すれ違い
胸が何かに圧迫されているかのように重い。帝人は寝返りを打とうとしたのだが、身体が言うことをきかない。
どうして?とまだ寝ぼけている頭でぼんやりと思っていたら、今度は急に息苦しくなった。しかも何か温かいものが蓋をしている気がする。
「んっ」
だんだんと本当に苦しくなって、鼻で息を吸おうにもできなくて。どうしてどうして?と思っていると身体が警報を鳴り響かせる。
これ以上、酸素を口にしないと死んでしまう。帝人は今度こそ手をばたつかせて身体を起こした。すると先程までの重みと息苦しさが嘘のようになくなる。
「はぁはぁっ」
帝人は肩で息をしながら、自分の目の前でニタニタと笑っている青年を息苦しかったため生理的に潤んだ瞳で睨み付けた。
「なんてことをするんですかっ!」
声を荒げる帝人などまったく気にせず、目の前の青年は笑みを貼り付けたまま、勢いよく帝人の唇に自分の唇を合わせた。
「ん~っ!」
帝人は非難の声を上げるが、全て青年が帝人の声を奪ってしまう。くちゅくちゅという卑猥な水音が帝人の耳朶を突き刺して、羞恥で目がくらむ。
震える手で帝人は青年の服にどうにかしがみつきながら、彼から与えられる無理矢理の口づけに耐えた。
そして漸く解放されたときには、帝人はぐったりとして肩で息をしていた。その唇は紅く腫れ上がり、淫猥な光りを纏っている。
「早く起きてこない君が悪いんだよ。眠り姫」
身体を起こすことも出来なくなってしまった帝人の背中を支えながら満面の笑みで、青年は毒づくような言葉を発する。
帝人は紅い顔そのままに、青年をまた睨み付けた。その真っ赤な唇はワナワナと震え、怒りを如実に表している。
「だけど!こんな起こし方は無いでしょう!」
「君は眠り姫だったんだ。俺の口づけで目が覚めた。だったら起こすときはこの方法が効果的だろう?」
もっともな理由で言われしまえば、帝人には何も言えない。そう、帝人は『眠り姫』だった。
この目の前の青年、もとい日々也王子の口づけによって目覚めることができたのだ。
帝人は今でも眠らされた時の事を覚えている。
たった13の時に美しいからと言うむちゃくちゃな理由で魔女の呪いにより眠らされ、それから年を取ることもなくずっと眠り続けていた。
魔女は城中を茨で覆い尽くし、何人たりとも入ることを不可能にし、王夫婦に『姫の呪いをときたければ緋石の瞳をもつ王子の口づけが必要』と告げてそのままどこかへ消えてしまったのだ。
その時から300年。もはや帝人を知るものはいなくなっていた。
城の者達は魔女を恐れ逃げ去り、帝人の両親である王夫妻は最後まで帝人の傍にいたらしいが、
とうとう緋石の瞳をもつ王子を見つけることが出来ずにその天寿をまっとうしたらしい。
そして300年後、この王子が生まれた。緋石の瞳をもつ王子、日々也。
彼の両親には、良い魔法使いやら精霊やらがお告げをしにきたらしい。
なんでも『眠り姫を城に迎えれば、きっとこの国は繁栄するであろう』という何とも胡散臭いお告げ。
そのお告げにより日々也は帝人の眠る城に来た。そして日々也は両親の言葉をまっとうするため、帝人を口づけで起こしたのだ。
だから日々也が帝人をキスで起こそうとすることは道理にかなっている。もともとキスで目覚めるようになっていたのだから。
けれど、でも。日々也の態度に帝人の心が悲鳴を上げる。
「確かにそうだけど・・・!まるでキスすることを義務のように言わないでくださいっ」
帝人は、日々也が好きだった。あの日、あの時、初めて日々也を見た時から。
柔らかい唇の感触。温かい体温。全てが鮮明に思い出せる出会いの瞬間。けれど、日々也はとても残酷な言葉を帝人に言ったのだ。
『俺はただ国の為に君を起こし、連れて帰る。それが俺の義務。だから君を好きで起こしたとか勘違いしないでね』
天使のような微笑みを浮かべながら言われた言葉は深く深く帝人の心を抉った。
初めて一目惚れで好きなった人から言われた一言。辛かった、苦しかった、泣いて叫びたい衝動に駆られた。
けれど、ここでわめいてさらに嫌われたくなかった帝人は、ただ日々也の言葉に頷くだけだった。
「義務のように言うな?何それ」
日々也の声がワントーン下がる。帝人は冷たくなった日々也の言葉に背筋を震わせた。
獰猛な緋い瞳が帝人を映し出す。日々也は薄く口角を上げながら、鼻先で笑った。
「君は俺に命令できる権利なんてないんだ。いいかい?君は俺のものだ。俺に命令も指図もしないで欲しいんだけどなぁ」
「っ」
それは、対等ではないとうこと。帝人は今にも泣き出しそうだった。けれど、日々也の前だけでは泣きたくなかった。
鬱陶しいと思われたくなかった。だから帝人は目を開き、歯を食いしばり、俯く。
そして震える声のまま、小さな声ですみません、と呟いた。どうしてだか帝人の背中を支えている日々也の腕がぴくっと震える。
日々也は俯いたままの帝人を見つめて、彼女に聞こえないよう小さなため息を漏らした。
今、もしも帝人が頭を上げていたら、きっと日々也の哀しそうな顔を見ることが出来ただろう。
けれど、帝人は顔を上げることはなく、ずっと俯いたままだった。
「それじゃぁ、早く下りておいでよ。父様達がまっているんだからね」
「はい、日々也様・・・」
日々也は顔を歪ませながらかぶりをふり、そのまま帝人のベッドから立ち上がると、そのまま帝人の部屋を出て行った。
帝人は日々也がいなくなると、今まで我慢していた涙が溢れる。
「うぅっ・・・っ・・・」
帝人は哀しくて哀しくて、溢れる涙を止めることが出来なかった。