犠牲など無い
ブレダはその晩、ロックベル家の心づくしの料理を堪能し、下げてきた酒をピナコと空にした。ナッツタフィーはアルとウィンリィが争うように食べてあっという間に無くなった。
そして翌朝はもう、帰る日だ。
「ロックベルさん、どうもご馳走さまでした」
「こちらこそ。いい酒を飲ませてもらったよ。またおいで。たらふく食わせてやるから」
「おっさんの腹がこれ以上出ると、マジで軍服入らなくなるんじゃねーの?」
「うっせえ」
駅までの道を、また三人と一頭で歩く。
今日もいい天気だ。ぶもー、と牧場の牛が鳴いている。
田舎駅のホームで汽車を待つ。
「ボク、来年にはセントラルに行くつもりです」
アルが言う。
「そうか。連絡くれよ」
「はい。出発前に皆さんに挨拶をしたいので」
「出発?」
ブレダがアルを見る。なんだ、もうオレより少し、背が高いんじゃないか?
「シンに行くつもりなんです。シンに行って錬丹術を学びたい」
「ほう」
錬丹術は医療に特化していると聞く。なるほど、まだあきらめちゃいない、ってか。
「兄さんのためじゃなくて」
ブレダの考えを読むように、アルは言葉を続ける。
ブレダは片眉を上げる。エドのためじゃなくて?
「ボクはまだ、父さんを超えていない。だから、西の賢者がもたらしたといわれるシンの錬丹術を学びたい。父さんの足跡をたどって、古代の偉大な錬金術師が成したことと、成しえなかったことを、確かめたいんです」
決意が滲む、アルの顔。
コイツ、こんな固い表情も、するようになったのか。
そしてブレダはにやりと笑う。
成したことだけでなく、成し得なかったことさえも?気持ちはもう、親父さんと対等なんじゃねーか。
「そうか。頑張れよ」
アルは、いつもの穏やかな表情に戻って続ける。
「もちろん、兄さんの手足を治す方法も見つけたい。ハボックさんのためにも、他の多くの人のためにも」
そして笑う。
「ウィンリィの方がずっと近道なんだけど。だからボクらはいつも、彼女に頭があがらない」
「全くだ!」
ブレダは大口を開けて笑った。
遠くから汽笛が聞こえた。
「それで、エドもアルと一緒に行くのか?」
ブレダは荷物を持ち上げて、聞く。今日は杖を使っているエドは、口をへの字に曲げて言う。
「オレは、まだわかんねえ」
「ふん?」
エドは仏頂面のまま、なぜか偉そうな態度で続ける。
「錬丹術には興味がある。けど、オレがやるべきことは、もっと他にあるのかもしれねーだろ?」
そして、へにゃりと苦笑する。
「オレ、今までの道はすげー納得してんだけど。この先はまだ、迷ってんだ」
ブレダはエドの肩をばんばんと叩いた。
「がははは!迷え迷え若人よ!」
「うわ何それ、おっさんくせえ!」
迷えるだけの可能性。おっさんで何が悪い。お前らの遥かで確実なあらゆる可能性に、俺たちはいつも勇気をもらっているんだぜ。
ぼっぼっぼっ、と蒸気を上げて、汽車がホームに入ってくる。
降りる乗客、積まれる貨物。
ブレダは客車のタラップに片足をかけ、思い出したようにカバンのポケットから一枚の紙を取り出した。
「そうだ、お前らにも渡しとく。アルなんかいいところまで行けるんじゃねーか?」
その紙にはこう書かれていた。
第一回全国アームレスリング大会 東部大会開催のお知らせ。
「腕相撲大会?!」
「そうさ、実は俺ぁ実行委員の一人でな。主催はなんと天下の名門、アームストロング家だ」
兄弟は二人揃って噴き出した。
「何だよそれ!まんまじゃねーか!」
「全国大会まで勝ち上がってみろ。少佐とサシで勝負ができるぜ」
「うわあ、遠慮しときます」
「ま、考えておいてくれよ」
ブレダはそう言って、客車に乗り込んでいく。
兄弟は顔を見合わせた。
ブレダは、ハボックにこれを渡しに東部へ。きっと、この大会そのものが。
「ったく。やってくれるじゃねーかオッサン」
車窓からひょこりと刈り上げ頭が顔を出す。
「オッサンオッサン言うんじゃねーよ」
ぶすったれた顔で、窓に片肘をかけて。
照れてやがんの。エドはニヤニヤ笑ってしまう。
発車のアナウンスが流れ、ひときわ高い汽笛が鳴って、がたん、と汽車が動き出した。
「皆さんによろしくー!」
アルが大きく手を振る。
ブレダが軽く振り返す。
エドは杖を握った拳を高く掲げ、それを下ろすとすぐ踵を返した。
アルは後ろでまだ手を振っている。汽車が見えなくなるまで必ず手を振り続けるんだよな、こいつは。
エドは杖をつき、先に歩き出した。
いつも変わらぬリゼンブールの駅。古びた小さな駅舎、何も無い駅前。
土の道、石垣。なだらかに広がる緑の丘。
青い空。流れる雲。
実る麦。
全ては大きな流れの中。
犠牲なんか無い。
真理は残酷だが正しい。
そして人は、間違うけれど、いつも優しい。
end.