ナツノヒカリ【水栄】
空の青。見渡す限りの向日葵。
そうだ。あれは夏だった。
他愛のないことでケンカをしたオレたちは、その日二人で帰っていたのに終始無言で。夏の日差しが眩しいはずなのに、二人の間に流れる空気はひんやりと冷たくて。
今までに築き上げた、『親友』という二人のスタンス。
失うのは御免だった。
せめて気持ちは伝えられなくとも、友達として一番近いところにオレを置いて欲しかった。
ならば尚更。
一言ゴメンと口を開けば良かったのに。その一言が喉の奥でつっかえてどうにもこうにも出てきてはくれず。
結局先に『ゴメン、』と口を開いたのは水谷だった。
いつも先に折れてくれるのは水谷で。オレはさぞかし頑固で融通の利かない人間だと、水谷の目には映っているだろうか。
『オレも言い過ぎた、ゴメン。』と小さく返す。
それから再び二人の間を流れる沈黙を、そっと端から剥がすように。
ぽつりと水谷が言葉を零す。
「栄口、オレ、さ。栄口の――」
ちょっと熱を持った、喉に絡んだ声にドキリとして。オレは足を止めて水谷を見つめた。
「っ、なんでもないや。ゴメンな。」
そう言って、水谷はホントに何でもなかったように笑って。
その笑顔があまりにキレイでそれでいてどこか苦しそうで、オレは、何も訊くことができなくなった。
「そういえばこの間泉のヤツがさぁ――」
いつもの調子に戻ってしまった水谷の。
あの少しだけ緊張した声は、何だったんだろう。
オレが――のあとに続くはずだった言葉。夏のジリジリと肌を刺す、それでいてするりとオレらの隙間をすり抜けていく空気が浚っていってしまった言葉は。
微かに聴こえた、届いてしまった『好き』という言葉は夢だったの、幻だったの。
オレは――二人のこの穏やかな時間がずっと続けば、なんて願っていた。ただ、密やかに願っていた。だのに。
どこまでも続く気がしてたオレたちの道は、夏の白い光にとばされてしまったんだ。
背を微かに震わせて。唇を咬む君に、オレは何を言えばよかったんだろう。
初めての夏大。一年生だけのチームでよくやった、それが一般的なオレたちへの評価。
だけど、栄口は自分を責める。
全力を出し切れたかと問われれば。それは否だろう。
全力を出そうという気持ちはもちろんあっても、アクシデントが、緊張が。そこからミスが連鎖する。結果、オレたちは夏を最後まで戦うことはできなかった。
「栄口一人のせいじゃないだろ…? 自分ばっかり、責めないで。」
まだ背を震わせている栄口の、俯くその下に、一滴、また一滴と垂れる透明の滴。
「…ごめん、ちょっとだけ――、」
そう言って、オレの肩に額を預ける栄口の、その背に。
この手を伸ばしたかった。抱きしめたかった。
宙に浮いた手は、一瞬空を掴んで。
そのままやわらかな栄口の猫っ毛を撫でた。
多分、栄口はみんなの前では泣かない。
気丈に皆を励まし続けるだろう。そういうヤツだ、コイツは。
その栄口が、最大限譲歩して、『親友』のオレの前でだけ、涙を見せる。
『親友だから』
その言葉を盾にして、随分と栄口の弱いところをオレは引き出してきた気がする。『誰だって、辛いことはあるよ。もっと栄口は人に甘えていいんだよ』と。
栄口を、知りたかった。もっと、たくさん、もっと、深く。
この腕を背にまわして。思い切り抱きしめてしまえば、もっと栄口のことを知ることができたのだろうか。
それよりか、今のこの関係を壊してしまう方が、オレにとっては恐怖だった。
このまま栄口の隣に居られるなら。『親友』という特別なポジションに居座ることができるのなら。
――このままずっと――
そんなわけ、あるはずないのに。
オレの中にくすぶる、栄口への邪な想いがある限り、ずっと今の関係が保てるわけなんてないのに。
オレは栄口の一番近くにいたい。それが『親友』という形で、偽物の友情だったとしても。
こみ上げる嗚咽を抑えきれずに、しゃくりあげる栄口の頭をそっと撫でながら、オレはそんなズルいことを考えていた。
夏の練習は、朝から晩まで本当に動きっぱなしで相当きつかったように思う。
それでも、あいつと一緒なら頑張れる。そう思って。
休憩時間もロクに休まずに、アンダーが汗でビシャビシャになるのにも構わずはしゃいで。
そんな時間がいつまでも続くなんて。ただ、根拠もなく信じ込んでた。
「…水谷?」
暑い夏の練習では。ぶっ倒れないようにと暑さの厳しい時間を避けるように、少し長めの昼休憩がとってある。
みんなと散々はしゃいで昼飯食って。ふらりと居なくなったと思ったら、こんなところにいたんだ…。
グラウンドからちょっと外れたところの木の根元に、水谷は、いた。
「寝てんの…?」
確かに練習はきついし、朝も早いし。昼飯食べたら眠くなる気持ちは分かる。でも、寝ちゃったら午後身体動かなくなるのにな。
オレは苦笑しながら、水谷の隣に腰を下ろした。
青々と茂った木の葉が、夏の日差しを和らげて、清涼な風を運んでくる。これは――確かに昼寝にはもってこいだろう。
と、右肩に温もりと重さを感じて、びくりとする。
ふわりと鼻腔をくすぐる、シャンプーと汗が混じった水谷の匂い。
「み、ずたに…?」
もちろん、寝てしまっているのだから水谷の行動は無意識だ。なのに、一気に跳ね上がってしまう鼓動が、耳に煩(うるさ)い。
触れているところから、じわりじわりと水谷という熱に浸食される。
――好きだ、水谷が。強く思う。
オレはきゅっと目を瞑(つむ)ると、大きく息を吸った。
眼下には、くせっ毛で大変なんだ、といつも嘆いている水谷のやわらかな髪。そのあたたかい色は、すごく水谷に似合っていると思う。
思わず伸びた手にはっとして、動きを止める。水谷の髪に触れる、その数ミリ手前で止められてしまったオレの手は、宙を掻くとゆっくりと下ろされる。
オレは、何、を。
その髪に触れて、どうしようってんだ。
絶対に髪だけじゃ済まなくなる。一度触れてしまったら。その肌の温もりが欲しくなる。それだけは。
今のままでいい。強く自分に言い聞かせて。
オレは空を見上げた。
白い太陽が、オレを射る。
このままで、このままで。
この場所が守られるなら、他に何もいらない。
オレは肩にもたれたままの水谷を、そっと揺り起こす。
「…水谷、そろそろ起きないと。午後の練習始まっちゃうよ?」
「ん…? ふぁ…、さかえ、ぐち…?」
水谷が身体を起こしたところで、オレは先に立ち上がった。
これ以上、この至近距離は心臓に悪すぎる。
「ほら、先に行ってるぞ〜、」
「あ、ちょっと、待ってよッ、」
慌てて立ち上がった水谷は、小走りになってオレの横につくと、肩を並べて歩き始める。
これで、いい。
こいつの隣にいられれば、それで――
「さっみーねぇ…、」
「もう二月だからねー…」
熱に浮かされたような夏はあっという間に過ぎ去った。穏やかに秋も過ぎ、もう季節は冬も半ばにさしかかっていた。
「学年末終わったら、もうオレらも二年だよ? 早いよな〜。」
そうだ。あれは夏だった。
他愛のないことでケンカをしたオレたちは、その日二人で帰っていたのに終始無言で。夏の日差しが眩しいはずなのに、二人の間に流れる空気はひんやりと冷たくて。
今までに築き上げた、『親友』という二人のスタンス。
失うのは御免だった。
せめて気持ちは伝えられなくとも、友達として一番近いところにオレを置いて欲しかった。
ならば尚更。
一言ゴメンと口を開けば良かったのに。その一言が喉の奥でつっかえてどうにもこうにも出てきてはくれず。
結局先に『ゴメン、』と口を開いたのは水谷だった。
いつも先に折れてくれるのは水谷で。オレはさぞかし頑固で融通の利かない人間だと、水谷の目には映っているだろうか。
『オレも言い過ぎた、ゴメン。』と小さく返す。
それから再び二人の間を流れる沈黙を、そっと端から剥がすように。
ぽつりと水谷が言葉を零す。
「栄口、オレ、さ。栄口の――」
ちょっと熱を持った、喉に絡んだ声にドキリとして。オレは足を止めて水谷を見つめた。
「っ、なんでもないや。ゴメンな。」
そう言って、水谷はホントに何でもなかったように笑って。
その笑顔があまりにキレイでそれでいてどこか苦しそうで、オレは、何も訊くことができなくなった。
「そういえばこの間泉のヤツがさぁ――」
いつもの調子に戻ってしまった水谷の。
あの少しだけ緊張した声は、何だったんだろう。
オレが――のあとに続くはずだった言葉。夏のジリジリと肌を刺す、それでいてするりとオレらの隙間をすり抜けていく空気が浚っていってしまった言葉は。
微かに聴こえた、届いてしまった『好き』という言葉は夢だったの、幻だったの。
オレは――二人のこの穏やかな時間がずっと続けば、なんて願っていた。ただ、密やかに願っていた。だのに。
どこまでも続く気がしてたオレたちの道は、夏の白い光にとばされてしまったんだ。
背を微かに震わせて。唇を咬む君に、オレは何を言えばよかったんだろう。
初めての夏大。一年生だけのチームでよくやった、それが一般的なオレたちへの評価。
だけど、栄口は自分を責める。
全力を出し切れたかと問われれば。それは否だろう。
全力を出そうという気持ちはもちろんあっても、アクシデントが、緊張が。そこからミスが連鎖する。結果、オレたちは夏を最後まで戦うことはできなかった。
「栄口一人のせいじゃないだろ…? 自分ばっかり、責めないで。」
まだ背を震わせている栄口の、俯くその下に、一滴、また一滴と垂れる透明の滴。
「…ごめん、ちょっとだけ――、」
そう言って、オレの肩に額を預ける栄口の、その背に。
この手を伸ばしたかった。抱きしめたかった。
宙に浮いた手は、一瞬空を掴んで。
そのままやわらかな栄口の猫っ毛を撫でた。
多分、栄口はみんなの前では泣かない。
気丈に皆を励まし続けるだろう。そういうヤツだ、コイツは。
その栄口が、最大限譲歩して、『親友』のオレの前でだけ、涙を見せる。
『親友だから』
その言葉を盾にして、随分と栄口の弱いところをオレは引き出してきた気がする。『誰だって、辛いことはあるよ。もっと栄口は人に甘えていいんだよ』と。
栄口を、知りたかった。もっと、たくさん、もっと、深く。
この腕を背にまわして。思い切り抱きしめてしまえば、もっと栄口のことを知ることができたのだろうか。
それよりか、今のこの関係を壊してしまう方が、オレにとっては恐怖だった。
このまま栄口の隣に居られるなら。『親友』という特別なポジションに居座ることができるのなら。
――このままずっと――
そんなわけ、あるはずないのに。
オレの中にくすぶる、栄口への邪な想いがある限り、ずっと今の関係が保てるわけなんてないのに。
オレは栄口の一番近くにいたい。それが『親友』という形で、偽物の友情だったとしても。
こみ上げる嗚咽を抑えきれずに、しゃくりあげる栄口の頭をそっと撫でながら、オレはそんなズルいことを考えていた。
夏の練習は、朝から晩まで本当に動きっぱなしで相当きつかったように思う。
それでも、あいつと一緒なら頑張れる。そう思って。
休憩時間もロクに休まずに、アンダーが汗でビシャビシャになるのにも構わずはしゃいで。
そんな時間がいつまでも続くなんて。ただ、根拠もなく信じ込んでた。
「…水谷?」
暑い夏の練習では。ぶっ倒れないようにと暑さの厳しい時間を避けるように、少し長めの昼休憩がとってある。
みんなと散々はしゃいで昼飯食って。ふらりと居なくなったと思ったら、こんなところにいたんだ…。
グラウンドからちょっと外れたところの木の根元に、水谷は、いた。
「寝てんの…?」
確かに練習はきついし、朝も早いし。昼飯食べたら眠くなる気持ちは分かる。でも、寝ちゃったら午後身体動かなくなるのにな。
オレは苦笑しながら、水谷の隣に腰を下ろした。
青々と茂った木の葉が、夏の日差しを和らげて、清涼な風を運んでくる。これは――確かに昼寝にはもってこいだろう。
と、右肩に温もりと重さを感じて、びくりとする。
ふわりと鼻腔をくすぐる、シャンプーと汗が混じった水谷の匂い。
「み、ずたに…?」
もちろん、寝てしまっているのだから水谷の行動は無意識だ。なのに、一気に跳ね上がってしまう鼓動が、耳に煩(うるさ)い。
触れているところから、じわりじわりと水谷という熱に浸食される。
――好きだ、水谷が。強く思う。
オレはきゅっと目を瞑(つむ)ると、大きく息を吸った。
眼下には、くせっ毛で大変なんだ、といつも嘆いている水谷のやわらかな髪。そのあたたかい色は、すごく水谷に似合っていると思う。
思わず伸びた手にはっとして、動きを止める。水谷の髪に触れる、その数ミリ手前で止められてしまったオレの手は、宙を掻くとゆっくりと下ろされる。
オレは、何、を。
その髪に触れて、どうしようってんだ。
絶対に髪だけじゃ済まなくなる。一度触れてしまったら。その肌の温もりが欲しくなる。それだけは。
今のままでいい。強く自分に言い聞かせて。
オレは空を見上げた。
白い太陽が、オレを射る。
このままで、このままで。
この場所が守られるなら、他に何もいらない。
オレは肩にもたれたままの水谷を、そっと揺り起こす。
「…水谷、そろそろ起きないと。午後の練習始まっちゃうよ?」
「ん…? ふぁ…、さかえ、ぐち…?」
水谷が身体を起こしたところで、オレは先に立ち上がった。
これ以上、この至近距離は心臓に悪すぎる。
「ほら、先に行ってるぞ〜、」
「あ、ちょっと、待ってよッ、」
慌てて立ち上がった水谷は、小走りになってオレの横につくと、肩を並べて歩き始める。
これで、いい。
こいつの隣にいられれば、それで――
「さっみーねぇ…、」
「もう二月だからねー…」
熱に浮かされたような夏はあっという間に過ぎ去った。穏やかに秋も過ぎ、もう季節は冬も半ばにさしかかっていた。
「学年末終わったら、もうオレらも二年だよ? 早いよな〜。」
作品名:ナツノヒカリ【水栄】 作家名:りひと