめていた。
ギルベルトが長い時間をかけて閉ざしてきた扉が軋みながら開いて行く。

「お前の部屋に通せ」
黒の宝珠の気配が遠のくのを感じながら、ギルベルトはエリザベータに笑みかける。
殺気を孕んだ己の笑みはさぞかし滑稽に映るだろうとギルベルトは思い、自嘲の色を深くした。ローデリヒはこんなドジは踏まないし、踏む前にいくつもカードを切るに違いない。信じて待って耐え抜いた果ての結末は、ギルベルトの無力感を煽り、孤独を深めていた。
「寝室には通さないわよ」
軽口にしては硬い声で、エリザベータが言う。
「私の部屋より食堂に通してスープでも飲ませた方が良さそうだわ、あなたやつれきってる」
エリザベータは矢継ぎ早に文句をこぼすようにして、沈黙を必死に回避する。この先起こり得る最悪の事態を防ぐために、必死で妥協点を探っているのがありありとうかがえてギルベルトは愉快になった。そう、彼らが自分の変化を正確に把握していることは、ギルベルトにとっては心底愉快なことだった。
「お前の部屋だ。使用人はすべて下がらせろ」
ギルベルトは静かに命じた。
「ギルベルト」
「二度言わせるな」
今を逃せば叶えられない望みを抱えたギルベルトの声は低く、凄みを帯びていた。振り返り、咎めるような声を上げたエリザベータが天井を仰いで一瞬固くまぶたを閉じる。
「かしこまりました、陛下」
改まった声色と共に、二粒の翡翠がギルベルトを見つめた。異変を嗅ぎつけた使用人たちが廊下のそこかしこで痛ましげに息を呑む。
 女主人は私室に皇帝を招き入れ、静かに扉を閉めた。
 
 ***
 
 燭台をサイドテーブルに置き、エリザベータが振り返る。
 誰を憐れんでいるのか、随分悲しげな瞳だとギルベルトは思った。
 思えば、彼女は少女の頃から憐憫や悲しみを表に出すことが不器用であった。いつもギリギリまで堪えて、人の見ていない場所でこっそり涙をこぼしている。今夜が過ぎればまたそうして泣くのだろうか。
 感傷が必要以上にこみ上げる前に、ギルベルトは思考を打ち切った。
「ギル…」
 細い声でエリザベータが呼んだ。
「黙ってろ」
 ギルベルトは低く脅しつけて、彼女の文机の椅子を顎で示した。
「座れ」
 エリザベータが椅子を引き出して腰掛ける。彼女の視線はしばらく膝の上を迷ってから、まっすぐギルベルトに向けられた。
 これから起こることを受け入れる覚悟を決めた目を、ギルベルトは目を細めて見つめた。
 
 
 「俺」はギルベルトの姿勢が低くなるのを感じて意識を起こした。
 邪魔立てするつもりはないが、せっかくのギルベルトの晴れ舞台を見逃すのも惜しい。
 これを機に彼は完全に「俺」と交代するだろう。ローデリヒの憎悪も、エリザベータの悲嘆も、「俺」が全て引き受けてやる。
 お前は最後の甘い想い出を抱いて、弟の待つ場所へ沈んで行けばいい。
 
「…?」
 エリザベータがひそやかに息を呑んだ。
 「俺」も同時に異変に気付いた。
 ギルベルトは彼女から一歩距離を開けている。
 
 そして、皇帝は跪いた。
 差し伸べる手に、エリザベータの白い手を取り、己の額にそっと押し当てる。

 エリザベータがこぼれそうなほど目を見開いた。
 
 ああ。
 お前の望みは
 ただ一つの望みは
 
 ――――その愛に跪くことだったのか。
 
「幸せに」
 彼が唇に載せる言葉はただ一言。
「…もちろんよ」
 ひとつ呼吸を挟んで応えるエリザベータの声は震えていた。
 それは、王冠の栄光に囚われるがゆえに、いかなる時も膝を折ることを許されなかった男の、ただ一度の王冠への背信だった。
 
 皇帝は間もなく、息せききって駆けつけたローデリヒと入れ違うようにしてヘーデルヴァーリ邸を後にした。
 国を背負い、民を背負い、自分の犯した罪を背負うがゆえに、彼が膝を屈することはこの先二度とないだろう。
 
 「俺」の負けだ。
 そう囁いてやると、ギルベルトが低く笑った。
「いや、お前の勝ちだ」
 皇帝は自らの意志で王冠の元にとどまった。その手をさらなる悲劇に染める道を選び取った。
 ただ一度の望みと引き換えに、彼は最後の未練を捨てたのだ。

 片翼をもがれた黒鷲は、石畳を城へと向けて歩き出す。
 ようやく差し込み始めた朝日は彼の顔を照らさず、ただ黒々と影を落としていた。

 fin