犠牲など無い
補助具を外したエドが、左足を引き摺りながら強引なケンケンで戻ってきて、よ、と椅子に腰掛ける。
「今、何の話?」
「生身は面倒だなって話…お前らはいいよな。頭が良くてよ」
「って、ハボックさんが?」
察しのいいアルの問いに、ブレダは頷く。
「俺は頭悪いし、ガタイだけだったのがそれも無くして、むしろ身体がでかい分、家族に迷惑かける、と」
「そんな、」
顔をしかめたアルに頓着なく、ブレダは続ける。
「馬は脚が折れたら殺処分だ。子種を挿れられない雄馬には価値が無い。馬と人は違う。でもその違いは何だ?俺は何のために生きているんだ、だとさ」
エドががばりと立ち上がる。
「何だよそれ!」
ブレダは憤るエドを冷静に見上げて、告げる。
「大丈夫だ。俺が殴っといた」
一拍の間。
エドは眉を寄せて、それからがたんと腰掛けた。
「普段は、そんな風情おくびにも出さねーよ。けど、たまにはグチりたくもなるんだろ」
ウィンリィはまだ戻っていない。ピナコはキセルに火をつけて、黙ってふかしている。
「家の店番しててよ。おつかいに来た町のガキと、大人気なくケンカしてやがんのよ。品揃えがセンスねーだのお前に言われる筋合いはねーだの」
ブレダはテーブル中央の菓子皿を引き寄せ、自分が手土産に持ってきたナッツタフィーをつまんで、口に放り込む。うん、うめえ。
「そのガキが当たり前の顔してよ、ハボの手の届かない下の棚のモン取ってやってたり・・・・・・ま、そんな風にさ、奴も元気でやってる」
もう一つつまんでから、菓子皿をアルの方に押しやる。
アルは手を出さず、俯いたまま。なんだよ、嬢ちゃんに負けず劣らず甘党の癖に。
「気になるんなら、お前さんも会ってやりゃあいい。お互い、ダチ相手にしかグチれねーこともあるだろ?」
こいつらには、そんなこともねーか?
「ブレダのおっさんも、グチってきたんだ?」
エドが聞く。
「おうおう、ダメな上司のダメさ加減をさんざんグチってやったぜ」
「ははは」
エドの眉を下げて笑う顔が、さっきのウィンリィと似てるな、とブレダは思った。
優しい奴らだ。
エドが馬の世話をするというので、ブレダはぶらぶらと後ろをついていく。
今は「外付け」タイプの補助具だ。金属棒が脚の左右を挟み、踵まで支えている。関節はバネ仕掛け。
「こいつ結構使えるんだけど、ウィンリィは失敗作って言うんだよ。デザインが美しくないとかなんとか。ったく妙なところに凝りやがって」
不自然だが確実な足取りで歩きながら、エドが説明する。
母屋のすぐ隣の馬小屋に馬を入れると、木箱に車輪がついたのにバケツをのせ、紐を引いて裏の井戸へいく。井戸水を汲むと、木箱をごろごろと引いて馬小屋へ戻る。
「このカートもさ、ボウムさんが作ってくれて、便利なんだよ。蹄鉄はセントのオヤジがつけてくれるし、鞍はマーシュがオレにあわせて直してくれた」
エドは馬の身体にブラシをかける。伸び上がって背をこすり、屈んで膨らんだ脇腹を擦る。馬は時折耳を震わせ、気持ちよさそうにじっとしている。
ブレダは少し距離を置き、馬小屋の柱にもたれてその様子を眺める。
ブラッシングを終えたエドは小さな椅子をひっぱってくると「リズ、脚をみるぞ?」と声をかけ、後ろ脚の横に椅子を置き腰掛ける。馬は心得たように脚を上げる。それをボロ毛布を敷いた膝にのせ、金具で蹄の中に詰まった土を掻き出す。
大きな馬の傍らにしゃがむ、小柄な背。
「蹴っ飛ばされそうだな」
「最初のうちは、何度か」
丁寧に馬の世話をするエドは、穏やかな顔つきだ。
ふとエドが口を開く。
「おっさん、知ってるか?」
「何を?」
タワシでごしごし蹄をこすり、脚を下ろさせると、椅子を引き摺ってもう一方の脚へゆく。
「『痛みを伴わない教訓には意義がない』って格言」
「ああ。『人は何かの犠牲なしに何も得ることなどできないのだから』…だったか?」
「うん。あれさ、違うよな」
同じように手入れをし、それから前脚。
ブレダは黙って、エドの言葉に耳を傾ける。
「前段は、正しいと思う。けど、後半は、違うよな。犠牲なんか無くたって、得ているだろ?」
エドは立ち上がる。
道具をバケツにつっこみ、ざぶざぶと洗う。馬の世話は終わりらしい。
「最初っから、何も無しに、得ている」
洗った道具を雑巾で拭き、今度はその雑巾を洗う。
「命とか。生まれたての赤ん坊にも、指が5本揃ってんのとか」
雑巾を、柱の鍵釘にひっかけて、ぎゅっと絞る。
「本があるのとか、文字があるのとか、沢山の知識が系統立てて分類されて受け継がれているのとか」
雑巾を一度はたき、再び鍵釘にかけて干す。それから道具を順にしまってゆく。
「麦が実ることとか」
ブレダは駅からの道のりで眺めた、金茶色に輝く広い麦畑を思い浮かべる。
「そうだな」
エドは馬の元に戻り、首筋をぱんぱん、と叩いてやった。
それから泥水のバケツの入ったカートを引いて、馬小屋の外に出る。
「うりゃ」
掛け声とともにバケツをひっくり返す。地面の草を泥水が覆う。水はすぐに土に染みてゆき、草は茶色い雫をつけながら、青々とした輝きはそのままにぴんぴんと立っている。
午後の太陽がさんさんと降り注ぐ。
緑の丘。草の匂いを運ぶ風。
エドはうーん、と伸びをする。
そして振り返った。
真っ直ぐに背筋を伸ばし、真っ直ぐにブレダを見る。
「オレさ。すげーたくさんの人の助けがあって、アルの身体を取り戻せた。アルとの約束通り手足も取り戻したし、それが動かないから、また色々と手助けしてもらってる」
泥汚れの服、泥水に濡れた左手、動かない右手。
「犠牲なしには何も得ることができないんじゃない。そうじゃない」
エドは、左手で右肩をぎゅっと握った。
「何か犠牲があって、初めて、得られるものがあるんだ」
静かにまぶたを伏せる。思索に沈むように。
「だから、犠牲なんか無い。何だって意味があって、全てはつながっている」
そして目を開く。
強い強い瞳。金色のきらめき。
「ジャンも気付いてる。それでも苦しい時もある。だから、オレ、今度会いにいくな!」
エドは白い歯をむいて、にかっと笑った。
まったく。
ブレダは柔らかい溜息をつく。
だからこのガキには、敵わねえんだ。