思考の錯誤
「大丈夫か、009。呼んでも答えないから心配したぞ」
「ごめん、通信回路に、ちょっと不具合が出て。それより、皆は?」
「ああ、皆無事だ。人質も救出できたし、施設の機能も予定どおり停止させた。
後はお前さんを回収してドルフィン号に戻るだけだ」
「……よかった」
「で、お前さんは大丈夫か? 傷の具合、そんなに酷いのか」
「大したことないよ。加速装置の使い過ぎで、ちょっとのびてるだけだから」
そばに腰を落とした007の心配顔に、009は首だけ起こしてそう答えた。
本当は、アラートの嵐が未だ頭の中で吹き荒れていて、体のあちこちに痛みも抱えている。これでシステムフリーズが起きないのは、「009」を開発したBGのスタッフの腕が良過ぎるのか、それともメンテナンスの度にあれこれ心を砕いてくれるギルモア博士のお陰なのか、よく分からないけれど。
007は一瞬だけ瞳を鋭く光らせたが、それについては何も言わず、飄々とした笑顔を作って、
「孤軍奮闘した騎士殿をお迎えするのが、麗しの姫ではなくこのような禿げオヤジで、さぞ落胆されたかとお察し致す。
だが、このオヤジのふざけた面と付き合うのも、帰還するまでのこと。しばしの我慢と、どうぞご寛恕を」
と、芝居がかった所作を加えてそう言った。
そんなことない、来てくれて嬉しいよ。009も微笑んで答え、ゆっくりと上半身を起こしにかかる。
なるべく何ともない風に装いたかったが、疲れた体の重みと傷の痛みが邪魔してうまくいかない。見かねた007が、手を差し伸べた。
「本当に大丈夫か、009」
「うん、ありがとう」
007の手を借りて起き上がったものの、まだ全身がだるくて視界もぐらぐらする。それを隠し、一人で立ち上がろうとしたが、失敗して、結局007の肩を借りることになった。
若いくせに無理するな。左肩を009に貸しながら、007はため息交じりに言った。
「我輩がストレッチャーに化けて、お前さんを乗せて行こうか。
オプションで、救急の赤ランプとサイレンを付けてもいいぞ」
「誰も押してないのにそんな物が走ってたら変だよ、007。大丈夫、自分の足で歩けるから」
散乱する瓦礫を避けつつ、二人で軽口を叩き合いながら歩く。
その間に、007が脳波通信でドルフィン号と連絡を取った。「すぐに迎えに来るそうだ」直前に回収された003の指示の元、こちらに向かっているらしい、と007が言うと、009は、ほっとしたような表情を浮かべて頷いた。
二人に、数十メートルの地点に行くようにとの指示を最後に、ドルフィン号との連絡が終わった。
大きな建築物が多数あるこの場所では、着陸ができないらしい。002がいれば一人ずつ拾ってもらうところだが、残念ながら彼はまだ到着していないとのことだった。
足元のおぼつかない009の様子を見かね、007が何度か、自分が何かに変身して運んで行くと申し出る。だが009はその度に、自分で歩けるからと、やんわりと断った。
何度かそんな問答を繰り返した後に、007の方が、その柔らかな頑固さに折れる。参ったな、という彼の愚痴は、胸の中にそっとしまわれた。
しばらくの間、無言の行軍が続く。やがて、009がうつむき気味に口を開いた。
「……ねえ、007。
これから僕が言うことは、全部、ただの愚痴だって聞き流して欲しいんだけど」
「ん?」
「たまに、思うんだ。僕は、……僕は、半端者だなって」
「………………」
ぱきん、と、足元でガラスの砕ける音がする。それは、廃ビルから落ちた窓ガラスの破片だろうか。
「007の変身能力と違って、僕にあるのは加速装置だけだから。
002や008が気分転換で空を飛んだり海に潜ったりしてるけど、加速して気が晴れるってことは全然ないし」
「………………」
「006や005もその力を仕事に活かしてるようだけど、僕は、僕のは平和利用できそうにない。
一見便利そうだけど厄介な代物でもあるから、結局、役立たずなんだなって思うよ、たまに」
背後で、山積みになっていたロボット兵の残骸が、がらがらと音を立てて崩れ落ちた。
これだけの戦果を挙げて“役立たず”とは。007は密かに呆れるが、勿論表情には出さない。
代わりに、一つ質問を投げかける。
「まさか、003にも同じことを言ったりはしてないだろうな、若人よ?
あのお嬢さんは、ご自身の能力を大層嫌っておられる。もし、お前さんのその台詞を聞いたら――」
「言わないよ。彼女を泣かせたくないもの。
でも、004には言ったかな。いつだったか、『死神には戦場がお似合いだ』なんて言ったから」
「あの御仁らしいこったな」
今ここにいないドイツ人の無愛想な顔を思い浮かべて、007はそっと嘆息した。
全身を武器にされ、勝手な理由で四十年もの眠りを強制された上、目覚めた時に、変貌した世界を目の当たりにさせられた男。希望や恋人の命を奪った「壁」さえも歴史の彼方へ消えてしまい、一時は恨みの行き所さえ見失いかけたという。最近は、自虐志向も多少収まったように見受けられるが。
そんな男と、どういうシチュエーションでそんな会話を交わしたのか、009は語ろうとしない。
冴えない表情を長い前髪で覆い隠し、007の追求をかわすばかり。ここでも、007の方が負けた。
「……お前さん、見かけによらず頑固だな」
「そうかな? 自分では、あんまりよく分からないけど。
とにかく、戦いでしか役に立てないっていうのは、僕も同じなんだ。いや、戦いの中でもどうだか。
勿論、力は普通の人よりずっと強いし、これでも多少は喧嘩慣れしてるから、丸腰でも全く戦えないってことはないけど、体に武器そのものがあればって考えた時もあったりするし」
「………………」
「今まで誰かの役に立てた覚えなんて殆どないから、こうして何かを任されるのは、ちょっと嬉しかったりするんだ。けど僕の能力が能力だから、僕が必要とされるってのは、どこかで戦いが起きてるってことでもあって……。
皆が羨ましい訳じゃないし、博士を恨んでるって意味でもない。けど、まだまだ迷いもいっぱいあって、たまにどうしようもない気持ちになったりもして。
……ごめん、自分でも何言ってんのかよく分かんないや」
「………………」
「僕たちは、戦いを止めるために戦ってる。つまんないことで悩む暇はないはずなのに、ね」
一旦顔を上げかけた009だったが、じっと見つめる007の目に気付き、視線を逸らして口をつぐんだ。
007は一旦その場に足を停めると、無言で、ずり落ちかけた009の腕を担ぎ直す。風が、二人の長いマフラーを舞い上げた。
「ごめん、変なこと言って。疲れてるのは、君も同じなのに」
「別に構わんよ。若者の悩みを聞くのも、年長者の務めさね。
ま、事後処理は大遅刻の空飛ぶアメリカ人に任せて、お前さんは帰ったらゆっくり休むといい」
「…………うん」
009が素直に頷いたのを見て、007はこっそり胸を撫で下ろした。