愛の劇薬
06
「俺、帝人君と待ち合わせしてるんだけど…」
なんだってこのタイミングで、こいつと会わなければならないんだろう。っていうかお前埼玉の暴走族の総長だろ。さっさと帰れ。むしろ取り巻きの女たちはどこいった。最悪だ。最悪すぎる。
「ひとつだけ質問に答えたら、行かせてやるよ」
「なに。早くしてよね、急いでるんだから」
本当に、苛々する。こいつの言葉は、俺の中のなにかを、酷くざわつかせる。
「お前、竜ヶ峰のどこが好きなんだ?」
「…どこって……どこだろ。全部…?」
「違うな。どこが好きか聞かれてそんな顔してる時点で、絶対に違う」
「だって俺は、帝人君のことが好きなんだよ!愛してるんだ!」
「だから、言ってみろよ。竜ヶ峰のどこが好きなんだ」
「それ、は…」
立ち眩みがする。
触れてはならないことを暴こうとしている。
俺は気づいてはいけないことに、気づこうとしている。
「俺のこと馬鹿みたいに信じてるとこ。流されやすいように見えて、実はすっごい頑固なとこ。頭が良いから何でも我慢しちゃうとこ。素直で正直なとこ。いや、性格だけじゃないんだ。妙に叩きたくなるおでこも、俺を見返す目も、薄い唇も。全部、全部、帝人君の全てが愛しいんだ」
焦っていた。なぜだか分からないけれど、とても。
ひとつ口に出せば、続いてたくさんの言葉が溢れたきた。今まで言葉に詰まっていたのが嘘のように、すらすらと。でも話せば話すほど言葉が薄れていく。零れていく。俺は何かを、決定的に間違えている。
「そうじゃなくてっ!ひとつ!ひとつだけ、言ってみろよ。お前は竜ヶ峰の何に惹かれてんだ!」
「ひとつって…」
喉がからからに渇いている。喉の奥が張り付いて、声が枯れる。
頭が痛い。ここ数日の帝人君の姿が頭のなかに浮かんでは、消えていく。どんな帝人君でも愛しい。帝人君を愛してる。でもどうして。なぜ帝人君のことが好きになったんだ?気がついたときは帝人が好きだった。帝人君を愛してた。
帝人君は俺のことを愛してくれる。俺の傍にいてくれる。
「……俺の手を握り返す、帝人君の手」
帝人君は、縋り付くようにいつも必死で俺の手を掴んでいる。
離れることを恐れるように、握り返す手は微かに震えてた。帝人君の目には、いつも怯えの色があった。俺が帝人君から離れるなんて有り得ないのに。帝人君は何かを恐れてた。ずっと、ずっと、ずっと。最初から、ずうっと。
「俺、帝人君のとこに行かなきゃ…」
こんな奴に構っている暇なんてない。俺は、帝人君に今すぐ会わなくてはいけない。
俺の頭のなかで笑っていた帝人君が、一瞬で塗り替えられていく。
帝人君は笑ってなんていない。最初からずっと、泣きそうな顔をしてた。俺といるときは、いつもそうだった。なんで、なんで、なんで!?
「おい、」
「行かないとっ…!」
六条千影の静止の声を振り切って、走り出す。
帝人君の待っている公園に今すぐ行って、会って、話をするために。ちゃんと帝人君の顔を見て、帝人君の話を聞くために!
帝人君はずっとあんなに悲しそうな苦しそうな顔をしていたのに、どうして俺は気づけなかったんだ!帝人君は助けを求めてた。俺を呼んでた。必死で、必死で手を伸ばしていた。
今すぐ抱きしめてあげなくちゃ。今すぐに、帝人君と手を繋がなくちゃ。
走って、走って、息が乱れて汗が流れるのも気にせずに走って。
池袋公園の噴水のところに、帝人君は立っていた。
こちらから帝人君の顔は見えない。帝人君の背が、とても小さく見える。ぽつんと一人で立っている。
「帝人君!」
「……臨也さん?」
帝人君が振り向く。驚いた顔をしてる。
走りよって、帝人君のことを強く強く抱きしめた。一人ぼっちで立っている帝人君の姿なんて、見ていられない。帝人君は俺のことをずっと呼んでた。悲鳴のような声で、叫んでた。
「帝人君、ごめん。君はずっと泣いてたのに、気づけなかったんだ。こんなに愛してるのに。帝人君のことを、誰より分かってるつもりだったのに。でも、もう大丈夫だから。俺は帝人君のことを、もう見失ったりしない。約束するよ」
抱きしめていた腕を放す。その代わりに、帝人の両手を掴んだ。
しっかりと握って帝人君を見つめていると、帝人君の目から、涙が零れ落ちた。初めて、帝人君が俺の前で泣いた。ぽろりと落ちた涙。
「臨也、さ…」
帝人君の手が、俺の手を握り返す。俺と同じだけの強さで。
伝わってくるのは帝人君の手の温もりだけじゃない。今まで見えなかった感情が、溢れて伝わってくるようだった。ああ、やっと伝わった。俺の気持ちも、帝人君の気持ちも。伝わって、繋がった。
俺の体のなかを、帝人君への愛情が満たしていく。俺から帝人くんへの想い、帝人から俺への想い。合わさって、満たされて、もっともっと膨らんでいく。今までにないくらい大きなものになっていく。
最初から、こうしていれば良かったのに。どんな言葉も必要なかった。ただ、帝人君と触れ合っていれば良かった。そうすればきっと、きっと――……
ぱ ち ん
「あ、れ…?」
頭のなかでシャボン玉が弾けるような音がした。
一瞬何も考えられなくなって、繋いでいた左手を離して頭を押さえる。
膨らんで、膨らんで、膨らんで。肥大して膨張したそれが、小さく軽い音と共に弾けて消える。
右手から伝わる温もり。帝人君の手。
でもなぜ手を繋ごうと思ったのか、思い出せない。
気持ちが悪い。右手から伝わってくる温かさが、気持ち悪い。
そう思った瞬間、もうその手を振り払っていた。帝人君が、呆然とこちらを見ている。
「いや、だ…。そんな目で見ないで、みか、ど…くん……?」
愛、アイ、あい。愛してる。愛していた。何を?俺は人間を愛してる。どの人間も平等に愛している。人間は興味深い観察対象で、俺を飽きさせることがなくて、この世界に溢れている。目の前の少年も人間のひとつ。でも違う、この少年は、そうじゃない。そうじゃない?そうじゃないって、何が。どういう意味だ。俺は帝人君を、帝人君は俺を、俺たちは、俺は、帝人君、は、愛を、愛情が、俺は人間を、違う、帝人君を、人間全てを、愛して、俺は、俺は、おれ、は、……人間が好き、なんだ。じゃあ帝人君は?帝人君は、そうじゃない。そうじゃないんだ。帝人君は違う。違う、違う、これは違うもの。
俺はこの少年を愛してはいけない。この少年は、俺をおかしくする。俺のなかのなにかが、ぐちゃぐちゃになっていく。溶けて、壊れて、跡形もなく消え失せていく。
なんでそんなかなしそうな目でおれをみるんだ。おれをみるな。その目をむけるな。ああ、なきそうなかおをしてる。みかどくん、みかどくん、が――…。
「っ、俺を見るな!気持ちが悪い!!」
ぱ ち ん
弾けて消えていく、音がする。
――それは、夢の終わりの音。