思考の錯誤
無人戦車の最後の一台が、爆発炎上した。
真昼の廃工場群に爆音が響き、無数の破片が辺り一帯に飛び散る。それらが雨あられと降る中に、加速を解いた009が姿を現した。
浅い呼吸を繰り返しつつ、スーパーガンを右手に構え、油断なく周囲を見渡す。
ずっと昔に操業を止め、周辺の街ごと打ち捨てられた工業島に、住む者はもう誰もいない。代わりに、現代科学より二世代は進んだ自走砲や迎撃システム、ロボットやサイボーグ兵が多数巣食っていた。今はもう、どれも鉄屑と化していたけれど。
それらの破片や残骸の山、壁や地面に走るいくつものひび割れや、めくれて土の地面がむき出しになったアスファルトが、それまでの激闘を物語っている。さびた鉄扉にある大きなへこみは、敵の攻撃を受けた009が激突した際にできたものだ。それらの全てが、廃墟そのものに漂う寂寞感を、いっそう強いものにしていた。
皓々と降り注ぐ真昼の太陽光が、辺りの惨状を容赦なく照らして晒し、無言で佇む009の眼に焼きつける。遅れて崩壊した古いビルの立てた轟音が、彼の背中に突き刺さった。
埃と硝煙の匂いを孕んだ一陣の風が吹き抜けて、009の栗色の髪と、黄色いマフラーをなびかせる。
鉄屑と朽ちたコンクリートと錆びた鉄骨で構築されたこの世界では、彼の持つ色と、その身にまとう防護服の鮮やかな赤は、異物そのものであった。
そんな彼だけが、この場でただ一人生きて立っている。
自らの戦闘行為の証に、取り囲まれるように。
「………………」
残存する敵がいないと判って、009は、構えていた銃をゆっくりと下ろした。
その途端、負傷していた左腕に激痛が走る。彼は思わず顔をしかめ、小さな呻き声を漏らした。
無意識に傷口を押さえた右手の指の隙間から、破損した機器や千切れたコード類の散らす火花が見える。そこだけ破れた防護服にも、パイプから細く漏れた循環液や人工血液がにじんでいた。
交戦中に敵のレーザーが掠めてできたその銃創は、大した物ではなかったはずだが――その後、何度も加速したのがいけなかったようだ。M5の世界でも何ら支障なく行動可能なサイボーグ009だが、ボディ内部の精密機器までそうとは限らない。よく腕がもげなかったものだと、彼は小さく苦笑した。
極度の緊張から解放されたせいだろうか。左腕だけでなく、あちこちの関節も痛み出した。
そちらは多分、加速装置を含む自身の運動機能を、極限まで酷使したせい。ぎりぎり間に合ったものの、加速装置も使用限界を迎え、作動ロックがかかっていた。
強い鈍痛の中に、時折刃物で突き刺したような痛みが混じっている。関節のパーツの軋む音さえ聞こえそうだ。ちょっと動くだけでも、周辺の筋肉にまで引き攣れたような痛みが走る。全身から噴き出す汗が、どっとその量を増した。
よく見ると、防護服の穴は他にもあった。
こちらは、マシンガンで撃たれた跡。結構ある。それによるダメージは特にないが、それにしてもよく撃ってくれたもんだ。普通の人間なら命がない。
マフラーの端に残る焼け焦げは、砲台の近くに仕掛けられた熱波攻撃のせい。勿論やられる前に破壊したが、あれもなかなか辛かった。現時点では自覚症状はないが、ノーダメージだと言い切る自信もない。直撃した時に、一瞬意識がブラックアウトした程だったから。
満身創痍。今の009を称するのに、これ以上似合う表現はない。多分。
「……帰ったら、博士に直してもらわなきゃ」
そのままずるずるとその場にへたり込んだ009は、荒い息の間から、その台詞だけを口にした。
別の場所にいるメンバーを呼ぼうと、脳内通信を使おうとしたが、すぐにシステムエラーに阻まれる。それでも、と無理に回線をこじ開けてみるが、ノイズが入るばかりで全く役に立たない。
更に運の悪いことに、それを呼び水にしたかのように、次々と他のシステムにもエラーが起きた。
補助脳から意識下に直接叩き込まれてくるそれらの情報は、色に喩えるなら警告の赤。自分もまた機械であるのだと、改めて思い知らされる。
怒涛のように押し寄せるアラートに、009は一瞬、物理的な目まいを覚えた。
出力デバイスが脳だけだったのが、不幸中の幸いだった。もし網膜や内耳にもこれらが出力されていたら、きっと目まいだけでは済まなかったはず。
ミッションは、終わった。早く帰投しなければ。
焦る気持ちとは裏腹に、彼の体はぱったりと力なく後ろに倒れ、その場に大の字を描いた。
ミッションで予定が狂うことなんて、特に珍しくはない。
怪しい施設の調査だけのはずが、敵の猛攻に遭い戦闘状態に陥ったことも、民間人が中にいることが分かり、救出の必要性が出たことも、ただでさえ少ない戦力を更に分散させられ、敵の大軍勢をほぼ009一人で相手する羽目になったことも――そして、その戦闘でこんなにダメージを受けたことも。
ミッションの失敗は、死に直結する。だから、予定がどんなに狂おうが、絶対に成功させねばならない。
今回参加した003や006、007は無事だろうか。太平洋を自力で渡って来ると言っていた002は、もう合流を果たしただろうか。ドルフィン号で待つギルモア博士や001は。
脳内通信を使えないのが、歯がゆい。知らず知らずのうちに、009の眉間にしわが寄る。
そもそも、日本在住の四人だけで計画を立てたのが、間違いだったのだろうか。もっと状況を調べてから召集なんて悠長なことをせず、早々に他のメンバーに声をかけるべきだったか。
自分がしっかりしていないせいで、わざわざ店を休んで応じてくれた006や007にも迷惑をかけたし、003にも負担をかけっ放しで――
左腕の傷口からは、既に火花は消えていた。が、神経系統に不具合が生じているのか、指一本動かすにも苦労する。前述のとおり体全体が重くてあちこち痛くて、まるでいうことを聞いてくれない。そんなどうしようもない状況が、009の思考を、だんだんネガティブな方向へとねじ曲げていく。
汗で額に張り付いた前髪も鬱陶しい。両目を出すのは嫌いだが、幸い今は誰もいない。比較的楽に動かせる右手で前髪を後ろに追いやると、指の間がうっすら湿った。
作り物の体のくせに、と、我知らず自嘲の笑みが浮かぶ。情けないなあ、とこぼしたつぶやきが、マフラーをはためかせる風にさらわれてかき消えた。
そんな時である。見上げる青空の端に、一羽の鳥が現れた。
真っ黒で少しずんぐりした体つきのその鳥は、こちらに向かってぐんぐん近付いて来る。そして寝転がる009のそばまで来ると、首から上だけを人間の形に変えた。
遠目にもそうと判る禿頭と大きな目は、間違いなく007のそれ。見上げる009の顔がふっとほころんだ。鳥は、更に彼の方に近付き、ゆっくりと降りて来る。009は、その様をじっと見つめながら、前髪をそっと元に戻した。
地面に足がつくのとほぼ同時に、鳥が007の姿に完全に変わる。
007は、まるで自分が負傷したように痛々しげな顔をして、横たわる009を見た。そして、周囲にぐるりと視線をめぐらせ、危険の有無を確かめる。それと共に、仲間の経た激闘の名残を風景の中に認めた。
真昼の廃工場群に爆音が響き、無数の破片が辺り一帯に飛び散る。それらが雨あられと降る中に、加速を解いた009が姿を現した。
浅い呼吸を繰り返しつつ、スーパーガンを右手に構え、油断なく周囲を見渡す。
ずっと昔に操業を止め、周辺の街ごと打ち捨てられた工業島に、住む者はもう誰もいない。代わりに、現代科学より二世代は進んだ自走砲や迎撃システム、ロボットやサイボーグ兵が多数巣食っていた。今はもう、どれも鉄屑と化していたけれど。
それらの破片や残骸の山、壁や地面に走るいくつものひび割れや、めくれて土の地面がむき出しになったアスファルトが、それまでの激闘を物語っている。さびた鉄扉にある大きなへこみは、敵の攻撃を受けた009が激突した際にできたものだ。それらの全てが、廃墟そのものに漂う寂寞感を、いっそう強いものにしていた。
皓々と降り注ぐ真昼の太陽光が、辺りの惨状を容赦なく照らして晒し、無言で佇む009の眼に焼きつける。遅れて崩壊した古いビルの立てた轟音が、彼の背中に突き刺さった。
埃と硝煙の匂いを孕んだ一陣の風が吹き抜けて、009の栗色の髪と、黄色いマフラーをなびかせる。
鉄屑と朽ちたコンクリートと錆びた鉄骨で構築されたこの世界では、彼の持つ色と、その身にまとう防護服の鮮やかな赤は、異物そのものであった。
そんな彼だけが、この場でただ一人生きて立っている。
自らの戦闘行為の証に、取り囲まれるように。
「………………」
残存する敵がいないと判って、009は、構えていた銃をゆっくりと下ろした。
その途端、負傷していた左腕に激痛が走る。彼は思わず顔をしかめ、小さな呻き声を漏らした。
無意識に傷口を押さえた右手の指の隙間から、破損した機器や千切れたコード類の散らす火花が見える。そこだけ破れた防護服にも、パイプから細く漏れた循環液や人工血液がにじんでいた。
交戦中に敵のレーザーが掠めてできたその銃創は、大した物ではなかったはずだが――その後、何度も加速したのがいけなかったようだ。M5の世界でも何ら支障なく行動可能なサイボーグ009だが、ボディ内部の精密機器までそうとは限らない。よく腕がもげなかったものだと、彼は小さく苦笑した。
極度の緊張から解放されたせいだろうか。左腕だけでなく、あちこちの関節も痛み出した。
そちらは多分、加速装置を含む自身の運動機能を、極限まで酷使したせい。ぎりぎり間に合ったものの、加速装置も使用限界を迎え、作動ロックがかかっていた。
強い鈍痛の中に、時折刃物で突き刺したような痛みが混じっている。関節のパーツの軋む音さえ聞こえそうだ。ちょっと動くだけでも、周辺の筋肉にまで引き攣れたような痛みが走る。全身から噴き出す汗が、どっとその量を増した。
よく見ると、防護服の穴は他にもあった。
こちらは、マシンガンで撃たれた跡。結構ある。それによるダメージは特にないが、それにしてもよく撃ってくれたもんだ。普通の人間なら命がない。
マフラーの端に残る焼け焦げは、砲台の近くに仕掛けられた熱波攻撃のせい。勿論やられる前に破壊したが、あれもなかなか辛かった。現時点では自覚症状はないが、ノーダメージだと言い切る自信もない。直撃した時に、一瞬意識がブラックアウトした程だったから。
満身創痍。今の009を称するのに、これ以上似合う表現はない。多分。
「……帰ったら、博士に直してもらわなきゃ」
そのままずるずるとその場にへたり込んだ009は、荒い息の間から、その台詞だけを口にした。
別の場所にいるメンバーを呼ぼうと、脳内通信を使おうとしたが、すぐにシステムエラーに阻まれる。それでも、と無理に回線をこじ開けてみるが、ノイズが入るばかりで全く役に立たない。
更に運の悪いことに、それを呼び水にしたかのように、次々と他のシステムにもエラーが起きた。
補助脳から意識下に直接叩き込まれてくるそれらの情報は、色に喩えるなら警告の赤。自分もまた機械であるのだと、改めて思い知らされる。
怒涛のように押し寄せるアラートに、009は一瞬、物理的な目まいを覚えた。
出力デバイスが脳だけだったのが、不幸中の幸いだった。もし網膜や内耳にもこれらが出力されていたら、きっと目まいだけでは済まなかったはず。
ミッションは、終わった。早く帰投しなければ。
焦る気持ちとは裏腹に、彼の体はぱったりと力なく後ろに倒れ、その場に大の字を描いた。
ミッションで予定が狂うことなんて、特に珍しくはない。
怪しい施設の調査だけのはずが、敵の猛攻に遭い戦闘状態に陥ったことも、民間人が中にいることが分かり、救出の必要性が出たことも、ただでさえ少ない戦力を更に分散させられ、敵の大軍勢をほぼ009一人で相手する羽目になったことも――そして、その戦闘でこんなにダメージを受けたことも。
ミッションの失敗は、死に直結する。だから、予定がどんなに狂おうが、絶対に成功させねばならない。
今回参加した003や006、007は無事だろうか。太平洋を自力で渡って来ると言っていた002は、もう合流を果たしただろうか。ドルフィン号で待つギルモア博士や001は。
脳内通信を使えないのが、歯がゆい。知らず知らずのうちに、009の眉間にしわが寄る。
そもそも、日本在住の四人だけで計画を立てたのが、間違いだったのだろうか。もっと状況を調べてから召集なんて悠長なことをせず、早々に他のメンバーに声をかけるべきだったか。
自分がしっかりしていないせいで、わざわざ店を休んで応じてくれた006や007にも迷惑をかけたし、003にも負担をかけっ放しで――
左腕の傷口からは、既に火花は消えていた。が、神経系統に不具合が生じているのか、指一本動かすにも苦労する。前述のとおり体全体が重くてあちこち痛くて、まるでいうことを聞いてくれない。そんなどうしようもない状況が、009の思考を、だんだんネガティブな方向へとねじ曲げていく。
汗で額に張り付いた前髪も鬱陶しい。両目を出すのは嫌いだが、幸い今は誰もいない。比較的楽に動かせる右手で前髪を後ろに追いやると、指の間がうっすら湿った。
作り物の体のくせに、と、我知らず自嘲の笑みが浮かぶ。情けないなあ、とこぼしたつぶやきが、マフラーをはためかせる風にさらわれてかき消えた。
そんな時である。見上げる青空の端に、一羽の鳥が現れた。
真っ黒で少しずんぐりした体つきのその鳥は、こちらに向かってぐんぐん近付いて来る。そして寝転がる009のそばまで来ると、首から上だけを人間の形に変えた。
遠目にもそうと判る禿頭と大きな目は、間違いなく007のそれ。見上げる009の顔がふっとほころんだ。鳥は、更に彼の方に近付き、ゆっくりと降りて来る。009は、その様をじっと見つめながら、前髪をそっと元に戻した。
地面に足がつくのとほぼ同時に、鳥が007の姿に完全に変わる。
007は、まるで自分が負傷したように痛々しげな顔をして、横たわる009を見た。そして、周囲にぐるりと視線をめぐらせ、危険の有無を確かめる。それと共に、仲間の経た激闘の名残を風景の中に認めた。