愛の劇薬
05
俺は、帝人君のことを愛してる。
ある時から急に、帝人君という存在がいかに俺にとって大切なものかということに気がついた。その他大勢の人間たちなんで霞んで見えて、いっそこの世界に俺と帝人君の二人だけがいればいいのに、と思うほどである。そして実際、思うだけでなくそう公言してはばからない。全ての人間は俺と帝人君の愛を祝福するべきだ。いや、そうでなければならない。そのためならなんだってできる。俺は、帝人君を、愛してる。
それなのに昨日、愛し合っている俺たちに向かって信じられないほど不愉快で不謹慎なことを言うやつがいた。
「……竜ヶ峰、ちっとも楽しそうじゃないぜ」
六条千景。
埼玉の暴走族、To羅丸の総長。何人もの女をナンパして、付き合って、引き連れている男。女性至上主義。生粋のフェミニスト。シズちゃんやドタチンと親しくしてる。そして、帝人君はこの男が苦手。イコール、俺もこの男が嫌い。
どこまでも気に食わない、いけ好かないやつ。そんなやつが、何かを見透かしたような目で、俺のことを見下していた。
「大して面識のない俺でも分かるのに、どうして竜ヶ峰に恋してるお前がそれを分からないんだよ」
「帝人君、楽しくないの…?」
「そっ、そんなわけ、ないじゃないですか!」
うん、そうだよね。
だって帝人君は笑ってる。俺の隣でいつも、楽しそうに笑っている。
「一方的に押し付ける愛は、愛とは言わないと思うけどな」
何を言いたいんだが、さっぱり分からない。帝人君と俺は、こんなにも愛し合っているのに。
六条が言い捨てた言葉を受けて、俺の右手を握る帝人君の左手の強さが増した。それは、気のせいかもしれないけれど。
**
「帝人君早く学校終わらないかなー。っていうか学校なんて辞めちゃって俺のところに永久就職すればいいのにね!帝人君一人くらい余裕で養ってあげられるのに。帝人君ってそういうとこ無駄に常識人だからなあ。そこがまた帝人君の可愛らしいとこでもあるんだけどさっ!」
帝人君との今日の待ち合わせ時間まで、あと少し。
進みの遅い時計の針を眺めながら、足をばたつかせる。帝人君の時間を拘束する学校という存在がこの上なく憎い。いっそ壊してしまいたい。シズちゃんでも使って瓦礫の山にしてくれようかな!
「ここ数日のあなた、おかしくない?」
悶々と考えていると、頭上から平坦な声が聞こえてきた。
書類の束を持った波江が、変なものを見る目で俺を見下げている。
「何言ってんの?俺はいつも通りだよ。いつも通りの格好良くて素敵で無敵な情報屋さんだよ!」
「竜ヶ峰のことよ」
むっとして言い返せば、間髪入れずにそう返してきた。
波江が帝人君のことを話題にするのは珍しい。彼女にとって竜ヶ峰帝人という存在は天敵のようなものだからだ。張間美香とはまた違った意味で嫌いな人間。
帝人君に対しては馬鹿みたいに感情的な行動をする波江を見ているのは面白いけど、まさか今日この場面で帝人君の話題が出るとは思ってもいなかった。それに、少しだけ驚く。
「最初は嘘を吐いているのかとも思ったんだけど」
「嘘?」
「そうよ。竜ヶ峰と付き合うことになったなんて。私への嫌がらせとしか思えなかったわ」
ああなるほど。
どうりでこのところの波江は些細なことに苛立っているわけだ。女って月に1回は苛立つものだから、それかと思っていたら違ったらしい。
「帝人君のことを好きになっちゃったんだから、それは我慢してもらわないと!」
「好き…。それはどういう意味で言っているの?」
「どういうって…。波江は俺よりよっぽどそっち方面に詳しいのに聞くわけ?俺は帝人君を誰よりも愛しているんだ!だから帝人君の愛には応えてあげなくちゃいけないし、常に帝人君に愛を捧げなくちゃいけない。これは今の俺にとって最も重要なことなのさ。俺は帝人君を、心から愛してる!」
「それがおかしいって言ってるのよ」
波江が眉を寄せる。
俺には波江が何を言いたいのかさっぱり分からない。俺が帝人君を愛することが、おかしいとでも言うのだろうか。そりゃあ男同士だからさ、偏見とかはあるだろうけど。でも俺は帝人君を――…
「あなた別に、あの子のこと恋愛対象としては見ていなかったでしょう」
容赦のない一言に、なぜか心臓が鷲掴みされたような恐怖が走った。
「は…?」
「それなのに急にちゃんと恋しているんだもの。おかしくなったとしか言い様がないわ」
波江はどこか不満げにそう言った。
「普通ね、恋とか愛とかには順序や過程があるのよ。それなのにあなた、それを全部すっ飛ばしてあの子に恋してる。そんなのはどう見ても変よ」
指摘された言葉の意味が、理解できない。
だって俺は帝人君をこんなに愛しているんだ。愛さなきゃって思ってるんだ。それなのに、波江は何をわけの分からないことを。
順序や過程が何だって言うんだよ。今好きなら、それでいいじゃないか。そう思っているのに、言葉は口から出てこなかった。いつもならいくらでも回る口が、全く働かない。
「だって俺は…」
何か、暴かれてはいけないことを、気づいてはいけないことを、突きつけられてしまったような恐怖が体中を取り巻いている。
これ以上何かを口走ったら取り返しのつかないことになるんじゃないか。取り返しのつかない、こと。それは何だ?
ずきずき痛む胸を握り締めて、大きく息を吐く。これ以上、考えないほうがいい。なぜだかそう思った。
机の上の時計を見れば、帝人君との待ち合わせ時間が迫っている。
学校帰りの帝人君と池袋公園で待ち合わせているのだ。帝人君に、会おう。会えばこの胸の痛みが消えるような気がする。帝人君の笑顔を見れれば、何も怖いものはない。
「……帝人君との待ち合わせ時間だから行ってくる」
「仕事終わってないわよ」
「任せた」
波江の目を見ずに、逃げるようにして部屋を出た。
公園への道を歩いていくけど、その足取りは重い。真っ直ぐ歩けていないような気もする。
意味の分からない問いの答えは、帝人君に会えば見つかるのだろうか。帝人君を見ると、帝人君を思うと、俺の頭のなかは帝人君への愛情でいっぱいになる。それはまるで、一種の麻薬のように。
ふらりふらりと歩いている途中で、誰かにぶつかった。すみません、と小さく言って進もうとしたところで、腕を思いきり掴まれる。正直今の状態では誰かに絡んだりしている余裕はないのだけど、渋々腕を掴んでいる人物の顔を見た。そこで、目を見開く。まさかの人物が、そこに立っていた。
「六条、千景」
「よう、折原臨也」
ああ、最悪だ。