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はじまりの場所で

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「ェイ、…フェイ!」
 力強く肩を揺さぶられる振動で、フェイはハッと目を覚ました。その途端に視界に飛び込んできたアルルとティモシーの笑顔にぎくりとして体を強張らせる。
 どうやら机の上に広げたアルバムの上にうつ伏せになって眠ってしまっていたらしいと、ぼんやり状況を把握する。
 とにかく頭をはっきりさせようと体を起こした途端、眩しい二人の笑顔の上にぽたりと雫が落ちた。慌てて拭き取ったが微かに滲んでしまったようだ。
「…あぁ、そんなに擦っては駄目ですよ。貸して下さい、これは私が直しますから」
 大丈夫、綺麗になりますからと優しく微笑みながらアルバムをそっと取り上げたのはシタンだった。先程肩を揺すって起こしてくれたのも彼だろう。
「こんなところで眠っていると風邪を引きますよ。疲れているようなら、ベッドへ行ったらどうです?」
「…うん、ありがとう先生。でも今日中にやっておきたいことがまだ残ってるから」
 袖で涙をぬぐう様子をシタンにじっと見つめられる。アルバムを見て泣きながら眠っていたことを知られ、羞恥がこみあげてくる。

 デウスとの戦いが終わったあと、生き残った僅かなヒトは各々の住むべき場所の復興をはじめた。ソラリスの粛清を受けて壊滅状態になった国や、アイオーンやスファル人の襲撃を受けた村など、人間が住める状態でなくなってしまった理由はそれぞれだが、皆で力を合わせて生きていこうとすべての人の思いがひとつになっていた。
 かつての仲間たちもまた、各々の場所で復興に向けての先導に立ったり、その手伝いをしたりしている。
 そしてフェイはシタンと共に、彼にとってのはじまりの場所であるラハン村の立て直しを手伝っていた。
 村の裏山にあるシタンの家で寝起きし、一日の大半を全壊した建物の残骸の除去や焦土と化した畑を整えることに費やしている。
 しかし、それを手伝ってくれる人間はシタンを除けばほぼ皆無に等しい。あの事件で生き残った村人の大半がアイオーンと化してしまい、本当に生き残っているのはダンをはじめとする数人のみだからだ。
 その辛い現実に向き合いながら、それでも必死に日々を過ごしていた。

「本当に、大丈夫ですか?」
 そう言って顔を覗き込んできたシタンは何故か痛いような顔をしていた。
「平気だって。疲れてるって言っても少しだけだし。今日はこのあとダンと花の種をまく約束をしてるんだ」
 多分泣き腫らして真っ赤になっているだろう瞳を誤魔化すように笑みを作る。そしてそのまま立ちあがって歩きだそうとしたフェイの行く手を遮るように、シタンが正面に回り込んできた。
「…こんな顔をして平気だなんて言っても説得力ありませんよ」
 その言葉と同時にぐいっと親指で目尻を拭われる。離れていく指先を見れば、うっすらと濡れて光っていた。
「笑いながら泣くなんて器用な真似はやめてください」
「……」
「あなたはひとりで抱え込んでしまうタイプの人間だから、傍で見ている方は気が気じゃないんですよ。ここへ戻ってくるのも、まだ早かったんじゃないですか?」
 シタンの部屋で偶然見つけたアルバムを見て泣いてしまうほど、未だ癒えることのない心の傷が痛むけれど。
 でも、それでも――
「それでも俺は、ちゃんとこの場所からはじめたいんだ。それにひとりじゃ無理だったかもしれないけど、こうやって先生が傍にいてくれる。だから俺は、大丈夫だよ」
 ちゃんとシタンの目を真っ直ぐにみつめて言葉を紡げば、彼は眩しそうに目を細めた。
「本当は、アジトでシェバトの人たちを励ましてるユイさんやミドリのところへ先生を返してあげなきゃいけないんだって分かってるんだ。俺のわがままに先生を付き合わせてるんだって」
「フェイ、そんなことは…」
 慌てて否定しようとしたシタンを遮るようにくいっと彼の袖口を掴む。縋るような仕草になってしまったけれど、これが自分の本音だと自覚する。
「でも、もう少しだけ傍にいてほしい。いつかちゃんと先生の手を放すから、だから…!」
 気持ちが高ぶったせいで落ち着きかけていた涙が再びこぼれ落ちる。それを掴まれていない方の手で優しく拭ってくれたシタンの指が、すべての答えのような気がした。
「…えぇ、あなたがもういいと言うまで、私はあなたの傍にいますよ。約束します」
「ありがとう、…ごめんなさい、先生」
 そっと抱き締めてくれる腕のあたたかさに涙腺が崩壊する。



――幸せになって



 夢の中でアルルとティモシーが願ってくれた自分の幸せは、
 このやさしい人のぬくもりが与えてくれる。
 それを手放さなければならない日がいつか必ず訪れるのだろうけれど、
 どうか、あともう少しだけ猶予を下さい。
 フェイは誰にともなくそう願っていた。
作品名:はじまりの場所で 作家名:一月一日