愛情過多
何度も繰り返されていた戦いが幕を閉じ、世界は穏やかな青に塗り替えられた。
もうどこにも紅の気配はない。
二度とレゾナンスをすることもない。
傷の残る右手を握り込んで、ヒジリは少しだけ寂しそうにそう呟いた。
「あの時は力が欲しいって、そればっかり思ってたんよ。オマエを守ることしか頭になかったし?」
開いた手には白い傷。
その手をアキラに伸ばし、ヒジリはそっと顔を近づけた。
並んで座っていたベッドがきしりと音を立てる。
ヒジリの部屋はまるでいなくなったエピフォンを思わせるようなくすんだ白に包まれていた。
「……力がなくてもオレの手でオマエを守ってやんよ。どんなことからもぜってぇオレが守り抜いてやる」
「私、ヒジリくんに守られてばっかりだね」
「ちげぇよ。オレがオマエを守るって決めてんだ。オマエはオレに黙って守られてりゃいいんだっつーの」
くちびるが触れるのはもう何度目だろうか。
初めて口付けた時のあの苦しさと切なさはキスするたびに心のどこかを刺激する。
しかしそれ以上の幸福がヒジリのくちびるから与えられることをアキラは知っていた。
じわじわと沁み込むような体温と、少しかさついた感触。
角度を変えて何度も何度も重なってくるくちびるを受け止め、アキラはそっとヒジリの背中に手を回した。
「っ…はあ……」
息が苦しくなるほど繰り返されるキスに頭の芯がぼんやりと霞み始める。
指先に力を入れればヒジリのシャツにくしゃりと皺が寄った。
それを催促と取られたのか、背中を支えられてとさりとベッドに押し倒される。
どくり、と沸き起こる熱。
不安と期待にアキラはこくりと喉を鳴らした。
見上げるヒジリの顔は普段の軽薄さなど欠片もないほど真剣で、真っ直ぐにアキラを射抜いている。
逃がさない、と目が訴えていた。
「……ヒジリくん」
「言っとくけどなぁ、軽い気持ちじゃねーぞ?無様に生き延びたあの日から…いんや、あれより前だな。アキラがリュウキュウに赴任してきてからずっと、オレはオマエに惚れてた。だから、マジでパネェ愛なわけ」
「うん…」
「健気に一途にずーっとオマエのこと愛しちゃってんの。すげーだろ?」
にやり、といつも通りに笑うヒジリの両手がアキラの顔の両横にすとんと降りた。
「だからオレの四年分、受け取れよアキラ」
すっと細められた目が悪戯に輝く。
猫のように釣り上がった薄茶のアーモンド型の瞳に見詰められるとそれだけで言葉を奪われてしまう気がして、アキラは唇を戦慄かせた。
アキラの中から消されてしまったヒジリとの時間の分だけヒジリの方が気持ちの比重が重い。
ヒジリを好きだと胸を張って言えるのに、それでもこういう言い方をされるとどうしてもアキラに勝ち目はなかった。
「そんなこと言われたら…いやって言えないじゃない。ばか」
「そうそう、オレ馬鹿だからさ、頭ん中オマエのことしかないわけ。だからオレのもんになっちまえよ。身も心もたっぷり愛してやんぜ?」
またベッドがぎしりと音を立てる。
焦らすようにゆっくりと距離を縮められ、勿体ぶって重ねられたくちびるからはするりと舌が忍び込んできた。
くちびるの上下をたっぷりと舐めた後、歯列をなぞり上顎をざらりと擽られる。
それだけでそわそわと腰の辺りが心許なくなることを気づいているに違いない。
最初は戸惑い気味だった粘膜の触れ合う感覚にもようやく慣れてきて、最近ではヒジリが深いキスを仕掛けてくるたびにぞくぞくと背筋を何かが伝い落ちるようになっていた。
背筋から、腰へ。
それが徐々に身体の奥へと熱を植えつけていく。
「ん、っ…ん、ゃ…!」
息苦しさのせいなのか、それとも身体に生まれた熱のせいなのか、ぼんやりとし始めた意識を何とかしようとアキラはヒジリの胸板をふにゃふにゃと叩いた。
それほど体格がいいわけではなくとも、ヒジリもれっきとした男である。
力が抜け始めた手ではヒジリを制止することは出来ず、そればかりかなけなしの力を振り絞った抵抗を「かーわいい」と嬉しそうに違う方向にキャッチされてしまい、アキラはより深くなったキスの嵐に見舞われた。
絡み合う舌がくちゅくちゅと音を立てるのが恥ずかしいのに、身体はどんどんと熱を持つ。
最後の力もくたりと抜け落ち、アキラはヒジリのキスになす術もなく翻弄された。
「……ふぁ…っ」
「やーらしい声出てんじゃん。いいね、もっとそういう声、オレだけに聞かせろよ」
「や、やらしくなんかないよ!」
「やらしいって。もう私溶けちゃいそう!って感じ?うわっ、マジたまんねぇ」
ちゅっと鼻先にキスをされ、アキラはぱくぱくと口を開閉した。
余裕がないのは自分だけで、ヒジリはいつもの調子を崩してはいない。
それが恥ずかしくもあり、悔しくもあり、慣れているからなのだと思うと胸がズキリと痛む。
アキラにとっては六度目の人生とはいえ初めての経験だ。
キスをするのも、こうして触れ合うのも、好きだと告げることすら何もかもは初めてで、小さな胸がはちきれそうなほどいっぱいいっぱいになっている。
口付けられるたびに頭はくらくらするし、身体のわりに大きな手がアキラに触れるだけで心臓は鼓動を速めてしまう。
これから先を想像すると色んなものが焼き切れてしまいそうに恥ずかしくて怖いのに、ヒジリはそれをアキラ以外の誰かと経験してしまっているのだろうか。
アキラにはそれを責める資格などなく、過去は取り返せないものだと痛いほど分かっていたが、それでも。
(ヒジリくんが他の人にもこんなことしてたなんて、嫌だ)
嫉妬という初めて覚えた感情に、アキラは眉尻を下げた。
気を緩めると泣いてしまいそうになる。
「……アキラ?」
アキラの不自然に強張った表情にヒジリが低く名を呼んだ。
両手で頬を包み込まれてほろりと涙が目尻から零れ落ちていく。
この優しい手が他の誰かに触れたことがいやだ。
傲慢な感情に自身まで嫌いになってしまいそうになる。
「どうしたん?オレが怖い?」
「違う…」
「じゃあ何で泣いてるんだよ。オマエが嫌なら無理はしねぇから、正直に言ってみろって」
涙を掬い上げるヒジリの親指の感触に目を伏せる。
ヒジリの前で泣くのは二度目だ。
だが、あの時の溢れ出る涙とは意味合いが全く違っていた。
「ヒジリくん、が……他の人にもこうやって優しくしてたのかなって思ったら、」
ひく、としゃくり上げたアキラに、ヒジリの目がじわりと見開かれる。
「私は全部ヒジリくんが初めてなのに、ヒジリくんは違うんだって思ったら、すごくつらくて…」
「…アキラ」
「どうしようもないって分かってるのに、嫌なの。こんな私も嫌…っ」
「ったく……マジでオマエ、オレを煽る天才じゃねぇの?」
優しく口付けられて、アキラはそろりと目を開けた。
間近にあるヒジリの薄茶の瞳は酷く嬉しそうに細められている。
ぺろりと涙を舐められてびくっと肩を竦めるアキラに、ヒジリはますます愛しそうに口許を綻ばせてくちびるを重ねてきた。
啄ばむだけのキスはやがて、涙を飲み込むような深いキスに変わっていく。
「ん、…ふ…っ、……!」
もうどこにも紅の気配はない。
二度とレゾナンスをすることもない。
傷の残る右手を握り込んで、ヒジリは少しだけ寂しそうにそう呟いた。
「あの時は力が欲しいって、そればっかり思ってたんよ。オマエを守ることしか頭になかったし?」
開いた手には白い傷。
その手をアキラに伸ばし、ヒジリはそっと顔を近づけた。
並んで座っていたベッドがきしりと音を立てる。
ヒジリの部屋はまるでいなくなったエピフォンを思わせるようなくすんだ白に包まれていた。
「……力がなくてもオレの手でオマエを守ってやんよ。どんなことからもぜってぇオレが守り抜いてやる」
「私、ヒジリくんに守られてばっかりだね」
「ちげぇよ。オレがオマエを守るって決めてんだ。オマエはオレに黙って守られてりゃいいんだっつーの」
くちびるが触れるのはもう何度目だろうか。
初めて口付けた時のあの苦しさと切なさはキスするたびに心のどこかを刺激する。
しかしそれ以上の幸福がヒジリのくちびるから与えられることをアキラは知っていた。
じわじわと沁み込むような体温と、少しかさついた感触。
角度を変えて何度も何度も重なってくるくちびるを受け止め、アキラはそっとヒジリの背中に手を回した。
「っ…はあ……」
息が苦しくなるほど繰り返されるキスに頭の芯がぼんやりと霞み始める。
指先に力を入れればヒジリのシャツにくしゃりと皺が寄った。
それを催促と取られたのか、背中を支えられてとさりとベッドに押し倒される。
どくり、と沸き起こる熱。
不安と期待にアキラはこくりと喉を鳴らした。
見上げるヒジリの顔は普段の軽薄さなど欠片もないほど真剣で、真っ直ぐにアキラを射抜いている。
逃がさない、と目が訴えていた。
「……ヒジリくん」
「言っとくけどなぁ、軽い気持ちじゃねーぞ?無様に生き延びたあの日から…いんや、あれより前だな。アキラがリュウキュウに赴任してきてからずっと、オレはオマエに惚れてた。だから、マジでパネェ愛なわけ」
「うん…」
「健気に一途にずーっとオマエのこと愛しちゃってんの。すげーだろ?」
にやり、といつも通りに笑うヒジリの両手がアキラの顔の両横にすとんと降りた。
「だからオレの四年分、受け取れよアキラ」
すっと細められた目が悪戯に輝く。
猫のように釣り上がった薄茶のアーモンド型の瞳に見詰められるとそれだけで言葉を奪われてしまう気がして、アキラは唇を戦慄かせた。
アキラの中から消されてしまったヒジリとの時間の分だけヒジリの方が気持ちの比重が重い。
ヒジリを好きだと胸を張って言えるのに、それでもこういう言い方をされるとどうしてもアキラに勝ち目はなかった。
「そんなこと言われたら…いやって言えないじゃない。ばか」
「そうそう、オレ馬鹿だからさ、頭ん中オマエのことしかないわけ。だからオレのもんになっちまえよ。身も心もたっぷり愛してやんぜ?」
またベッドがぎしりと音を立てる。
焦らすようにゆっくりと距離を縮められ、勿体ぶって重ねられたくちびるからはするりと舌が忍び込んできた。
くちびるの上下をたっぷりと舐めた後、歯列をなぞり上顎をざらりと擽られる。
それだけでそわそわと腰の辺りが心許なくなることを気づいているに違いない。
最初は戸惑い気味だった粘膜の触れ合う感覚にもようやく慣れてきて、最近ではヒジリが深いキスを仕掛けてくるたびにぞくぞくと背筋を何かが伝い落ちるようになっていた。
背筋から、腰へ。
それが徐々に身体の奥へと熱を植えつけていく。
「ん、っ…ん、ゃ…!」
息苦しさのせいなのか、それとも身体に生まれた熱のせいなのか、ぼんやりとし始めた意識を何とかしようとアキラはヒジリの胸板をふにゃふにゃと叩いた。
それほど体格がいいわけではなくとも、ヒジリもれっきとした男である。
力が抜け始めた手ではヒジリを制止することは出来ず、そればかりかなけなしの力を振り絞った抵抗を「かーわいい」と嬉しそうに違う方向にキャッチされてしまい、アキラはより深くなったキスの嵐に見舞われた。
絡み合う舌がくちゅくちゅと音を立てるのが恥ずかしいのに、身体はどんどんと熱を持つ。
最後の力もくたりと抜け落ち、アキラはヒジリのキスになす術もなく翻弄された。
「……ふぁ…っ」
「やーらしい声出てんじゃん。いいね、もっとそういう声、オレだけに聞かせろよ」
「や、やらしくなんかないよ!」
「やらしいって。もう私溶けちゃいそう!って感じ?うわっ、マジたまんねぇ」
ちゅっと鼻先にキスをされ、アキラはぱくぱくと口を開閉した。
余裕がないのは自分だけで、ヒジリはいつもの調子を崩してはいない。
それが恥ずかしくもあり、悔しくもあり、慣れているからなのだと思うと胸がズキリと痛む。
アキラにとっては六度目の人生とはいえ初めての経験だ。
キスをするのも、こうして触れ合うのも、好きだと告げることすら何もかもは初めてで、小さな胸がはちきれそうなほどいっぱいいっぱいになっている。
口付けられるたびに頭はくらくらするし、身体のわりに大きな手がアキラに触れるだけで心臓は鼓動を速めてしまう。
これから先を想像すると色んなものが焼き切れてしまいそうに恥ずかしくて怖いのに、ヒジリはそれをアキラ以外の誰かと経験してしまっているのだろうか。
アキラにはそれを責める資格などなく、過去は取り返せないものだと痛いほど分かっていたが、それでも。
(ヒジリくんが他の人にもこんなことしてたなんて、嫌だ)
嫉妬という初めて覚えた感情に、アキラは眉尻を下げた。
気を緩めると泣いてしまいそうになる。
「……アキラ?」
アキラの不自然に強張った表情にヒジリが低く名を呼んだ。
両手で頬を包み込まれてほろりと涙が目尻から零れ落ちていく。
この優しい手が他の誰かに触れたことがいやだ。
傲慢な感情に自身まで嫌いになってしまいそうになる。
「どうしたん?オレが怖い?」
「違う…」
「じゃあ何で泣いてるんだよ。オマエが嫌なら無理はしねぇから、正直に言ってみろって」
涙を掬い上げるヒジリの親指の感触に目を伏せる。
ヒジリの前で泣くのは二度目だ。
だが、あの時の溢れ出る涙とは意味合いが全く違っていた。
「ヒジリくん、が……他の人にもこうやって優しくしてたのかなって思ったら、」
ひく、としゃくり上げたアキラに、ヒジリの目がじわりと見開かれる。
「私は全部ヒジリくんが初めてなのに、ヒジリくんは違うんだって思ったら、すごくつらくて…」
「…アキラ」
「どうしようもないって分かってるのに、嫌なの。こんな私も嫌…っ」
「ったく……マジでオマエ、オレを煽る天才じゃねぇの?」
優しく口付けられて、アキラはそろりと目を開けた。
間近にあるヒジリの薄茶の瞳は酷く嬉しそうに細められている。
ぺろりと涙を舐められてびくっと肩を竦めるアキラに、ヒジリはますます愛しそうに口許を綻ばせてくちびるを重ねてきた。
啄ばむだけのキスはやがて、涙を飲み込むような深いキスに変わっていく。
「ん、…ふ…っ、……!」